第11話 霞んだ記憶の真実

「覚えてないよね。……ていうか、沙也ちゃんの記憶の中にはきっと俺は存在してないんだろなぁ」

「……ごめん。何もわからない。大貴さんは私のこと前から知ってたこと?」

「そういううことになる。こっちこそごめんね。……気持ち悪いよね? 会ってまだ数日の男に、突然初恋の人だっとか、ずっと思ってたとか言われたら引くよね」

 私は大きく首を横に振った。

 相手が大貴さんだったので、気持ち悪いとは少しも思わなかっけれど、ただただ驚きの気持ちでいっぱいだ。


「ずっと……思ってたくれての? 私のこと……?」

「うん。正しくはもう諦めていたんだけど、今回のこの田舎留学で再会して、再びあの頃の気持ちが蘇ってというか……あーごめん。マジで。でもちゃんと話しておきたかった」

 大貴さんは、顔を赤らめ頭をくしゃっとかいた。

「再会? ……えっと、本当に思い出せなくて悪いんだけど。どこで私のこと知ってくれたの?」

 過去の記憶を、できる限り検索してみたけど、大貴さんの記憶がヒットしない。

「それも本当は言っていいのかどうか、迷うところなんだけど」

「言って。そうしないと私のこの辺がモヤモヤのままだから」

「……うん。学生の頃通ってた英会話教室」

「え?」

「中川のことは、もちろん覚えてるよね」

 中川……その名前こそ、あの時お付き合いをして裏切られ、深く傷つけられた元彼の名字だった。

「あ……」

「俺と中川は、大学で知り合って仲良くなって、よく一緒にいたんだ」

「もしかして……?」

「そう。英会話教室の時も一緒にいた」

 私はもう一度、記憶をたどる。

あの頃の記憶は、思い出したくないというのもあって、かすかにしか残っていない。

 でも確かに元カレの隣にいつもいた友達らしき人の姿がうっすらと思い浮かぶ。

(それが……大貴さん? なの?)


もし、そうならあの時の出来事を、大貴さんは全て知っているということになる。

「もしかして、大貴さんは私が中川さんと付き合ってたことも、全部知ってるの?」

 大貴さんは複雑な表情で小さく頷いた。

「いつも一緒にいたからね……嫌でも知ってる」

「そっか……」

 そう言って、私は思わずため息をつく。

(大貴さんは、あの時の哀れな私のすべてを知っているんだ)

そう思ったら、恥ずかしさと、悲しさで胸がいっぱいになった。

「ごめんね。思い出したくないよね」

「みっともない姿見られちゃったんだよね。……哀れな女だよね私。もしかして、同情した? それで好きかもって勘違いしたんじゃ?」

「違う!違うよ」

 自暴自棄な私の言葉をかき消すように大貴さんはそう言った。


「英会話教室に通うようになって、同じクラスにかわいい女の子がいた。いつも笑顔で、友達にも好かれていてる……女の子。俺はその子に一目ぼれしちゃったんだよ。それが沙也ちゃん……。君だった。沙也ちゃんが中川と付き合うよりずっと前のことだよ」

「……何も気づいてなかった。ごめん」

 あの頃、大貴さんと同じ場所に同じ時間、一緒にいたなんて。


大貴さんは、大きく首を横に振りながら話を続けた。

「友達と楽しそうに話してる姿、誰かに英会話を教えてる姿、教室の講師に頼まれて山のようなプリントを落とさないように運んでいる姿とか。いつもでも笑顔で一生懸命で、キラキラ輝いて見えた。きっとみんなに信頼されるいい子なんだろうなって。ろくに話したこともないのに、俺は君の笑顔に惹かれ、本気で恋をした」

 確かに私はよく教室で雑用を頼まれていた。少し英語の得意な私は同じクラスの子に教えてあげたりもしていた。

まさか、そんなところを全部見ていてくれたなんて、驚きでしかない。

「何度も、思いきって声をかけようと思ったけど、なかなかそれが出来なくって、そのことを中川にも相談してたんだ。『学園祭に誘いたい。』って話したらあいつも話に乗のってくれて」 

「……てことは、あの時誘ってくれたのは、彼じゃなくて大貴さんだったの?」

「そう」

 少し寂しげに大貴さんは微笑んだ。いつもの優しい笑顔ではなく、とても寂しげでどこか遠くを見つめているように見えた。

「でも、俺って……こんな感じでしょ? 誘う時にも中川と一緒にいたんだけど、俺がもたもたしてたら、中川が先に沙也ちゃんに声かけたんだよ」

「そうだったんだ……」

 あの時、すぐそばに大貴さんもいたんだ。

こんなに人の記憶は不確かなものなのかと思いしらされる。


「本当は学園祭に来てくれた時に、俺、沙也ちゃんに気持ち打ち明けようと思ってた。でも、沙也ちゃんいつの間にか帰っちゃってて。また次の機会にって思ってたけど、やっぱりモタモタの俺はきっかけがつかめなくって、そしたら……」

「私が先に彼に告白してしまった?」

「……うん」


――この瞬間、私の中の悲しいはずのエピソードが、笑い話になった。――


私は、クスクスと笑いだしてしまった。

「え?」

それを見た大貴さんは、困惑しているようだ。

「そんなに、おかしい?」

「だって……」

 笑い続けながら、なぜか涙も溢れ出してきた。

「馬鹿だよね私。何にも知らないで、彼に告白して二股かけられて」

「ううん」

 大貴さんが大きく首を横にふる。

「俺……あの時まさか中川がOKの返事するとは思ってなかったんだ。だって俺の気持ちも知っていたし、あいつには彼女いたし、沙也ちゃんのこと好きだなんて思ってなっかたから」

「あの人は、きっと最初から私のこと好きじゃなかったんだと思うよ。……たぶん。ちょっと遊びたかっただけなんじゃない。それに気づけなかった私も悪いし」

「……。俺も当然問い詰めたよ。なんで? って。そしたら中川も沙也ちゃんのこと好きになったって言うし、その時付き合ってた彼女とも別れるからって、俺と約束したんだ。……なのに……」

 その約束は、守られなかったことは私が一番よく知っている。

大貴さんは私の心を覗き込むように、じっと目を見つめてきた。

その視線に、思わず胸の奥がキュンとする。

「ずっと、後悔してる。なんで中川のこと止められなかったのか? そもそもなんであいつに沙也ちゃんのこと相談してしまったんだろう。って」

 私を見つめる大貴さんの瞳が、すっと悲しげに視線を落とす。

「俺が早く止めてれば、沙也ちゃんが傷つくことはなかったのに」

 大貴さんは、あの時の自分を責めている……私のために。

「もしかして、あの時のことでずっと苦しんでたの?」

 二人の間に少しだけ間が空く。

大貴さんはしばらく下に向けた視線を、また私の方に向けた。

「あの時、僕が君に思いを告げられなかったことも、中川をのふざけ半分で沙也ちゃんと付き合いを始めたことを止められなかったことも、ずっとずっと後悔している」

 穏やかな口調ではあったけど、その言葉には悔しさが強くにじみ出ていた。

「ありがとう……」って言うべきなのか、「ごめんね……」って言うべきなのか、よくわからない。

「覚えてる? あの日、沙也ちゃんが中川を問い詰めに行った時、俺もすぐそばにいたの」

 そういえば、彼の友達が一緒にいた……ような気がする。

でも正直何も覚えていない。

「ごめん」

「だよね。沙也ちゃんは中川のことしか目に入ってなかったもんね」

「なんというか……その……、本当にごめん」

 本当に視野が狭いというか、彼以外の人の存在が記憶になくって申し訳ない気持ちになった。

「ううん。いいんだ。そこはわかってたから。俺は、自分の恋が叶わなかったことより、大切に思ってた人のことを、いとも簡単に傷つけたあいつのことが許せなかった。あの日、俺は……」

「……?」

「人生で初めて人を殴った」

 大貴さんはそう言いながら、左手で右手の甲を撫でる。

「え?」

「誰かを殴るのは、きっとあれが、最初で最後だと思うけど」

 そう言って、少し複雑な顔しながら笑った。

こんな穏やかな大貴さんが、人を殴る姿は全く想像できない。

なのに、私のことを思って彼のことを……。

「殴っちゃったの? ……私のために?」

「好きな子を傷つけたということが許せなかった。でも……、今思うと自分自身のふがいなさを何かにぶつけたかったのかもしれない」

 私は、ふーっと一息ついて、改めて大貴さんに笑って見せた。

「ありがとう。ちょっと嬉しいかも」

「え?」

「あいつのこと、殴ってくれてありがとう!」

 あの時の私がちょっと救われた気がした。

「あ、いや……お礼を言われるとは思ってなかった」

「ふふっ。なんかね、今の話聞いて私すごくすっきりしたの。あの時の私の悔しさの分まで大貴さんのコブシには込められたんだと思う」

 そういうと、大貴さんのさっきまでの悲しそうな顔がすーっと緩んだ。

「……そうだね。俺が殴るとか思ってなかったみたいで、あいつひっくり返ってすごくびっくりした顔してた」

「え~その顔、見てみたかった」

「かなり拍子抜けした顔してたよ」

 二人で顔を見合わせ笑う。

「でも……ホントにごめんなさい。大貴さんの気持ちに気づいてあげられなくて」

「ううん。もし、告白してたとしても、きっとかなわない恋だったんだと思う。こんなに沙也ちゃんの記憶の中に俺が残ってないってことが何よりの証拠」

 大貴さんはそう言いながら、テーブルのアイスコーヒーを少し飲んだ。

「……。ごめん……」

 でももし、あの時、大貴さんのことに気づいていたら……何かが変わっていたのだろうか?

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