第8話 蘇る心の痛み


「祐太さん、ずっと沙也さんのことばっかり聞いてきて……」

「私のことを?」

「そう。だから、なんか……」

 瑞樹ちゃんは、私の顔を見るのをためらうように視線をそらす。

私も正直、どう答えていいのか困った。

「もしかしたら、祐太さんは沙也さんのことが……」

「え? まさか? 」

「私のことはあんまり聞いてくれなくって、ずっと、沙也さん、沙也さんって。でも、悔しいけど、沙也さん素敵だから祐太さんが沙也さんのこと好きになってもおかしくないかなって思うんです」

「ちょちょちょ、ちょっと待って。きっとそれは思い過ごしじゃない? 」

 まさかの話の流れに私はかなり戸惑った。

「沙也さんには、勝てそうにないな~って」

ちょっと切なそうに言われてしまったけど、私にこの状況が受け入れられるはずはなかった。

私に勝てそうにないから身を引く的なこと言われても、非常に困る。

「ねぇ瑞樹ちゃん。勝とか負けとか、そういうのは違うと思うよ。祐太さん、たまたまじゃないかな。逆にもし私と一緒だったら、瑞樹ちゃんのことばっかり聞いてきたかもしれないし」

「そうかなぁ……?」

「さっき、祐太さん、瑞樹ちゃんと話してる時すごく楽しそうだったよ」

「んー…」

「二人は相性がよさそうに見えた」

「んー…」

「きっと、大丈夫だよ」

 それは嘘ではなく、さっき二人が話しているのを見て本当にそう思った。

私のことをそんなに聞いてきたのは気になるが、きっと瑞樹ちゃんの思い過ごしに違いない。

 まだ腑に落ちない様子だったけど、この話は、一旦この辺で終わりにして部屋へ戻ることにした。


 その夜――。

初日の慣れない農作業で、さすがに疲れていた私たちは、夕飯を食べた後は

早々に部屋に戻って休むことにした。

部屋に戻る前に、お互いの連絡先だけは交換した。


 私も部屋に戻って、すぐにシャワーを浴び、ベッドに滑り込んだ。

「ふ~」

 あっという間の一日だったけど、とても充実感がある一日だった。

身体はとても疲れているのに、色んな思いが頭をめぐり目が冴えてしまう。


 大貴さんのこと。

そんなに、人は人のこと簡単に好きになるのだろうか?

もしかしたら、いつもと違う環境で楽しすぎて、ちょっとうかれてしまっているのかもしれない。

それか瑞樹ちゃんの祐太さんへの熱い思いを聞いてしまって、つい感化されてしまっているのかもしれない。


(少し冷静にならなくっちゃ……。本当に好きになったかどうかは、まだわからない)

 まだまだ、自分の中に生まれたこの感情が恋愛感情なのか疑ってかかっている。

(だって……)


 最後に恋愛をしたのは――

学生の頃通っていた英会話教室で出会った一つ年上の先輩……。

それを思い出す度に、胸がギューッと締め付けられ苦しくなってしまう。

あの時、彼と付き合えて幸せだったはずなのに……。

 彼の名前は「中川」いう名字だったが、下の名前がどうしても思い出せない。

付き合っていた間、ずっと「中川さん」と呼んでいて、下の名前で呼ぶことはなかった。

なので、覚えてない。いや、もしかしたら覚えていないのでではなくて、忘れたくて記憶から消してしまっているのかもしれない。

何も疑わず、愛し合えてると信じていた時間は、ある日、いとも簡単に粉々に砕けて壊れて消えた。


それはまだ私が大学生の頃――

 彼とは通っていた英会話教室で知り合った。

いつも同じ時間の教室でレッスンを受けていて、目を引くカッコよさを持ち合わせている彼はみんなにも人気があった。私もそのすらっとした背格好や、みんなと楽しく話している姿が素敵で、いつしか恋心を抱くようになっていた。

大学も違い学年も違う彼と、何か話せるきっかけがないかなとずっと思っていた。

でも、いつも周りの友達と一緒に楽しそうに話している彼に、声をかけるタイミングがなかなかつかめなかった。

 時々席が近かったりするだけで、胸をときめかせていた。

人を惹きつける魅力を持っている彼に思いを寄せていたのは、きっと、私だけではなかったと思う。

ちょっと大人びていて、おしゃれな彼は、みんなに注目されている、英会話教室のアイドルのような存在だった。


 そんなある日――


「学園祭があるから、遊びに来ない?」

 なんと、彼の方から突然声をかけられたのだった。

天にも昇る勢いで心が舞い上がったのを覚えている。

もちろん、他の用事など全部キャンセルして学園祭に行ったのは、言うまでもない。

 自分なりに一生懸命おしゃれして、普段あまりしないメイクもして、精いっぱい気合を入れて賑わっている彼の大学へと行った。我ながら純粋だったなぁと思う。

 ひときわ人の多い体育館へ向かうと、ステージの上でギターを弾きながら歌っている彼を見つけた。

とても綺麗な声で流行りの曲を歌う彼の姿がとても輝いて、身も心もくぎ付けになった。

(好き……。彼のことが好き)

 そう何度も心の中で繰り返す。


私の心は彼のことでいっぱいになった――


 歌い終わって体育館から出てきた彼に、挨拶に行こうとしたけれど、彼は大学でも人気者らしく、周りにはファンらしき人たちがたくさんむらがっていた。

そこに割り込んで彼のところまで行く勇気はなく……。

結局、その日は話もできずに帰ってきてしまった。


 数日後――


 英会話教室で会った時に、また彼の方から声をかけられた。

「来てくれてたよね。ありがとう。話したかったのにいつの間にかいなくなっちゃってって」

「あ、ごめんなさい……。たくさん人がいて近づけなくって」

「すごいかわいい服着てたよね。いつも可愛いけどさらに可愛かったよ」

 そう言いいながら瞳をキラキラさせながら微笑む彼。

(私のこと気づいてくれてたんだ。しかもちゃんとおしゃれしてたの見てくれてたんだ)

そう思っただけで心臓がドキドキと音を立てて、心はさらに舞い上がっていった。


それからは、英会話教室で会うたびに声をかけあい、帰りに寄り道するようにもなった。彼の友達や、私の友達も一緒で、みんなでカフェに行ったり、近くのコンビニで軽食やスイーツを買て近くの公園に行き、それを食べながら話しをしたりしていた。


 毎回ドキドキしながも、彼と話ができるのが嬉しくって仕方なかった。


「お付き合いしてください」


 告白したのは、私の方からだった。

その日は、いつも行く公園で花火をしようと言って買ってきた。

みんなが向こうで準備を始め、一瞬だけ二人きりになった時に、勢いで告白してしまった。

「え……?」

 一瞬戸惑う彼の様子を見て、フラれることも覚悟したのだけど、

しばらく考えてから、くれたのは……

「……うん。いいよ。俺でよかったら」

 OKの返事だった。

もちろん、その時一緒にいた友達にはすぐにバレ、みんなに冷やかされて恥ずかしかったのを覚えている。

 

二人の恋人としての時間はそうして始まったのだった。

あこがれの彼との交際は、夢心地で楽しく幸せを感じていた。


だけど――


半年ほどたった頃、『二股をかけられているよ』と周りの友達から教えられた。

「え、まさか? そんなのウソだよ」

 お付き合いは上手くいっていると思っていたので、周りの忠告など信じられるはずはなかった。

むしろ、人気者の彼とお付き合いしてる私へのやっかみなんじゃないかとさえ思っていた。


 なんと言われてもそんな話は信じられず、もし仮に二股だとしても、私の方が本命でもう一人の女性が浮気相手だと思っていた。


でも……。


 ちゃんとした確信も持てたわけでもなく、よく考えたら思い当たるふしもあった。不安に押しつぶされそうになった私は、彼に真相をた確かめることにした。

 いつもは英会話教室の後や、お休みの日に会うことが多かったが、その日は彼の大学の近くまで行き彼が門から出てくるのを待ち伏せた。

 しばらくして友達と一緒に出てきたところを捕まえる。


「あれ? どうしたの今日は? ……。なんかあった?」

 突然、大学近くまで押し掛けた私の様子がおかしいことに、彼はすぐに気が付いた。

「……私の友達が、そんなふうに言ってたけどそんなのウソだよね?」

 友達から聞いた話をそのまま伝え、そう聞いてみた。

”ウソに決まってるじゃん”って、笑い飛ばしてくれると思っていた。


少しの間が空いたあとに言った、彼のセリフを聞くまでは……。


「何? ……もうバレちゃったの?」


え? ――


「……どういうこと?」

 私はそれだけ言った後は、言葉が出せなくなってしまった。

出たのは止めどもない涙だけ。


彼はあっさりもう一人の女性の方を選び――私はフラれた。


フラれただけならともかく、私とのことが『遊び』であり、もう一人の女性との方が付き合いも長く、本命だと告げられたのだった。

深く深く傷ついてしまった恋。


思えばそれ以来、男性不信になっていたのかもしれない。

あんなに優しかったのに、あんなに好きだと言ってくれたのに、あんなに楽しい時間を過ごしていたのに……すべてが嘘のかたまりだったなんて。

私の純情な心は粉々に砕け散ってしまった。


(嫌なこと思いだしちゃったなぁ……)


 もう二度とあんな思いをしたくないと、無意識に恋愛を避けてきてた。

人を好きになることが怖い――そう感じてる自分に気づく。

(やっぱり、まだ恋愛は無理かも)

 好きになっても、また悲しい思いをしなきゃいけないなら、いっそ最初から好きにならなければいい。


私の自分自身の恋愛否定感情は、鋼鉄のように頑固のようだ。

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