第10話

 公立図書館で勤める以上、休日のあり方は普通と異なる。


 家庭事情を配慮されている龍幸は、日曜には休みをもらっているが、土曜はほぼ出勤していた。その際ゆわは、自由登園を利用していることが多い。


 今日に限っては、龍幸は頭を抱えた。

 悩みの種であるリンは土曜日には登園しない。だが今の精神状態では休ませるべきだと、親心が訴える。


 起きてきたゆわの目尻にはうっすら涙の跡が残っていた。


「ゆわ、きょうはようちえんだよね?」


「あ、うん。でも、どうしよっか。もし辛かったら休んで桜ちゃんちに……」


「いくっ」


 父の提案は、軽快な返答によって切り捨てられる。


「ゆわはだいじょうぶ」


「……そっか。ゆわは強いな」


「うんっ、ゆわちょーつよいよ!」


 抱きしめられると、ゆわはくすぐったそうに笑った。


 ゆわは幼稚園にて「いってらっしゃーい」と龍幸を見送る。その自然とは言えない笑顔は、脳裏へ焼印のように跡を残した。




 勤務中も、気を抜けばゆわのことが頭をよぎった。


 そんな時だ。

 鮮烈な色の髪が、突如として視界に映った。


「ういっす志河さん。景気悪い顔してますね」


 桜は、カウンター越しに龍幸の顔を覗き込む。


「珍しいね。どうしたの?」


「髪ピンクでも図書館くらい来ますよ。明後日から中間テストなんです」


「ああ、だからいつもより高校生が多いのか」


 そこで会話は途切れるも、どうしてか桜はその場を離れようとしない。


「志河さん、帰るのって閉館してからどれくらい後ですか?」


「えーっと、今日は20分くらいかかるかな」


「じゃあ出口で待ってるんで、ついでに乗っけてってくださいよ」


 理由を尋ねる前に、桜は颯爽と立ち去っていった。


 夕刻、駐車場にて車の鍵を開けると、桜は流れるように後部座席に座る。


「なんか景気悪い顔してるね」


 龍幸はエンジンをかけながら、そう軽口を叩く。


 勉強に疲れたのだろうとタカをくくっていたが、返ってきたのは予想外の反応だ。


「すみません」


 身に覚えのない謝罪に、龍幸は困惑。

 心のままの疑問をぶつけると、桜はおずおずとした様子で語り出した。


「何というか……この前私、けっこうイヤなこと言っちゃったなぁ、と」


「……ごめん。どの発言のことか、本気でわからない」


「いやほら、髪ピンクなんで分からないですねーとか、ゆわちゃんがなりたいのは普通じゃなくてヒーローなんですねー、とか。皮肉めいたことほざいたじゃないですか。あの時は感情に任せて言っちまいましたけど、その後モヤモヤして……」


 そこまで言われれば龍幸も思い出さざるを得ない。ただ今の今まで忘れていたのは、気に留めるほど響いていなかったからだろう。


「全然気にしてないって。むしろ何かと思って混乱したよ」


 そこで今日初めて桜は笑顔を見せた。

 謝罪を済ましてすっきりしたらしく、桜はのんきな顔でシビアな質問を飛ばす。


「最近どうですか、ヒーローくだんの慈善活動は」


 運転席に座る大人の表情が曇った瞬間を、彼女は見逃さない。


「あれ、景気悪い顔になりもうしましたね、今」


 龍幸は彼女へ、くだんの能力が引き起こした小さな騒動を説明する。桜は話が進むごとに背筋を伸ばしていった。


「ままならねえ……」


 最初の感想がこれだった。

 かなり感情移入しているようで、髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。


「わぁーそっかー。んんーどっちの気持ちもわかるなぁ……」


「桜ちゃんも幼稚園生くらい時、友達とケンカとかした?」


「しょっちゅうでしたよ。ゆわちゃんよりもずっと過激派だったので」


「過激派……」


「ゆわちゃんとその子なら、仲直り自体はさほど難しくはないですよ」


 ショックを受けていたわりには、先行きの明るい台詞を事もなげに言い切った。では、何故顔をしかめたのか。


「問題は、ゆわちゃんのくだんへの意識じゃないですか」


 つまりゆわがくだんの能力を使うことに悪い印象を持ち、よもや敬遠してしまうのはもったいないと、桜は重々しく語る。

「影響はたぶん受けているね。くだんなんてやらなきゃよかったって、泣いてたよ」


 そう告げると、桜はケンカの内容を伝えた時よりもずっと険しい顔をする。


「辛そうで、何も言えなかったよ」


 しかし龍幸がこう話した途端、桜は顔を上げる。澱んでいた瞳に突如、炎が宿る。


「何でですか……何ですぐ否定しなかったんですか。そんなことないって、言ってほしいに決まってるじゃないですか。ゆわちゃんは悪いことした訳じゃないでしょ」


 初めは震えていた桜の声も、徐々にボルテージが上がる。龍幸は戸惑い、フロントガラスとバックミラーとで視線を何度も行き来させる。


「志河さんって、くだんを悪いものみたいに思ってませんか?」


「いやそんなことは……ただ他の誰も持っていないものだから、困惑してるんだよ」


「あぁ言ってましたね。ゆわちゃんには普通でいてほしいって」


 頷くと、桜は語気を強め、言い放つ。


「普通じゃないって、いけないことですか?」


 思わず、息を呑んだ。


「くだんも個性じゃないですか。なのに人と違うからって敬遠するのは、変です。少なくともゆわちゃんは良いものだって考えて、誰かのために工夫して使ってます。人のために行動することは間違っているんですか?」


 否定するよりも早く、桜は続ける。


「確かにくだんの子なんて誰も育てた経験ないから心配でしょうけど……志河さんはくだんの父じゃなくて、ゆわちゃんのお父さんでしょう。ならゆわちゃんにどうなってほしいかって、そう思いながら向き合うべきじゃないんですか?」


 最後には、こう吐き捨てた。


「人と違うことを怖がるのって、大人になる上で生じる退化ですよね」


 沈黙の訪れた車内、耳にはエアコンの稼動音すら入らない。桜の言葉を咀嚼し理解しようとする作業に、すべての意識が駆り出されていた。


 自覚していなかっただけで、龍幸の中には確かに悪癖があった。


 母親がいない家庭のあり方を父親自身が差別し、帳尻を合わせるように「普通」のレールに乗せようとする願望。そしてレールから外れることへの反射的な恐れ。


 ゆわには自然豊かな牛古市でのびのび育ってほしいと、そう思いながらこの浅薄な価値観の中に閉じ込めようとしていたのだ。


「……マジ、すんません」


 自問自答をしていた最中、後部座席から決まり悪そうな雰囲気が漂う。


 先ほどの威勢はどこへやら、桜は両手で顔を隠して縮こまっている。


「え、何が?」


「さっき謝ったばかりの愚行を性懲りもなく繰り返して……ガキのくせに家の事情に首を突っ込んで……バカかと。やっぱり頭の中までピンクなんです私」


 桜はボソボソ呟き、頭を下げる。

 龍幸はそんな姿に、苦笑する他ない。


「大丈夫だよ。むしろ、ありがとうね」


「お礼なんて言ってはいけません。私はぽんこつです。へっぽこ野郎なのです」


 女子高生の卑下が延々と続く中、父は自身に言い聞かせるように結論づけた。


 正しいのは、桜の方なのだ。

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