第12話 クリアにならない心の傷
何度目の「ごめん」かわからないほど、今日はこの言葉を繰り返している。
「いいって。……俺の問題だから。沙也ちゃんは何も悪くないよ」
「けど……」
私もテーブルの上のアイスティを少し飲む。
だいぶん氷も溶けてしまって味が薄まっていたけど、今の私のはその薄まったさっぱり加減が心地よかった。
「けど、私、告白する人間違っちゃったてことだよね」
「……?」
「こんなに素敵な人が、すぐそばにいたのに気が付かないなんて」
「え!?」
”素敵な人”そう思わず言ってしまった私のことを、大貴さんはハッとして目を開いた。
私も、そう言ってしまったことが急に恥ずかしくなり頬が熱くなった。
「あ、でもごめんなさい。大貴さんのことすごく素敵な人だと思ってるけど、えっと、あの……」
慌てる私を見て、大貴さんはクスっと笑った。
「いいよ。そう言ってくれるだけで俺も嬉しい。でも……何かを期待してるわけじゃないから」
(何かを……? の何かというのは、つまり?)
大貴さんは窓の向こうに広がる海に視線を移す。
「はぁ~沙也ちゃんに言えてすっきりした」
「あの……?」
私はこの話には、続きがあるとはずだと思った。
「ん?」
「何かを期待って……?」
「あぁ、期待っていうか……つまり俺が沙也ちゃんと付き合えるんじゃないかっていう期待ね。……あーもう、なんか恥ずかしいなぁ」
大貴さんはそう言いながら、照れ臭そうに横に顔を向ける。
そう言わせてしまった、自分も一緒に恥ずかしくなり、頬や耳までも熱くなっていくのがわかった。
「今回沙也ちゃんとこうして再会できたことは本当に奇跡だと思った」
大貴さんは、また私の方に視線を戻し少し首を傾げる。
「こんなこと突然言われても困るかな? ごめんね。沙也ちゃんにとっては、俺の記憶はほとんどないわけで、ていうことは、会ったばかりの男に、突然思い出話をされて、好きだったって言われた状態だしね……」
(好き……でいてくれたんだ。こんなワタシノコト)
私は小さく首を横にふる。
「……。困るというか……」
『好き』という言葉が嬉しい反面、どう返事していいのかわからなかった。
この数日間で、私も大貴さんに惹かれている自覚があった。
でも、そんなに人を簡単に好きになるはずはないという、自分の気持ちを否定している部分も大きい。
「大貴さん。ありがとう。そんなに私のこと思ってくれてた人がいたなんて」
「それとね、あの時の俺を打破したいっていうのもあるんだ。それは沙也ちゃんに、ちゃんと気持ちを伝えること。結果がダメでも、それは覚悟してる」
大貴さんは、すっと背筋を伸ばし私の方を真っ直ぐに向き直し息を大きく吸う。
「沙也ちゃん……。好きでした。本当はあの時、この気持ちをちゃんと伝えたかった」
まっすぐに私の顔見ていう、大貴さんの視線を逃げずに受け止めるのに必死だった。
「あ、ありがとう……あの……」
そこまで言って私はその先の言葉が出てこない。
「いいんだよ。フラれる確率の方が断然大きのもわかってる」
「……」
(これって、過去の清算だけじゃなくって……今もってこと?)
その、判断が難しく、どう答えていいのかわからなかった。
「あの時のことがあって、結局沙也ちゃんに何もしてあげられなくって……もう諦めていた。でも、あれからどんな女性と出会っても、好きという感情が持てなくって……誰とも恋愛が出来なかったんだ」
(あ……私と同じだ)
あの時のことで、立場や思いは違うけど、同じように苦しんでいる人がいた。
今回その人とこうやって再会できたということは、本当に奇跡なのかもしれない。
「沙也ちゃんとまたこうやって会えたってことは、神様がもう一度チャンスをくれたのかもしれないって。今回こうして会えて気づいたんだ。諦めてたはずなのに……俺は、あの時からずっと好きで、本当は諦められてはいなかったんだって。だからあれ以来、他の人は好きになれなかったんだって」
そう、大貴さんにゆっくり穏やかに、思いを告げられる。
(これって……やっぱり告白? ってことだよね?)
「大貴さん……。えっと……」
言葉を探す私を見て、大貴さんが優しい包むようにふわっと微笑んでくれる。
「……困らせちゃったね。まぁ、失恋覚悟で言ってるから、気を遣わなくっていいんだよ。フラれても、それはそれで俺の心にはちゃんと決着がつくから」
叶えられなかった告白をすることで、きっと大貴さんはこの数年間のモヤモヤとした気持ちを整理したいのだということは分かった。
そして、今も私に思いを寄せてくれているということも……
「あの……そうじゃなくって」
「……?」
「私……怖いの。……人を好きになるのが」
必死で自分の気持ちを……本当の気持ちを探して出てきた言葉がそれだった。
「……怖い? の?」
「あの時以来、誰も好きになれなくって。誰かを好きになって、お付き合いして、幸せなになれても、でもそれがいつか壊れて……また傷つくなら、最初から好きにならない方がいいって……」
「……そうか」
大貴さんが小さくため息をつく。
「ごめんね。今は、まだ人を好きになれそうにない。それが大貴さんであってもそれ以外の人であっても」
大貴さんは、そんな私の言葉をしっかり受け止めてくれた。
私も、自分ですべて消したつもりだったのに、本当は何も消えていなくて、あの時のことがしっかり私の心に深く傷をつけ、癒されることなくここまで来てしまった。
傷の痛みのせいで、自分の心をコントロール出来ない。
二人の間に一瞬、静かな時間が流れる。それはほんの数秒の時間だったけど、私にはもっと長く感じられた。
こんなこと、言ってしまってどう言う返事が来るのだろう?
もしかしたら、好きなのかもしれない相手に、言うべきことじゃなかったのかもしれない。
でも、大貴さんは優しく一言だけこう言った。
「辛かったね」
大貴さんのその一言に、胸の奥からぐっとこみ上げてきて、たまらず溢れた涙が頬をつたう。私は、言葉にできずそのままコクリと頷いた。
泣いている私を大貴さんはしばらく、何も言わずそっと見つめていてくれた。
その視線に、深い深い優しさを感じる。
数分後、涙もやっと収まりふと窓の外を見ると、太陽の位置も傾き、降り注ぐ光もだいぶん柔らかくなっていた。
「とりあえず、そろそろ帰ろうか」
大貴さんは私が少し落ち着いたのを見計らって、テーブルの上の伝票をつかんだ。
「うん」
「大丈夫?」
「うん」
会計を済まし外へ出ると、心地よい風が頬をかすめた。
「素敵なお店だったね」
「うん」
大貴さんは私の気を紛らわすように、何事もなかったように話かけてくる。
「また、今度時間空いたら来たいね」
「うん。今度来た時は自家製アイスのパフェ食べてみたいな」
お店のメニューに載っていて、気にはなっていたが今日は色々考えてやめておいた。
「あ、あれね。俺も気になってたんだ。今日食べればよかったのに」
「ううん。今日はね……。また今度来た時に」
また来られるかどうかはわからなかったけど、きっと来られると期待してそう答えた。
自転車に乗り、来た道を走りだす。
道路向こうに広がる海に、傾きかけた太陽の光がキラキラと反射して綺麗だ。
さっき通ってきた交差点を曲がったところで、海の景色とはさよならしてそのままホテルまでさっそうと自電車で走り抜けるつもりだった……。
けれど、曲がってすぐに思わずブレーキをかけて止まってしまう。
「あ……」
「あちゃ~」
二人でほぼ同時に声を出し、顔を見合わせた。
当然のことだが、来る時には下りだった坂道は、帰りは上って行かなくてはいけない。
自転車でこいで上るには少々斜度が高そうだ。
「行きはよいよい……。帰りは……」
「上り坂……だね」
二人で、クスクスと笑いながら、自転車を降りて押しながら歩き出した。
「しょうがないね。沙也ちゃん歩くの大丈夫?」
「うん。このくらいは全然平気」
それに今は、もう少し大貴さんといたい気分だった。
ゆっくり歩いて帰るということは、その分一緒にいられることになるのは少し嬉しかった。
「一方的に俺の気持ち伝えてしまって、ごめんね。期待してないとか言ったのに結局好きだとか言ってしまって」
すまなさそうに言う大貴さんの顔を見ながら私は首を横に振った。
「ありがとう。でも……」
「わかってるよ。急がないから……いつか気持ちが落ち着いたらでいいから。俺のことアリかナシかだけ教えてほしい。答えがどっちでも、俺は、大丈夫だから」
「……うん」
胸のドキドキが高まっていく。
それは、この坂道を歩いて上ったせいだけでなさそうだった。
なのに、まだ私には本当に彼に恋をしているのかどうかがわからない
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