第17話 愛おしい
──人のぬくもりが、こんなに安心できるなんて
大貴さんの腕の中にすっぽり包まれ、私はなんの抵抗もなく身をゆだねた。
高鳴る胸の音がドキドキが周りの音が聞こえないほど体の中に響く。
「ごめんね。……少しだけこうさせて」
私は、大貴さんの胸に埋もれたまま、首を縦に振った。
ほんのわずかな時間だったけど、私にとってはとても意味のある深い時間だったかもしれない。
ちゃんと、”好き”という言葉が言えなかったことが、少しだけ心残りではあったが、大貴さんに気持ちが伝わったことで気持ちも楽になった。
ほどなくして、大貴さんは私の肩に手をあてゆっくりと身体を離す。
「ごめんね。”待つ”って言ったばかりなのに……。気持ちが抑えられなかった」
「ううん」
(私も……今そうして欲しかったよ……)
大貴さんに気持ちを伝えられたこと、そして優しく抱きしめられたことで、がちがちに固まっていた心が、ふわりと緩んだような気がした。
ただ、胸の鼓動だけはまだトクトクと高鳴っている。
人を、好きになるという感覚がこういうものだったと改めて思いだす。
だけど、学生の頃感じていた恋愛の感覚とはまたちょっと違うような気もした。
言葉に代えがたいけれど、しいて言えば……
『愛おしい』
相手に何かを求めるというより、ただただこの時間と空間を共有できることが嬉しく、そして包まれるような安心感を得られた。
何気にお店の建物の裏を見ると、遊歩道が奥へと続いているのが見えた。
どちらからともなくそちらの方に歩いて行くと、少し古びた小さな道標が立っていて、そこには「展望広場→」と書いてある。
建物の裏手とあってこの遊歩道の存在に、気づく人はあまりいないようだ。
「ヘー展望広場だって」
大貴さんはこの先に続く道に行ってみたいという表情をして目を輝かせている。
そして、私に「行く?」という視線を送ってきたので、私は小さく頷いた。
そのまま、二人並んで道標の指す方へ歩き出す。
もともと高台にあるお土産屋さんから、さらに少し上に登った位置にその広場はあった。
道は雑木林の中をくぐるようにと通っていてまるで緑のトンネルのようになっている。
展望広場までは、ゆっくり歩いてもそんなには時間はかからなかった。
緑のトンネルの終わりに立てられた「展望広場」の看板の横を過ぎると、視界がぱぁーと広がる。
遠くの海、たくさんの緑、その合間に見える街並み。
この街のいい所が全部見渡せるような場所だ。
「気持ちいいー」
「空気も美味しいね」
この景色を眺めながら、二人で、両手を広げ大きく深呼吸をする。
その時、大貴さんのスマホの呼び出し音が、ポケットから響いてきた。
「あ、祐太からだ。……沙也ちゃん、もう大丈夫?」
電話に出る前に、大貴さんは私のことを気遣ってそう聞いてきた。
「……うん」
まだ身体がふわふわとしている感じだったけど、緑にかこまれた新鮮な空気を吸いながら歩いたせいか、だいぶん気持ちも落ち着いた。
私の様子を確認すると、大貴さんは祐太さんからの電話に出る。
「もしもし? ああ、ごめんごめん。……今ね、展望広場にいるよ。お店の裏から道があってすぐに着くから、祐太たちもおいでよ」
電話を切ってまた私の顔を心配そうに見た。
「もう、大丈夫だよ」
私が笑顔でそう言うと、大貴さんも安心したように微笑んだ。
「でも、私の顔、ボロボロ?」
さっき少し泣いてしまったから、顔がボロボロじゃないかなとちょっとだけ気になった。
「ううん。かわいいよ。沙也ちゃんの笑顔は僕の癒しだな」
「え……?」
そんな言葉に、また胸が高鳴る。
「そんなこと言われたら、また嬉しくって泣いちゃうから」
「あ……ごめん。今は泣かないで」
「ふふ。わかってるよ」
さっきのことは、まだ二人だけの秘密にしておきたかった。
きっと、大貴さんもそう思っているのだろう。
もうすぐここにやってくる祐太さん達にも、今のところ言わずにおこう……二人は同じ気持ちだった。
「いたいた。姿が見えなくなったから、どこ行っちゃったかと思って心配したよ」
しばらくして展望広場まで来た祐太さんが、私たちの姿を見つけほっとした顔をした。
「ごめん。先にお買い物終わってお店の周り散策してたら、ここの道見つけて。ね」
大貴さんがとっさについたウソに私も話を合わせる。
「うん。そうそう、展望広場って看板見つけたから気になって。ね」
祐太さんの後ろで、瑞樹ちゃんがキョトンとした顔して私たちを見ている。
もしかしたら、瑞樹ちゃんには、なんとなく勘づかれているのかもしれない。
「それに、二人が楽しそうにお買い物してたから邪魔しちゃいけないと思って」
大貴さんが、祐太さんをからかうように言うと、
「え? いや、邪魔って……」
祐太さんが顔を赤くして、急に焦りだした。
大貴さんは、クスっと笑って祐太さんを肘で軽く小突く。
「わぁーそれにしても、いい眺めだね!」
祐太さんが、話を逸らすように視線を景色の方へ向け、みんなもつられて同じ方を向いた。
「本当だぁー」
祐太さんの少し後ろから、瑞樹ちゃんも身体を横に乗り出すようにして目をキラキラさせている。
海もあって、緑もあって、その自然と上手に共存している人々が営む街がある。
そんなこの街がのことが、きっとみんな大好きになっている。
「素敵な街だよね。この田舎留学に参加して本当によかった」
私の言葉に、みんな揃って頷いた。
「この留学が終わっても、またみんなで会いたいです」
瑞樹ちゃんと……
「そうだな。みんなで時々会えたらいいね。みんなで時々ここに遊びに来るっていうのもありだよね」
祐太さんと……
「同窓会ってことで、この街で時々集まろっか?」
そして……大貴さんと……
出逢うために、ここに来たのかもしれない。
ちょっと、気分転換にと思って参加したつもりの今回の田舎留学で、私は人生の中でとても意味のある大切な出逢いをした。
改めてみんなの顔を見てみる。
みんなも、キラキラとした笑顔でお互いの顔を見ていた。
「沙也さんは?」
「もちろん! また会いたいよ!」
さわやかな風にきらめくこの景色をしばらく眺めながら、みんなで同じ気持ちを確かめ合い、次の目的地のカフェへ向かった。
このカフェに来たのは、二度目だ。
前回、大貴さんと二人で来た時に気になっていた、自家製アイスのパフェを食べるのを楽しみに来た。
「いらっしゃいませ」
窓際の席に着くと、中年くらいの女性がお水とおしぼりを運んできた。
このカフェのオーナーの奥さんと思われた。
改めて店内を見たところ、店員さんはその二人しかいないようだったが、この位の広さのカフェならなんとか回せるのだろう。
あまり広すぎない、この空間がとてもアットホームで居心地もいい。
奥さんが、おしぼりをテーブルに置くと、私と大貴さんの顔見た。
「あら、この前も来てくれてたわよね。ここには旅行できてるの?」
「はい。旅行というか……、みんな『田舎留学』に参加しているんです」
大貴さんがそう答えた。
「ああ、あの町おこしでやっているあれね。前にそういう企画があるって聞いてたけど、もう始まったのね」
「はい。俺らは第一期生です」
「そう。そうやってたくさんの人たちがこの街のこと知ってくれのは嬉しいわ」
「ここは、素敵な街ですよね」
私がそう言うと、奥さんはとても嬉しそな笑顔になる。
「田舎だけどね、とてもいい所よ。実は私たちも移住組なのよ」
そう言って、奥さんはカウンターの向こうにいるオーナーを見た。
それに気づいたオーナーが小さく会釈をする。
「旅行の途中でたまたま立ち寄ったこの街が、私も主人もすごく気に入って……それから何度か遊びに来てる内に、ここに住みたいって思うようになったの。色々迷ったけど、思いきって私も主人も脱サラしてここに移住してきたのよ」
話が聞こえたのか、オーナーは少し照れ臭そうに笑っている。
その顔はとても幸せそうで……サイフォンから漂うコーヒーの香りも、なんだか幸せの匂いがする気がした。
「あぁ、いいなぁ。そういうの。俺も田舎暮らしにあこがれているですよ」
そういえば、祐太さんは最初の自己紹介の時にそんなことを言っていた。
「祐太さんなら、きっと夢実現できると思います」
すかさず、瑞樹ちゃんが祐太さんの夢の後押しをする言葉をかけた。
「うん。ありがとう。頑張ろうっと」
祐太さんが嬉しそうに頷いた。
「あら、じゃあぜひ、この街に移住しておいで。待ってるわよ」
奥さんは笑顔でそう言うと、オーナーが淹れたコーヒーを先に来ていたお客さんの所へ運びに行った。
瑞樹ちゃんの祐太さんを見ている時の表情がとても可愛く、視線にも愛情を感じる。
きっと、瑞樹ちゃんも祐太さんのことがとても『愛おしい』のだろうと思った。
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