最終章  夜明け

 一


「もう用がないから、帰れ。おまえの仕事なんかねえし。荷物は郵便でおくってやるよ」

社長は俺と目をあわさず、不快そうな顔で言った。俺とは一秒でも早くお別れしたいらしい。こちらも同じ気持ちだから、ありがたいと思った。

それがこの会社に勤務した最終日だった。特に親しい相手もいない孤独な職場だった。セクハラ被害者の加世に別れのあいさつをしたかったが、あいにくその日は欠勤だった。思うところは色々あった。

辞めた事で失うものが、思っていたよりもずっと少なかったことにショックを受けた。

この会社で働いてきた六年と言う時間の密度がいかに薄かったかを強く実感した。もうこの会社に通う事はない。だが会社の中で俺をねぎらい、さよならと言ってくれる人がいない事に寂しさを感じた。

 それからは、ずっと職探しの日々がつづいた。

 安定収入がほしいのが本音だ。昔とずいぶん違い、ハローワークの所員はみんな親切だ。でもハローワークは職業安定所としての機能が完全には機能していないのを感じていた。要はろくな仕事がないのである。ネットで検索すると悪評ばかりが目に付く会社が多い。できれば、正社員の仕事があればよかったが、ブラックしか存在しないらしい。

 この前の安藤の話は真実だった。

二〇一四年の現在は大不況が深刻化定着化している。

今年の四月からは消費税も八%。二〇一五年には十%になるという。

たぶん、倒産する会社も増えるだろうし、失業者も増えるだろう。 

 この先のことを考えると、頭をかかえたくなる。

 あるいは俺の今の技能ではブラック企業にしか働き口がないといえるかもしれない。

俺にもっと売りとなるスキルがあれば、ハローワーク経由でも良い仕事を見つけられた可能性があったのに。もはや俺にとって正社員はファンタジーに近かった。

いかにこの六年間をただ働くだけの時間に費やしてきたかがわかる。会社という後ろ盾を失うとこんなにも弱い立場になると想像もしていなかった。 

 またバイトをするしかないようだ。若者の四割近くが非正規社員の時代だ。何かバイトとそれとは別の自営業みたいな形で仕事をして、収入源を増やしていくしかないのだと考えた。これからは何らかの形で、本業以外に副業を持つ生活スタイルが一般化するかもしれない。そんな予感がした。

プチクリエイターでもいい。動画で何か副収入が得られるようになりたい。

俺はそうした目標を持つようになっていた。


  二


 ある日の午後。ハローワークからの帰宅後。俺は何をするわけでもなく、ぼんやりとすごしていた。動画の編集作業は八割以上終わっている。

 もっとも、俺が手をつけたのは、前半だけで、後半は夏美にバトンタッチしている。

猫のジャンプシーンと追加の撮影シーンを加える作業は夏美に任せることにしていた。数日中に完成するというので、今は良いものができることを願いながら待つだけだった。

 スマートホンに加世から電話がかかってきた。ひどく興奮した口調だった。

「平松さん、大事件が起きました。家の近くまで来てるんですけど会って話がしたいんですが、いいですか?」

「いいけど、なんだい?」

 はじめての異性から連絡が来たことにおどろく。自分の電話番号をどこで調べたんだろうと思いながら玄関に向かったとき、インターホンが鳴る。

 ドアを開けると、姿をあらわしたのは、加世ではなく社長だった。

 ボサボサの頭。血走った目。何日も着続けたような汚れた服。風呂に入っていないのか異臭までしてきた。頬はこけてやせたように見えた。 

 頭には白い包帯をまいている。顔にはガーゼをはりつけている。首には交通事故にあったかのようにコルセットをつけていた。

 病院から脱走してきた重傷患者のように思われた。どこでこのような大怪我をしたのだろうか。

 俺は一瞬。恐怖を感じた。社長が俺のことをうらんで、復讐をしにきたと思ったのだ。しかし、社長は無気力そうな顔で告げた。

「おまえの荷物をかえしにきてやったぞ。ほらよ」

社長は俺の荷物がつまったダンボール箱を乱暴に投げ返すとすぐさま出て行った。

一秒でも早く帰りたいかのように。

「どうして、郵便で送らなかったんですか?」

「金がねえからだよ。見て、わかんねえの、バカか?」

 社長はめんどくさそうにいうと、俺の家のドアを蹴り飛ばして帰っていった。俺は社長を追いかけて外に出た。

「いでえ、いでえ、いでえ。いでえよお~」

 社長は一歩一歩。歩くたびに、苦痛で顔をゆがめてうめいていた。体の傷がつらいらしい。車に乗る前。社長は携帯電話で誰かに電話をかけていた。

「すいませんっ! 本当に金は返しますっ! だから、待ってくださいっ! どうにか返すめどは付けていきますんで。もう少し時間を。おねがいします」

 社長は存在しない相手に何度もぺこぺこと頭を下げていた。

こんな情けない姿ははじめてみたような気がした。家の前にとまっていた軽トラックに乗り込むと、余裕のない運転でどこかに去っていった。何があったんだろうと俺が思ったとき。いきなり、聞き覚えのある女の声がした。

「……社長さんは闇金融に借金があるみたいですよ。トイチ。十日で一割の利子でお金をかりているようです。返せない場合は、命の危険があるみたいですよ」

 俺の目の前にあらわれたのは、加世だった。しかし、なぜか表情が生き生きとしている。目に力が宿っている。仕事場で見かけた時には、今にも死にそうな病人だったのに、今は別人のようだ。

「俺がいない間に会社で何があったの? 教えてくれない?」

俺がたずねると、加世は待ってましたとばかりに、うれしそうに語りだした。

「社長が会社のお金を横領したそうです。噂によると、二〇二〇年の東京オリンピックで値上がりした未公開株を買っていたみたいですよ。でも、それは全部詐欺で大損したらしいです。おまけに、ストレス解消のためにフィリピンパブにまでのめりこんで、ますます借金だらけみたいです。

体の傷はこの前。自分が暴力をくわえたブラジル人達からやられたそうです。管理職のみんなも愛想をつかして、新しい会社を作っていなくなっちゃったんですよ。今、会社に残っているのは、日系人とブラジル人の労働者だけですね」

 俺は言葉を失った。自分が仕事をやめた後に、そんなことが起きていたとは。

 そこまで会社が悪化しているとは、倒産も時間の問題ではないか。

 やはりこの世は悪い人間には天罰が下るようにできているのだろうか。

 少なくとも、人に害を与えた人間は、同じような害を人から受けるようになっているらしい。加世は俺に向き直ると、俺が以前わたしたSDカードを差し出した。

ぺこりと頭をさげながらいった。 

「この前、いただいた動画ありがとうございました。あの動画をネタにしてセクハラの損害賠償請求をしてるんです。他のセクハラ被害にあった女の子も協力してくれているし、凄腕の弁護士さんも雇ったし、社長を破滅させるまで、もう少しです!」

 加世は気合を入れたように、両手の拳を胸の前でにぎりしめてみせた。その光景を見た時。俺はとんでもないことをしたのかもしれないと後悔した。

 まさか、ここまで大事になるとは。背筋が寒くなる気さえした。思わずたずねていた。

「あの、会社がやばくなったのって、俺のせいかな?」

「ちがいますよ。たぶん、破滅の時は近づいていたんだと思います。でも、平松さんの事件の後に、並んでいたドミノがばたばたばたって倒れるように、連続でおきたのは確かですね。そういう意味では、平松さんのせいかも?」

 加世はいたずらっ子のように、わざとらしくウインクをしてみせた。

 なんか、今。こいつ、かわいくなかったか?……そんな気がした。でも、幻だったのかもしれない。

「会社が倒産したらどうするの?」

「たぶん、他の仕事を探すと思います。でも、その前に、この事件を最後まで見届けるつもりです。あれから、破滅に向かう会社の様子をずっと動画で撮影しているんですよ。いつか編集してYOUTUBEで発表するつもりです。ブラック企業に気をつけるように、警告をする映像資料になれば、いいかなと」 

 抜け目が無い女だなと俺はおどろいた。転んでも、ただではおきない性格の女らしい。もしかしたら、加世とまともな会社で出会えたら恋愛の対象になったのかもしれないとおもった。

また、今は動画一つで権力をひっくりかえせるような時代が到来したのかもしれない。庶民が新しい武器を手に入れたのだ。

 自意識を垂れ流すブログじゃなくて、意味のある情報発信ができる時代だ。

「平松さん、大変ですよ」

 そこへ夏美が息を切らせながら走ってきた。

「平松っ! すげえことになってるぞ!」

 夏美の後ろからは、安藤も続いている。

 二人とも余裕がない顔だ。俺は何かろくでもない事件が起きたのかと想像してちょっと寒気がした。

 加世はそれじゃあねと言って、気を利かせて立ち去った。もう少し加世と話したかった気がするが、タイミングが悪いなあと残念に思いつつも、夏美に顔をむけた。

「なにがあったんだ?」

 夏美は珍しく興奮している。真っ赤な顔でまくしたてた。

「完成した動画をアップしたら、再生回数がすごいんです!」

 夏美のスマートホンをのぞくと、完成した青い鳥の動画がある。再生回数は、合計二千回をこえている。

「今日アップしたばかりなのに、こんなに見てくれている人がいるみたいです」

「信じられないな」

 俺は喜びよりも先にショックを受けるほうが先だった。

「やっぱ俺の魅力のおかげだよな! 俺がいたから、こんなにうまくいったんだぞっ!もっと俺に感謝しろよ! これからは、お前らには安藤様って呼んでもらいたいね!」

 安藤が大笑いしながら、いつもの自画自賛をはじめた。俺は無視して動画を再生させる。

 最初はゆっくりと公園の全景を映し出す。

 公園は見晴らしがよかった。撮影のイメージにはピッタリの場所だった。

 工業団地と田舎の同化した景色がなかなか風情があって良い。

 この撮影シーンは寒かったなと俺は思った。

冷たい風が吹いて、指先がかじかんで、痛みに震えた。

カメラは景色を映した後、俺達三人を映した。俺と夏美と安藤が仁王立ちしている。ここでイントロが流れる。ドラムロールの音が響き、ギターとベースの演奏が始まる。

 安藤がマイクを握り、歌い始めた。安藤の歌はくやしいが見事だ。激しいリズムのパンクロックの曲を、乱暴で力強い声が表現している。 

(風に舞う花びら)

(もくもくと息を吐く煙突)

(綺麗なもの汚いもの たくさん見てきて今のオレがいる)

早咲きの梅の花弁が舞う。風に乗って静かに猫の足元へ落ちる。

煙突がもうもうと煙を出す工業団地の面前。公園に三人は座りながら、上を見た。

今にも泣き出しそうな空だった。

(涙を拭いて)

(追いかけるんだ)

(オレ達のいるこの世界から飛び出した幸せの青い鳥を)

ポツポツと雨が降り始める。

雨の降る中、三人はバンド演奏を始める。

土砂降りの雨の中、安藤はがなる。平松はギターを。夏美は五弦ベースを弾いてみせる。この雨は合成だ。少し安っぽい感じがするが、我ながらうまくできていると思う。

はっきりと合成がわかるシーンだが味がある。

このシーンはリテイクを繰り返していた。

安藤が思うように動かなくて目標とする映像が撮れなくて、イライラしたっけ。

夏美もカメラに水をひっかけていたっけな。安いカメラでの映像だが、他と遜色のない解像度を保っている。前のシーンで合成をしたことで、映像全体のトーンの調整がうまくいったというのもある。

空を見上げると、青い鳥が飛んでいた。鳥に目を奪われる三人。鳥は猫の上に飛び乗り、

ゆっくりと体が透けていって、消えた。

(前だけを見つめて走ればきっと追いつくさ)

(幸せの青い鳥の背中に)

(だから今はただ、一歩踏み出せ)

三人は歌をバックに、猫を追いかける。まるで幸せの青い鳥を追いかけるかのように。猫も全力で逃げる。

ここは歌のサビの部分だ。安藤の歌により激しく力がこもる。

この男は歌に関してだけは、才能はある。外見と性格は最悪だが。でももう三十路だし、歌手としての芽は出ないだろうな。

(この激しいメロディを叫ぶほどの怒りなど今はもうないから)

(身を焼くほどの苦しみも悲しみも怒りも、ゆっくりと息をするのをやめていく)

歌いながら、追いかける安藤。俺と夏美も追いかけるが、機材が重くて追いつけない。

 ここは安藤が百点満点の男を目指すために必死で走ったシーンだ。ここもうまく撮れている。安藤が必死に走る様子を撮れたおかげで疾走感が出ている。

映像はタイミングと計算と偶然の三つがそろわないと良い絵は撮れないのかもなと思う。

(落ちた太陽がゆっくりと世界を燃やす時)

(もう一度飛んでくれ、幸せの青い鳥)

(炎なんかに燃やされたりしないで)

安藤があと一歩で、猫を捕まえられる。塀の隅に追いやった。

その瞬間、猫はハイジャンプをして、塀から塀までの距離を飛び越える。

もう追いつけない。三人は息を切らして、立ち止まる。

このシーンは追加のシーンとしてあとで挿入した部分だ。

安藤が一度、チームを抜けて再び結成した時に撮影したのだ。

やはり、猫のジャンプシーンを入れて正解だった。

このシーンを入れたことで動画のマンネリ化が破壊されて新しいスパイスになり、ぐっと魅力を増している気がする。

ジャンプの挿入部分はうまくつないであると俺は感心した。

曲と動画のタイミングがぴったりとあっているのだ。

夏美の編集技術は出会ったときとくらべると、数段上になったように思う。

夏美とチームを組めたことはラッキーだった。

三人が空を見上げるといつのまにか雨は晴れていた。快晴だった。 

最後のサビに入る。安藤の声に力が入る。体中を共鳴させ、ビリビリと地面が震えるかのような発声だ。

自己流とは思えないパワー感のあふれるシャウトが響く。

(振り返ったって、何もない過去に縛られるな)

(ただ前だけを見つめて走れ)

(幸せの青い鳥を追って)

雨降りの後の空には、嘘らしいほどきれいな虹がかかっていた。

事前に用意をしておいた虹の素材は想像以上によく映えた。

幸せの青い鳥を追うその先にある虹。その意味を見る人には考えてほしい。

映像は路上でのバンド演奏シーンを映した。これ以上ないくらい暴れる俺達の演奏もじきに終わる。三人それぞれの考えた決めポーズ。演奏の終わりを伝えると同時に、カッコよく映像を終わらせるための最後の仕掛け。

このシーンも繰り返し撮ったかいがあった。バラバラなポーズを決めた映像の中でさえ不協和音のない終わり方をしていると思う。

最後にパラドックスというロゴが映って、映像は終わった。

 編集の終わった動画を見た夏美は感動していた。今までよりも完成度が上がっていることに興奮していたのだ。ここまでうまくいくとは俺も思っていなかった。

「見た人からのコメントもけっこうありますよ。みんな気に入ってくれたみたいです。  ゴッサムシティを救ったバットマンみたいな気分ですね」

 夏美は興奮していた。俺もなんだか体に力がみなぎるのを感じていた。夏美の気持ちの高ぶりがうつったのだろうか。 

 夏美は笑った。お日様みたいな笑みだった。陰りの一切ない笑み。

 こんな表情ができたんだな。もしカメラがあったらこの笑顔を映すのに。そう思った。  

夏美は本来。こんなふうに表情豊かな少女なのかもしれない。

 無表情で無感情なのは、無理して演じているのかもしれない。 

 もっと笑顔で生きていけばいい。そうすればもっと明るい人生が待っているはずだ。

「次のPVでは、俺の顔をアップで三時間ぐらいずっと写してくれよ! そうだ! 今度は俺の魅力を表現する歌を作詞作曲したらいいんじゃないか? 俺のかっこよさと優秀さにショックを受けて、全人類がションベンちびりまくるようなものをさ!」

 安藤も大はしゃぎしながら、わめきちらしていた。

 たぶん、安藤が日本の国の独裁者になるような権力をにぎらないかぎり、そういう動画を撮ることはないだろうなと俺は思った。

「よし、また、このメンバーで動画を撮ろう!」

俺は仲間たちに力強く呼びかけた。

「もっと有名になってやろうぜ」

 安藤と夏美はおおきくうなずいた。


  三


 ある春の日。三月中旬。 

 長かった冬は終わり、ぽかぽかと暖かい季節がやってきた。

 土曜日。天気の良い午後。俺は夏美と、安藤の三人で磐田市の郊外を走っている。

 俺はいつものトレーニングウェア。夏美は高校時代のジャージの上下。

 安藤はだらしのないスウェット姿だ。

チームの結束を固めるためと体力作りのために、週に二度ほど、三人でランニングをすることになったのだ。十分も走らないうちに、安藤は根を上げた。

「もう、俺はだめだっ。つかれた。もう走れねえー。俺みたいな魅力的な男がなんでこんなことしなくちゃならねんだよー。バカみてえだ」

 安藤は立ち止まると、ぜいぜいと荒い息をしていた。

「しょうがないやつだ。おいていくぞ」

 俺は夏美と二人で走り出す。風が心地よい。三月になると急に気温があがり、汗ばむような陽気だった。数分もしないうちに今度は夏美がぼやいた。運動不足の娘に長距離走はきつかったらしい。

「わたしもだめです。もう走れません」

「よし、そろそろ、休憩をするか」

 俺は立ち止まった。ふだんから、体を鍛えているのであと十分ぐらい走れそうだったが、夏美にあわせてやることにする。いつの間にか川原に出ていた。桜並木が見えた。今の時期。桜は八分咲きだった。シートを敷いて酒盛りをしている人たちもいる。 

「動画に使えるかもしれないですね」

 夏美はスマートホンを取り出して、桜並木の撮影をしはじめた。

「バイトのほうはどうだい?」

「楽ですよ。私みたいなコミュ障には、ネカフェで働くのがあっているみたいです。給料安くても、こういう仕事ならつづけられそうですね」

 夏美はスマートホンの画面に視線を向けながら答えた。

 夏美は高校を卒業をした後。進学はしなかった。就職もしなかった。今は磐田市内のネットカフェでアルバイトをしている。

 安藤は、前と同じように日雇い労働をしながら、あいかわらず歌で食っていく道を模索しているらしい。チームに再加入してからは、少しはひかえめな態度になり、反抗することは少なくなったような気がする。 

 ……あんまり、変わらないような気もするが。

 俺は弁当屋にアルバイトが決まった。給料は安いが無職ではないということができる。

また、無料の職業訓練学校に行こうかと検討している。希望としては……正社員の仕事が見つけられればいいと思う。でも、心のどこかでは、もう無理だろうという気もする。

 全員がまともな仕事がなく、貧乏だった。 

 これからは、会社で奴隷のようになって働くことはないだろうとは思う。

会社とか金とか出世以外のことに、目標を持って、生きていかねばならないのだろう。今までの俺は、古い価値観に縛られすぎていたような気がする。

 この先。どうなるのか、わからない。金も仕事も不安定だ。貧乏になるのは確実だ。 

 しかし、貧乏でも無理して働かない分、健康で長生きができるような気がする。

 これからも三人で動画作りをして、発表をしていくつもりだ。

何か物作りをしたいと思うのだ。自分たちで世の中に、情報を発信したいのだと思うのだった。

 自分たちが見聞きした体験を、何らかの記録に残しておきたいと思うのだ。

 幸運にも、動画は好評でいくつかメールをもらった。

 俺たちの作った動画が気に入り、無名のインディーズバンドから連絡が入った。自分のたちのバンドのPVを作ってほしいとのこと。

 報酬は五千円以下しか払えないそうだが、ありがたい話だ。こうした小さな一歩をつみかさねていきたいと思う。

 ハローワークからは三カ月分の失業給付金が出る。

 幸いにも会社都合で会社を辞められたので、翌月には金をもらえた。後二カ月。

 俺の真の意味での勝負はそこから始まる。 

 俺は鈴原にメールを送った。

『久しぶり。最近、元気でやっていますか? また動画制作を始めました。鈴原にも見てほしいんだ。俺の動画のリンクを添付するから、また気が向いた時にでも見てください。

東京での生活も、お仕事もがんばって。影ながら応援してます。それでは』

 鈴原とはつかずはなれずの関係で付き合う事にした。

 もう恋愛対象としては見ていないが、完全に絶交すると、鈴原が音楽ライターになった時に紹介してもらえない恐れがある。コネクションは多いに越したことはないし、お互い様の打算があったっていいだろうと俺は思う。これからはきっとフリーランスでも生きていけるようなスキルを身につけていかないとダメだろう。

おれはもう一度、動画を撮り始めた。それで食っていけるかわからない。安定もしない。でもそれでも一度きりの人生で自分のやりたい事をやっていきたい。

 これまでの人生とはサヨナラすることにした。

「そういえば。平松さん、ほんの少し、やせましたね?」

「え? 本当かい?」

 夏美の問いに聞き返すと、夏美はバカにしたように笑いながらこたえた。

「ほんの少し、百グラムぐらい、お肉がへったような気がしますよ。まだまだ、ぜんぜん太っていますけどね」

 グサリと突き刺さるような言葉。真実をつかれて、俺がうめいた。

「よし、じゃあ、アラサーデブ男とティーンエイジャースリム少女で五十メートル走の勝負だ。負けたほうが、ファミレスでおごりだぞっ!スタート!」

 俺は走り出した。

「まってください。そんな勝負うけられません」

 後ろから、夏美の声と足音が聞こえてくる。桜並木に入った。風が吹いて、桜の花びらが舞う。飛んできた花びらの一つが俺の顔についた。

手の平で取ったあと。おれは思った。人の命もこんなふうに短いのかもしれないな。だとしたら、いつ死んでもいいように、後悔のないように、毎日を全力で生きてやろう。

そんなことを思いながら、春の街を走りつづけたのだった。

 けっして良い事ばかりじゃないが、今はまっすぐ前を見て走りたい。

 何もかもがうまくいくわけじゃないけど、人生なんてそんなもんだ。 


                     『新世代シネマシティ・完』

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新世代シネマシティ 高見もや @takashiba335

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