第13話

 平日の昼すぎの市立図書館。やけに高校生が多いのは、近隣の高校にて定期試験が始まったからだという。


「試験どうだった?」

 

 夕方ごろ現れた桜は、さして関心なさそうに「ぼちぼちです」と答えた。


 明日も試験が控えているため、自習しに来たとのこと。帰りについて聞くと彼女は一も二もなく感謝を口にする。初めから龍幸の足を当てにしてきたようだ。


 ただし帰りの車内、桜の発した最初の一言から、その本意に気づいた。


「その後ゆわちゃんはどうですか?」


 ゆわの幼稚園での騒動について、桜に打ち明けたのは4日前のことだ。


「気になって勉強に集中できないったら。それで、その後好転しましたか?」


「うーん、まあひとまずは」


「はっきりしないですね。でもそれがかえって好奇心をくすぐります。やりますね」


「うん、ありがとう」


 2人で幼稚園内に入る。

 まずその音色に気づいたのは、桜だった。


「ピアノ弾いてる子がいますね。あ、今外れましたね、音」


「そう言ってあげないでよ。頑張って練習してるんだから」


「え、知ってる子ですか?」


 園舎に向かうほどピアノの音色が大きく聞こえる。それは近づくほど鮮明になり、旋律の二重性が明らかになる頃には、演奏者の姿も見えてきた。


 ピアノの前には、ゆわとリンが並んで座っていた。


 教室の片隅、奏でる音に混じる2つの声。「まちがった!」「ここむずかしい!」と騒がしく笑うゆわとリンの間には、一切のわだかまりもない。


「なんだゆわちゃんかー。あれ、もしかして隣の子って、あのリンちゃんですか?」


 龍幸が頷くと、桜は満ち足りた表情を見せた。


 リンと本当の意味で仲直りするため、また降りかかる不幸を回避させるため、何ができるのか。龍幸とゆわは考え続け、ひとつの答えを導き出した。


 果たして迎えた週明けの朝。

 ゆわは教室に入るやいなやリンの元へ駆け寄り、言い放った。


「ピアノのひきかたおしえて!」


 リンは相当驚いたようで、おっかなびっくり頷く。


 ただ龍幸が夕方再び訪ねると、ゆわはピアノを前に悪戦苦闘していたが、横で指南するリンは屈託ない笑みを浮かべていた。


 注目すべきは、ヒーローくだんとしての行動だ。


 発表会での課題曲の弾き方を教わることで、リン自身の曲への理解を高める。未来でミスする箇所も、ゆわが「ここむずかしい」と強調し、意識させる。


 すべては机上の空論であり、うまくいく保証などない。


 それでも龍幸がゴーサインを出したのは、これがゆわの発案だから。


「ゆわちゃんが考えたんですか。はー、やっぱ頭いいですね」


「桜ちゃんは大丈夫だと思う?」


「何を心配してるんですか。優しい作戦ですよ。ヒーローの素質あります」


 深い意味はないのだろう、最後の一言は軽さを孕む。ただ龍幸はどうしてかその言い回しが、心に引っかかった。


「桜ちゃん、ヒーローって何で正体を隠すんだと思う?」


 桜は呆れるように笑った。


「何ですか、突然。そりゃあ家族とかに危害が及ぶからじゃないですか?」


「でもヒーローなら、家族も友達もみんなまとめて守れるんだってさ」


「ゆわちゃんが言ったんですか。確かに何でもアリのスーパー超人ならできるでしょうけど、そんなのいないですからね」


「意外と冷淡だね」


 素直な感想を受け、桜は口をへの字に曲げる。


「いや私だってゆわちゃんが相手なら、希望に満ちた模範解答をしますよ。でも実際いないもんはいないでしょ。まずヒーロー自体、現実世界にはいないですけど」


 早口で言い訳と自問自答が展開される。

 年齢と見かけの割に俯瞰的な視点を持つオトナな桜だが、時たまよくわからないところで感情的になる節がある。


 あるいはこれが桜の持つ、子どもらしさなのかもしれない。


「じゃあ志河さんは、何て答えたんですか。ヒーローが正体を隠す理由」


 ムキになった桜は逆質問を繰り出す。

 龍幸が実際にゆわへ語った内容を告げると、今度はコロッと表情を変えて、感心のため息をついた。


「なんだ、まあまあいいこと言ってるじゃないですか」


「そう? ちょっと言い過ぎたかなーって思ってたりするんだけど……」


「言い過ぎって、どういうことですか」


「何というか、考える余地を与えさなさ過ぎたかも、と」


 桜は怪訝な顔で首を捻ったのち、何やら皮肉めいた笑みを浮かべた。


「なるほどなるほど、志河さんってそういうタイプですか」


「どういうこと?」


「全部を言わない人、っていうんですかね。相手の思考に頼って意思疎通する感じ。悪いことだとは思いませんけどね、個人的には」


 ニコニコと愉快そうに語る桜。

 龍幸はといえば、不覚にも胸にすとんと落ちる感覚を得ていた。


 そんな感情が顔に表れていたらしく、桜は一層機嫌を良くする。


「でも場合によっては、ちゃんと言った方がいいですよ。相手が子どもなら尚更。言わぬが花とか言ってないで、まっすぐ伝えた方がいいと思います」


 展開された持論に龍幸は、思わず敬語になりそうなほど感心していた。


「桜ちゃんの言葉は何か、深みがあるなぁ」


 そこで、ピアノに集中していたゆわが龍幸に気づいた。桜の姿も確認すると一層テンション高く、駆け寄ってくる。


「まあ、私は他人よりちょっとだけ、変ですから」


 こっそりと、龍幸の耳をイタズラな声が通り過ぎていった。

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