第4話
帰宅する頃には雷は収まっていた。
車内でも無言を貫いていたゆわは、家に入るやいなや階段を駆け上がる。
「ゆーわーちゃーん、あーそーぼー」
「いーなーいーーーっ!」
桜の呼びかけにも全力の不在アピールが2階から響いてくるだけ。
龍幸は洗濯物を取り込み、すっかり雨水を吸ったそれらを洗濯機へ放り込む。
洗面台の棚からタオルを引っ張り出し、桜へ差し出した。
「だいぶスネちゃったな。ごめんね桜ちゃん」
「いえいえ。私にも泣き顔見せちゃいましたからね。そりゃ高い所に登りたくもなりますよ。子どもにだってプライドはあります」
ほうじ茶をすすり「ふいー」とため息を漏らす桜。
放られていた育児書をペラペラめくり、さして興味なさそうに眺めだした。
居間に流れる柔らかな沈黙。
「くだん、だっけ?」
桜は目線を下に向けたまま、数秒の間動きを止めた。
「牛古市民ならみんな知っていますよ、くだん。道徳の授業で習ったりお年寄りに聞いたり。それを題材にした劇も見たことあります。耳タコなおとぎ話ですね」
「僕はその単語すら、初めて聞いたよ」
「そうでしょうね、牛古市にだけ根付いている逸話みたいです。私は高校に入るまで、桃太郎レベルのメジャーなお話だと思っていました」
桜は、牛古市に伝わる「くだんの子」という昔話を語り出した。
むかしむかし、ある山小屋に木こりとその妻が住んでいた。
妻は身ごもっており、男は子どもの誕生を今か今かと待ちわびていた。
ある日、男が山を登っていると「くだん」と名乗る人の顔をした牛と出会った。
くだんは男に向かいひとつの予言を伝え、去っていく。
数日中に、子どもが産まれると同時に妻が死ぬ、と。
3日後、予言通り妻は出産の末にこの世を去る。
そして驚くべきことに、産まれた女の子の頭には、牛のようなツノが生えていた。
子どもはくだんだったのだ。
男は娘が化け物だと知られるのを恐れ、人目を避ける生活を送るようになる。
月日は流れ、話せるようになった娘は予言を口にするようになった。
一方で山の麓にある村の人々は、山から下りてこなくなった男について、化け物になったのではないかと恐れるようになる。
ある日くだんの子は、山から化け物が下り、村が大騒ぎになる未来を見た。
男は慌てて娘を抱え、叫びながら村へ走る。
「化け物が来るぞー!」
だが村人達は、親子こそが化け物と思い込んでいるため、大慌てで村を飛び出す。
親子と村の者たちの追いかけっこは続く。
突然大きな地震が起き、山崩れが発生。
村の一部が飲み込まれてしまった。
だが男が追い回したおかげで、犠牲者はゼロ。
それをきっかけに親子の誤解は解ける。
気づくとくだんの子のツノはなくなり、予言をすることもなくなった。
桃太郎レベルの知名度と言うだけあり、桜の語り口は滑らかだった。
「ハッピーエンドなのと、ちょいとコメディチックな見せ場もあるのが魅力ですね。親子が村の人を追い回しているくだりなんか、劇では鉄板ですよ」
桜はすっかりぬるくなったほうじ茶を口にする。
「なので牛古市の人間は、災いを予言する子を見れば、くだんの子を連想するでしょうね。もちろん桃から人が生まれる訳がないように、くだんが実在すると本気で思っている人はいないですよ。まあ、そうとも言い切れなくなってきましたけど」
「いやでも、ゆわがそうと決まった訳じゃないから……。僕が見たそれらしい出来事って、今日のを合わせてもたった4回だからさ」
「なら、私のと合わせて5回ですね」
反射的に顔を上げる龍幸。
桜は至って真剣な表情だ。
「前に動画配信サービスを一緒に見てまして。ゆわちゃん、ガリドリの映画を見つけたんです。でも私の顔を見た途端、やっぱいいって言い出しまして。私が泣くからとか何とか。これは喧嘩売られているなと、一緒に見たんです。そしたら、まあ……」
「泣いちゃったの」
「……ゲロ泣きです」
途中で恥ずかしいオチに気づいたか。
桜は頭を抱え、紅潮した顔を隠していた。
「だって、みんな頑張ってたから……」
「そんなに良かったの。今度借りてみようかな」
「その必要はありません。来週BDが届くので」
「めちゃめちゃハマってる……」
桜は「そんなことより!」と話を引き戻す。
その目は大いに輝く。
「つまりゆわちゃんの未来予知は本物ってことです。すごくないですか、超能力ですよ。ヒーローですよ、ヒーロー」
「いや、そんな簡単なものじゃ……」
龍幸との温度差に、桜は神妙な顔で首を傾げた。
その時、勢いよくふすま障子が開く。
先ほどの涙は何処へやら、ゆわが眩い瞳で仁王立ちしていた。
「ゆわは、ヒーローだったんだっ!」
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