第19話 大切なもの
「どうしちゃったんだろう? 二人とも……?」
状況がよくわからない瑞樹ちゃんが、不思議そうな顔をしている。
「はい。沙也さん。これ飲めますか?」
首をかしげながら、冷えたペットボトルの蓋を開け私に差し出した。
「あぁ。ありがとう」
ペットボトルのミネラルウォーターが、冷たくてとても美味しい。
「大丈夫ですか? びっくりしちゃいましたよ。急に大貴さんの声がして振りかえったら沙也さん倒れてて」
「心配かけちゃったね」
「具合悪いなら、言ってくれればよかったのに」
「ごめんね。昨夜、なんか眠れなくって……。それで……」
「眠れなかったって? どうしたんですか?」
瑞樹ちゃんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「なんか、色々考えてたら……」
「眠れないほど何を考えこんでたんですか?」
「うーん。帰ったらまた仕事探ししなくちゃなーとかね」
「そうか……」
瑞樹ちゃんが小さくため息をつく。
「確かにここが終わったら、現実の世界に戻らなきゃいけないんですよね私達」
現実の世界という言葉が、胸にぐっとのしかかる。
「とりあえず、今は何も考えないで、もう少し休んでた方がいいですよほら」
瑞樹ちゃんに促され、私は起こした身体をもう一度ゆっくり倒した。
よく見ると、私の身体の下には誰かの上着が敷かれていて、畳んだタオルが枕代わりにされている。
(これ、どっちも大貴さんのだ)
目を閉じると、かすかに大貴さんの匂いがした。
(大貴さん……どうしちゃったんだろう)
さっきの様子は明らかに変だったけど、ちゃんとした理由がわからない。
「沙也さん。……これ大貴さんが濡らしてきてくれたから、これで少し冷やしてくださいね」
瑞樹ちゃんが私のおでこに濡れたタオルを、そっとのせてくれた。
目をつむったまま、タオルの冷たさを感じながら呼吸を整えるようにゆっくり息を吐く。
すぐに、私が倒れたことを聞いたスタッフの人が駆けつけて来てくれたようで、瑞樹ちゃんが事情を説明してくれている声が聞こえた。
私は、一度ホテルに帰って休むように言われ、そのスタッフに車で送ってもらうことになった。
「じゃあ、私は作業に戻りますね。沙也さんの分までしっかり収穫してきます! だから沙也さんはバーベキューには参加できるように、それまでしっかり休んで体調を整えて下さい」
「ありがとう。お言葉に甘えてそうさせてもらうね」
瑞樹ちゃんは、元気に手を振って畑への方へ戻って行く。
結局、大貴さんと祐太さんの姿は見当たらず、その時は会えないまま私はスタッフと一緒にホテルへ戻った。
―― ホテルの部屋に戻り、ベッドに寝転ぶとすぐに眠りに落ちた。
「ごめんね。沙也ちゃん。俺やっぱり待てないや……」
どこからともなく声が聞こえてくる。
振り向くとが悲しそうな顔して大貴さんが立っていた。
「え?」
「沙也ちゃんは、結局俺のこと好きじゃないんでしょ?」
「違う。そんなこと……」
「もう、いいよ。無理しなくても」
「私、大貴さんのこと……」
「……じゃあね」
大貴さんはそういうと、私に背を向け去って行ってしまう。
「待って! ……待って」
そう言って追いかけようと思うけど、身体が動かない。
「大貴さん。待って! 」
何度も叫んだけど、大貴さんの姿はどんどん遠くなり消えていく。
……嫌な夢を見た。
『おちおちしていると、大切なものを失くしますよ。』
瑞樹ちゃんの言葉がリフレインする。
大貴さんに気持ちを伝えたといっても、ちゃんと「好き」と言ったわけじゃない。
それどころか、まだ待って欲しいととわがままを言った。
大貴さんの気持ちを考えると、なんて勝手な話なんだろうと思う。
(私って、何様って感じだよね)
相手が好きでいてくれることに驕った、身勝手な要求だ。
(少しだけ待ってって言ったけど、その少しっていったいどの位?)
自分で自分の言ったことにツッコミを入れたくなる。
早くしなければ、本当に大貴さんは待ってくれなくなるのではないだろうか。
そもそも、この乗り越えられない壁は、本当に時間が解決してくれるというのだろか?
そこを自分でクリアにしない限り、大貴さんとは……お付き合いなんてできない。
(でも、どうやったら、乗り越えられるの?)
焦っても仕方ないけど、早くなんとかしないと本当に大切なものを失くしてしまうという不安がぬぐえなかった。
お昼もを過ぎた頃、畑作業が終わった瑞樹ちゃんから連絡があり、私の部屋まで様子を見に来てくれた。
「沙也さん。少しは眠れましたか? ご飯食べられます?」
スタッフの人に特別に許可とり、厨房でおにぎりを作ってもらって持ってきてくれたようだ。
「ありがとう。もう大丈夫。一眠りしたからだいぶん楽になった」
「よかった。じゃあこれ食べて元気になってください」
小さなおにぎりが二つとお漬物がのったお皿が、部屋のテーブルの上に置かれる。
「うん。ありがとう。いただくね」
私はベッドからから起き上がりおにぎりを一つ手に取った。
それは、私の好きな塩おにぎりだった。
「美味しい。このシンプルさがたまらないんだよね」
「よかった沙也さん。顔色もだいぶんよくなった」
「心配かけちゃってごめんね」
おにぎりを一口食べながら、瑞樹ちゃんの顔をちらっと見た。
瑞樹ちゃんは、やれやれといった顔をしてクスっと笑う。
「ねぇ沙也さん。仕事のことだけじゃなくて、他にも心配なことあるんでしょ?」
図星すぎる指摘に、おにぎりを思わずごくりと飲み込む。
「……瑞樹ちゃんには、やっぱりバレちゃうよね」
「沙也さんって、わりと分かりやすいですよ。顔に書いてある」
「え? 本当に……」
可笑しくなって二人で顔を見合わせ笑ったが、すぐに真剣な顔になった。
そして私は、大貴さんに気持ちを伝えたこと、彼が待ってくれると言ってくれたことを話した。
「ねぇ、どうやったら乗り越えられると思う? このままじゃずーっと大貴さんのこと待たせ続けてしまって、最後にはあきれられて嫌われちゃうかもしれない」
「それが、一番の不安なんですね」
「ん……。自分でもどうしていいか分からない」
私のがっくりと落とした肩を、瑞樹ちゃんが両手でがしっと掴む。
二人は正面からまっすぐに向き合う体勢になった。
「沙也さん。それを乗り越える方法はですね……」
「……?」
「ズバリ、一刻も早く大貴さんとお付き合いすることです」
「え?」
「だから、その壁を乗り越えてからお付き合いするんじゃなくて、お付き合いすることで乗り越えられるんです。大貴さんならその
瑞樹ちゃんのそのアドバイスは、私にとっては目から鱗だった。
「そ、そうかな?」
「そうです。間違いありません」
自信満々に頷く瑞樹ちゃん。
「それって、大貴さんに迷惑かけない?」
「そういうことじゃないんですよ。それに、待たせる方がよっぽど迷惑です」
確かに、おっしゃる通りかもしれない。
少し強引なアドバイスのようだけど、それを聞いて少し突破口が見えたような気がした。
「そうだよね……。待たせるっていうのはよくないよね」
「私には、何がそんなに問題なのかよくわからないんですけど、一つだけ言えることは恋愛は怖くないです。傷ついた記憶が邪魔しているのかもしれないですけど、その傷はちゃんと人を愛した証です。沙也さん自信を持ってください」
私の目をじっと見て淡々と話す瑞樹ちゃんの言葉が、ズシズシと心に響く。
「何度も言いますけど、大貴さんはその傷を癒してくれる人だと思います」
「うん……」
「本当に大切だって思うなら……」
瑞樹ちゃんは掴んでいた手を私の肩からゆっくり離しながら、一度だけポンっと軽く叩いた。
「その手から離さないようにしてくださいね」
「うん……そうだね。」
(……瑞樹ちゃん。ありがとう)
”人を愛した証”
この癒えない心の傷の痛みを、マイナスな方にしか捉えてなかったけれど、そう思えばこれはある意味勲章なんだと思った。
瑞樹ちゃんの言葉が私に大きな勇気をくれた気がした。
この留学が終わって帰る前に、もう一度大貴さんと話をしたい……。
話さなくっちゃ! 大切なものをなくさないために。
そう決心したのに……。
――夕方のバーベキゅー大会に大貴さんは姿を現さなかった。
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