第7話

「くだんについて、私なりに考えてみたんですよ、授業中」


 ゆわを迎えに行く道中。

 またもや道すがら見かけた桜は「好都合」といった表情で車に乗り込み、開口一番そう告げた。


「授業聞きなよ」


「ははっ、ウケる」


 謎の笑いでお茶を濁すと、彼女はくだんの能力における考察を展開する。


「くだんの力で予知できるのって、たぶん不幸な未来だけなんだと思います。図書室で読んだどの資料でも、良くない予知ばかりピックアップされてましたし。何よりの証拠は、ゆわちゃんがこれまで予知してきた内容です」


 ひとまず付き合ってみようと、龍幸はこれまでの予知を思い返してみた。


「最初はスーパーのダダっ子でしょ。あと映画のシーン、足の小指、雷。それに桜ちゃんの……あれ? ガリドリで泣いたのって不幸に入るの。感動の涙でしょ」


 いい質問だ、とばかりに桜は後部座席から体を乗り出した。


「そうっ、そこが面白いところなんですよ。ゆわちゃんが予知する不幸って、あくまでゆわちゃん目線の不幸なんですよ」


「どういうこと?」


「ゆわちゃんが不幸だと判断すれば、例え実際は不幸でなくても、不幸にカウントされるってことです。ガリドリが泣ける映画だと思っていないゆわちゃんからしたら、泣いている私は何か分からないけど不幸なんだって感じたから、予知したんですよ。そもそも泣くって行為自体、5歳児からしたら不幸とイコールですからね」


 その理論を踏まえると、納得できる側面はいくつか見受けられる。


「確かにあの映画とかドラマも、大人からすればどうせフィクションって冷めた目で見てるけど、ゆわはまだ実際に起こっていると勘違いしている節があるからね」


「小さい時ってドラマとか、すべて本当のことだって異様に信じてますもんね」


 つまりゆわの未来予知は文字通り、子どもサイズの代物、ということだろう。


 これまで予知してきた内容も、小さな世界での小さな不幸と言える。


「逆にゆわちゃんには分からない大人な不幸だったら感知しないんです。仮に志河さんがリストラされても、ゆわちゃんは予知しませんよ、きっと」


「それは予知してほしいなぁ」


 ではもし、誰が見ても不幸だと思わざるを得ない事態が起きれば?


 桜はおずおずと、ひとつ尋ねてきた。


「あの、ゆわちゃんは……その、死ぬってことをわかっているんですか?」


「本質的なところでは、分かっていないと思う。母親がいない事実は受け入れつつあるけど、心のどこかでいつか帰ってくるって期待しているかも」


 桜の相槌を最後に、少しの間車内から会話が消え、エアコンの音だけが響いた。


 信号待ち、龍幸はハンドルに両腕を乗せながら、ふいと漏らす。


「なんでゆわが、こんなことになったんだろうなぁ」


 それはくだんを巡る最大の謎であり、おそらく最も解答の遠い問題なのだろう。


「志河さんは、ゆわちゃんがくだんの能力を持つの、なんかイヤそうですね」


 目の前を横切る無人の横断歩道を眺めながら、龍幸は静かに告げる。


「ゆわにはできるだけ、普通であってほしいんだ」


 普通という言葉の価値はとびきり高騰していて、今となっては届きようがない。


 だからこそゆわを取り巻く世界に、今以上の変哲があってほしくない。それがもはや唯一と言ってもいい、龍幸の願いだった。


「普通……」


 桜は一度だけ反芻すると、どこかそっけなく応えるのだった。


「私、髪ピンクなんでよくわからないですね」


 夕日が山間に挟まり東の空から夜がやってきた頃、2人は幼稚園の門をくぐる。


 龍幸の姿を見つけた担任には、何やらいつにも増して笑顔に愛嬌がある。加えて教室内ではゆわが友達に囲まれ、何やらもてはやされているようだ。


「今日ゆわちゃん、偉かったんですよ。年少組の子が転びそうになったところを、とっさに助けてあげたみたいで。褒めてあげてください」


 ヒクッと、龍幸の口角が吊り上がる。

 桜は愉快そうに「あらら」と漏らした。


 担任のダメ押しのような言葉が、2人の予想に花マルを添える。


「くだんがどうとか言っていましたけど、お父さんが教えたんですか、あの昔話」


 龍幸は必死に愛想笑いを作り、曖昧に答える。

 その背中へ、桜がボソッと呟いた。


「ゆわちゃんがなりたいのは普通じゃなくて、ヒーローなんですかね」




 晩ごはんの下ごしらえを済ませた龍幸は、鼻歌が聞こえてくる居間へ向かう。


「ゆわ、くだんの力でお友達助けたんだって?」


「えっ、なんでしってるのっ?」


 担任から聞いた旨を告げると、「えーっ」と照れくさそうに肩を揺らす。


「すごいなあ、ゆわは」


「むふっ、だってヒーローだしっ」


「ちなみにだけど、どうやって助けたの?」


 ゆわは目を輝かせ、当時の状況を早口で話す。


 登園した直後、とある年少の子が園庭で転び、号泣する場面を予知したという。ゆわはその子に目を配り、予知した未来を待った。


 それでも転倒の阻止は難しかったようで、その子は予知した通りの運命を辿った。


 先生や友達が評価したのは、その後の行動だ。

 ゆわは瞬時に駆け寄ると、抱き起こして励ましの声をかけた。


 先生よりも早かったその対応が、ゆわの株を上げたのだ。


「ほんとうは、ころぶまえにたすけたかったんだけどねー」


 身振り手振りを交えたゆわの説明は、白熱したまま終わる。


 そして彼女は、期待するような瞳で龍幸を見つめた。


 必死に言葉を選ぶ龍幸。

 たとえくだんの能力が優れたものであっても、抵抗感が生まれてしまうのは、それが社会において異物だからだ。周囲に知られれば、良くないことが起きる。


 それでもゆわを強く止められないのは、ひとえに善意だから。


 人を助けたい、人のためになりたいという願望を持って何が悪い。真っ向から否定するなんて行為は、それこそ望ましい子どもの成長の対極にある、悪手ではないか。


 龍幸が出した解答は、愛に溢れた妥協だ。


「よくやったよ、ゆわ。本当にすごいよ」


 大げさなまでの称賛を口にし、ゆわの頭をこれでもかと撫でる。彼女は「わあーっ」と悲鳴をあげながらも、至福の表情を浮かべていた。


「困っている人を助けるなんて、大人でも簡単にできないのに。お父さん嬉しいよ」


 ゆわはこぼれる笑みを隠すように、両手に手を当てる。恥ずかしそうに、照れくさそうに、それでも多大な幸福感に浸るように、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


「でもひとつだけ、約束だけは守ってね」


「みらいみたって、いっちゃいけないやつ?」


 ゆわが能力を自覚した際、約束を交わしていた。


 未来予知したことは人には言わない、と。

 その場にいた桜も賛同したので、ゆわはしぶしぶ受け入れていた。


「そう。それと、くだんって名前もできれば秘密にしてほしいなー」


 この注文に、ゆわは不服そうな顔をする。

 龍幸は慌てて付け加えた。


「ほら、ガリドリも自分がガリドリって、みんなに言っていないでしょ」


「それおかしいって、ゆわまえにいったし」


「だからほら、お父さんも前に言ったでしょ。みんなに頼られちゃったら大変だって。だからガリドリも秘密にして、本当に困っている時だけ助けてくれるんだよ」


 説得の末、次の条件が飲まれると、ゆわは口をへの字にしながら受け入れた。


「じゃあおとうさんには、いっていい?」


「うん、それはいいよ。あと桜ちゃんにもね」


 そうして父娘は改めて、小指を絡ませた。

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