第7話 綺麗な涙

小さなときめきが、やがて大きな胸の鼓動へと変わる。


 優しい微笑みと、穏やかな口調、同じ感覚、まだ彼のすべてを知っているわけではないけれど、彼の感性が違和感なく自分の中にスーッと溶け込むように入ってくる。

そして、夕陽の美しさを映し出した瞳から溢れた涙は、彼の心の優しさなんだろう。

そんな彼の涙が、私の心にとどめをさした。


(これって……)


―― 恋? ――


(え……? そうなの……かな? 違うよね?)

 

まさかという気持ちも大きく、この感情を否定している自分もいる。


 この数年は、仕事が楽しくって、「人を好きになる」という感覚を忘れかけていた。一人で過ごす時間が楽しいとさえ思っていた。

そんな私が、いとも簡単に……?


(何かの思い違いだ。きっとそうに違いない)


 あまりの自分の感情の乱れが激しくそれを制御するのに必死で、あふれた涙を拭うのも忘れていた。ふと我に返って、私は、慌てて顔を隠すようにして涙を拭った。

「あれ、沙也さん?」

 そんな私の行動に、いち早く瑞樹ちゃんが気づいた。

「どうしたの? 何か悲しいことでも思い出したんですか?」

 瑞樹ちゃんは心配そうに私の顔を覗き込む。

「ううん。違う。その……。なんかわからないけど、夕陽見てたら自然と涙が出てきちゃって……」

 これは非常に照れ臭い状況だ。

どんだけロマンチストなんだ? っていう自己ツッコミしたくなるようなこと言ってる。

(不覚すぎた……)


「沙也ちゃんってロマンチストなんだね」

 すかさず祐太さんにそう言われる。

(涙を、見られちゃった。どう言い訳しよう)

 言い訳をする必要はないはずなのに、涙を見られた恥ずかしさがこみ上げてくる。

「いや、ロマンティストとか、そういうんじゃないけど。最近ちょっと心が疲れていたのかも」

「え? 沙也さん、やっぱりなにか辛いことがあったんですか?」

 瑞樹ちゃんが心配そうに私の顔を覗き込む。

「んーあったと言えばあったけど、大丈夫。そんなに大したことじゃないから」

「本当に?  心配ですよー。辛いことあったら話してくださいね。私、いくらでも話聞きますから」

「ありがとう」


 ふと、見ると大貴さんが、みんなに気づかれないようにスっと背中をむけた。

こぼれた涙を見られたくないんだろうと思った。

大貴さんの涙に気づいたのは、たぶん私だけだ。

瑞樹ちゃんや祐太さんのいる角度からは、大貴さんの涙は見えなかったはず。

大貴さんの気持ちを察して、私もそっちにはあえて触れずにおいた。


「沙也さんってきっと一人で抱え込んで、悩むタイプでしょ? 」

「んー。そうかもね」

「ダメですよ。一人で抱え込まず、なんでも相談してくださいね。まだ知り合ったばかりの私に心開くの難しいかもしれないですけど……」

「うん。ありがとう。でも本当たいしたことないから大丈夫……。それより瑞樹ちゃん敬語」

「あ……いけない。そうでした」

 思わず二人で顔を見合わせクスっと笑うと、祐太さんも一緒に笑う。

「だめだね~。早く打ち解けあおうよ。俺たち友達!な・か・よ・し四人組」

「すみません。つい敬語になっちゃう」

「いいよいいよ。早く自然とタメ語で話せるようになるといいね。そしてお互いなんでも心開いて話せるような関係になれたらいいね」

 祐太さんに優しい口調で顔を覗き込むように言われ、瑞樹ちゃんが急に顔が赤くなったのがわかった。

「はい……あ、うん」

 ぎこちなくコクリと頷く瑞樹ちゃんは、やっぱりちょっとかわいい。

(もしかしたら祐太さんも、そう思ってるかな?)


「前に見たテレビで言ってたの。人は美しいものを見ると自然と涙が出てくるって。それがこういうことなのかなー。自分でもちょっと驚いた」

 泣いてしまった言い訳をちょっとしてみた。

「私も、それ聞いたことある。でも……。私は涙は出なかったな……。夕陽は綺麗だな~って思ったけど……」

 瑞樹ちゃんが泣けなかったことを、残念そうにしている。

「いや、こういうのは人それぞれだしね。沙也ちゃんはきっと心がピュアなのかも」

 祐太さんは私をかばうつもりで言ったのだろうけど、その言葉に瑞樹ちゃんがちょっとひっかかってしまった。

「じゃ、泣けなかった私は心がピュアじゃないってこと? ですか?」

「いやいやいや、そういう意味じゃないって」

「いいんです。どうせ私はピュアなんて要素は持ち合わせないから」

 瑞樹ちゃんが冗談ぽくすねたそぶりをして、口をとがらせながら言った。

「そんなことないから。瑞樹ちゃんには瑞樹ちゃんのいいとこいっぱあるし」

 そんな瑞樹ちゃんの表情に、祐太さんも少しとまどっているようだった。

そんな二人を見て私はおかしくなり笑ってしまった。

「あ~いや。まいったな。俺、こう見えて女性の扱い慣れてなくって」

 そう言いながら、頭をぽりぽりかく祐太さん。

案外この二人はすんなり上手くいくのかもしれない……そう思った。


 ふと視線を感じ見ると、さっきまで背中を向けていた大貴さんも私達の方を見て笑っていた。

私だけが知っている大貴さんの涙。

それを私が見てしまったことには気づいていない。……たぶん。

きっと、大貴さんと私は似た者同士……なのかもしれない。

なんとなくそう思った。


「じゃぁそろそろ、いったん部屋に戻ろうっか」

 夕陽も沈み切ったところで、私たちは一度部屋に戻ることにした。

ロビーを後にする前に、大貴さんがもう一度窓の外に視線を向けたのがわかった。

私もつられるように同じ方を見てみる。

さっき、夕陽が海に溶けていくとように沈んでいった海は深い藍色となり、まだほんのり明るさが残っている空は、幻想的な色合いを作り出していた。


 大貴さんが窓の方から視線を私の方へ変え、近づいてきた。

「さっきは……ありがとう」

 私にしか聞こえない、小さな声でささやく大貴さん。

「え?」

 突然のお礼に私は、一瞬何のことかわからなかった。

「気づいてたでしょ?」

「?」

「俺も……泣いちゃってたこと」

「あ……」

 私はそれ以上言葉にはせず、小さく頷いた。

「黙っててくれてありがとう」

「あ、いえ」

 部屋に戻る廊下をゆっくり歩きながら、二人でコソコソと話を続ける。

「自分でもよくわからないんだけど、なんか涙があふれてきちゃって。俺、男なのに実は涙もろいんだよね……。テレビとか映画見てよく泣いちゃうし。なるべく人に見られたくなくって我慢しちゃうんだけど。でもさっきは、我慢することも忘れちゃってて……」

 大貴さんは、恥ずかしそうに下を向く。

「わかります。私もさっきそうだったから」

「でも、みんなに泣いてるところ見られたら恥ずかしい思って、慌てて向こう向いてごまかしちゃった」

 ばつが悪そうに大貴さんは視線を下に向けたまま廊下を進む。

「誰にも言わないから大丈夫。安心して」

「ありがとう」

「私もさっき、ちょと恥ずかしいって思ったから、気持ちはわかるよ。……でも大貴さんの涙……」

「?」

「大貴さんの涙は……綺麗でした」

「え?」

 下を向いていた大貴さんが、少し驚いたように顔を上げた。

(あ、なんか変な言い方してしまったな?)

 『涙が綺麗』と表現したのは、ちょっと違ったかなと思った。

でも、もしかしたらそれが私の素直な気持ちだったのかもしれない。

「感動して涙を流すこは恥ずかしいことじゃない思う。素直に泣けるっていうことは恥ずかしいことじゃない……って、自分のことも弁明してるみたいだけど」

 何も飾らない素直な気持ちであふれてきた涙は、汚れのない心の現れで……だから『綺麗』と感じたんだと思う。

「それに……ちょっと嬉しかったかも。泣いてしまったのが私だけじゃなかったのが」

「……?  嬉しかった?  ……の?」

「うん。自分と同じなんだなって、思ったら嬉しかった。……。変かな?」

 不思議そうに私の顔見て少し首をかしげた大貴さんは、やがてクスっと笑いながら首を横に振った。

「ううん。変じゃないけど。逆にそんな風に言われると俺の方が嬉しいよ」

 大貴さんの優しい微笑みと言葉に、また胸の奥がキュンとなった。

私は彼の優しい微笑みに、惹かれているのを感じた。

この胸の鼓動がなんなのか、他に理由を探すけれどもみつけられない……。


 前を歩いてた祐太さんが、こっちを振り返えった。

「もうすぐ夕飯の時間だね。急ごうか」

「ああ、ちょっとゆっくりしすぎたみたいだな。早く部屋に戻って着替えなきゃ」

 何事もなかった素振りで大貴さんがも答え、みんなで少し急ぎ足でエレベーターに乗り込んだ。

大貴さんとの秘密のコソコソ話はそこで終わった――。

 

 エレベーターを降りて部屋に入る前に、瑞穂ちゃんと二人きりになったので、さっきの続きを聞いてみる。

「で、祐太さんとは、うまく話せたの?」

「……それが……」

「……?」

「話せたのは話せたんだけど、祐太さん……」

 何か言いにくそうな顔するので、少し心配になった。

「話せたんだけど?」

「祐太さん……なんか沙也さんのことばかり聞いてくるんです」

「え?」

 想定外の答えに私は少し驚いた。

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