第3話

 図書館司書の仕事は、人と接する機会は少なくない。

 返却・貸出など利用者への対応や、同僚との情報共有に連携もある。


 ただ細かな事務作業も多い。

 個人的な考え事が頭に侵食してくるとすれば、決まってこの時間である。


 この日のテーマはやはり朝のゆわだった。


 意味もわからぬまま怒られた。

 これはゆわだけでない、女性との間でたまに発生してきた一生ものの難題だ。


 しかし今朝のそれは、これまででも類を見ないほど異質であった。


 そこでふと、思いつく。

 ゆわはまた、未来を見たのか?


 何がしかの「怖いもの」を予知したのではないだろうか。

 そう仮定すれば、今朝の不可解な言動にはすべて納得がいく。


「いやいや……」


 まるで下品な番組からゆわの目を遠ざけるためチャンネルを変えるように、龍幸は未来予知という言葉を頭から切り離す。


 だがその瞬間、図らずともひとつの事実に気づいた。


 自然と、その可能性を避けている。


 つまりは、願望なのだ。子どもが質問の裏に懇願を示すように、この行為もまた、アンフェアな意識に紐づけられている。

 

 龍幸は、自身の中に眠る願いを知った。

 

 そうであってほしくないのだ、と。




 大の大人でさえ耳を塞ぎたくなるような轟音が、ハンドルを握る手を震わせる。

 雷を伴う豪雨が降り出したのは、ゆわを迎えに行く最中のことだ。


 そこで、見覚えのある色の後頭部が見えた。


「桜ちゃん大丈夫? 乗ってく?」


「うおー志河さんっ、ありがてえー!」


 桜は折り畳み傘をしまうと、慌てて後部座席に乗り込んだ。


 傘をさしていたにもかかわらず、全身まんべんなく濡れていた。

 桜は桃色の髪をハンドタオルで絞るように拭き取りながら、安堵のため息をつく。


「いやぁ助かりました。志河さんは帰りですか?」


「うん。ゆわを迎えに行くところ」


「お、いいですねぇ。行きましょ行きましょ。実は私もあの幼稚園出身なんですよ。OGですよOG。ちょいと現役生たちシゴきに行ってやりますか」


 とりとめのない話を軽快に繰り広げる桜。

 だが突如として、不満を露わにする。


「志河さん。私、何かアンタッチャブルに触れましたか。あっ、シゴキですか。今日びマズいですかね、シゴキは」


「え、何、どうしたの」


「上の空ですよ、ずっと。別にいいですけど、事故らないでくださいね。いや乗せてもらいながら、とんでもない言い草だな私」


 幼稚園の駐車場から園内へ、龍幸は職場で借りた傘をさしながら駆け足で向かう。

 桜も「どひゃーっ」と声をあげながらついて着た。


 教室の中は大混乱だった。雷鳴が響くと同時に子ども達は甲高い悲鳴をあげる。

 恐怖で泣く子がいれば、はしゃいでいる子も見られ、先生はてんやわんやである。


「現場は阿鼻叫喚ですねえ」桜は苦笑を浮かべる。


 その時、子どもの一団から1人が龍幸の元へ飛んできた。

 抱きつかれた直後、シャツには湿り気が帯びていく。


「はやくきてっていったのにっ!」


 ゆわは震えながら声を張り上げた。


「ゆわ、ごめ……」


「ないてないっ!」


 桜は笑いをこらえながら「何も言ってないよぉ」とたしなめる。


 再び雷が落ちると、ゆわは「わうっ!」と短い悲鳴をあげた。

 さらに、まくし立てるように咎める。


「こうなるっていったしっ、カミナリくるっていったし! だからはやくきたほうがいいって、ゆわいったじゃん! ぜんぜんこわくないけど!」


 テレビやネット、どの媒体でもこの雷雨を予測できていなかった。

 だがゆわは10時間以上も前から、この事態に怯えていた。


 娘の怒りを耳にしながら、父はひとつ確信を得る。

 

 ゆわは、未来を予知していた。


「……ゆわちゃん、雷が降るって予想していたんですか?」


 唖然とする龍幸の耳に、届いた桜の声。

 先ほどまでの快活とした雰囲気はない。


 静かに、噛み締めるように、彼女はその言葉を口にした。


「まさか、くだん……?」

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