第5章 流された常夏の島にて

第14話 懐かしの島

 どこからか波の音が耳にこだまする。

 そこへ、聞こえてくる懐かしい声。

 ああ、誰かが俺の名前を叫んでいる。


 俺はゆっくりとその正体を確かめるために真っ暗な視界を見開いた……。


「……りき、李騎りき、大丈夫でしたか?」


 ほっと、安心した表情で俺を優しく抱きしめている晶子しょうこ

 

「おーい。チックちゃん、李騎が目を覚ましましたよ!」

「ほんまかいな。マジで心配かけてからね」


 どうやらここは1つの島のようだ。

 俺から少し離れた燃え盛るまきの近くで何やら調理をしているチック。


 晶子の呼びかけでチックが俺のところにやって来る。


「あっ、アンタねえ、ワタクシに晶子を預けて、そのまま丸一日も行方不明とかありえんやろに……」

「おっ、俺はどうやってこの陸地まで?」

「そんなん聞いても知らんわ。ワタクシたちがいくら探しても見つからんで途方に暮れてたら、いつのまにかここの波打ちぎわに倒れてたけんね」


 そうか、俺は助かったのか。

 しかし、今どの辺にいるのだろう。

 チックが自炊しているからに、恐らくここは俺たち以外に人はいない。


 一見、この島は無人島のようだが……。


 ──あの出来事は夢だったのかと体をさぐってみても特に外傷などはない。


 おまけに服の破けや水に濡れた形跡もなく、ポケットに入ったあの嗜好品しこうひんもボロボロにならずに無事である……。


 ……俺は海に流されてきたから海塩などがついてもおかしくはないはずだ。


 そうやって自分に問いかけをして、ゆっくりと立ち上がるとキラリと光る指先……。


 ……それに目をやると金色の指輪が飛び込んでくる。

 

 これは親父がくれた記憶を維持できるあの指輪に間違いない。


 あれは、夢ではなかったのだ。

 親父が能力を使用して俺をここに移動させたのか、そう思うのが妥当だとうだろう。


 ──太陽が頭上にあるのを確認するからに今の時刻は昼過ぎのようだ。


 こんなとき、テレパシーの能力ではなく、無難に腕時計があると便利なのだが、今の社会はスマホで色々と判断する時代。


 ネットにも繋げれない普通の腕時計という物は、このご時世には流行はやらないのだ。


「李騎、それよりお腹は減ってませんか?」


 晶子が木の棒で刺してある程よい焼き色の魚を俺に見せる。


 グルグルとなる腹の虫。

 さっき、チックから丸一日も行方不明だったと知り、俺はあの船で食事してから何も口にしていなかった。


 俺はそれを受け取り、ガツガツと飢えたオオカミの獣のようにむさぼる。


「これはうまいな。焼き加減も塩加減もちょうどいい」

「じゃろ、こんな非常事態のためにおじさんからサバイバル術を学んでいたんよ!」


 チックが腕に力こぶの仕草をしてみせ、さらに焼けた追加の魚を俺に見せつける。


「いいよ、もう腹は膨れたし、後は二人で食べなよ……」


 何とか腹は満たせた。

 

 次にやることは状況の把握はあく


 俺はとりあえず晶子持参の空の白い巾着袋きんちゃくぶくろを身に付け、周りから情報を得ようと辺りを散策してみる。


 周りを取り囲む大きな木々。

 その木の枝に何やらドングリのような形の大きく膨らんだ実が実っている。


 小さい頃、これらの木々は植物図鑑で目に触れた事がある。

 ひょっとすると、あれはココナッツの木で、あの実はジュースの元になる物なのか。


 それに心持ちか、少し気温が高いような感じもする……。


「……だとすると、ここは赤道に近い熱帯地方かな……?」

「そうそう、ここはバワイ島の近くにある、ワタクシのおじさんが所有していた無人島やったけんね。

ここへ来たときは何か見たことある島やなって思ったけん、やっぱ、そうやった」

「所有していた?」

「まあ、数年前までの話やけどね……おじさんが海の事故で亡くなってから、誰も引き継がずに売りに出されたんだけど、不便な場所だけにこの通りさっぱりでさ……」


 チックが辺りに生えた草に触れながら、寂しげに答える。

 あのいつも元気に見えた女の子が嘘のようにつらそうな横顔で、ぼうぼうに伸びきった草を見つめていた。


「ほんとにおじさんの事が好きだったんだな」

「う、うん。

……おじさんは漁師でさ、いつも自慢の船を見せながら、チック、ワシが引退したらこの船をお前にあげようかとか口喋くちしゃべってさ……。

ワタクシみたいな女なんかが船なんか操縦できないと言ったらさ……女だからとか関係ない。人間、やってみなければ分からない時だってあるっちゅうて……」

「……それが理由で船舶せんぱく免許を取得したのか」


 チックが無言でうなずき、近くにあった小石を海へと投げる。

 波紋をあげて水面を滑っていく小石が、六回まで跳ねて、海へと沈んでいく。


「あーあ、あの船はおじさんとの想い出が詰まっていたのにさ……誰かさんのせいで海の藻屑もくずにしちゃてさ……」

「そのことはマジですまん、あれはどうにもできなかった」

「いいよ、形ある物はいつかは壊れるからさね……。

それに他にも想い出はたくさんあるしね……ねえ、ちょっと晶子!」


 晶子が目をパチクリさせて俺とチックの方を向く。

 ちょうど食事中だったらしく、ケホケホとむせている。


 彼女は隣にあった竹筒の水筒を飲み、喉の体制を整え、空になった口を開く。


「どこかへ行くのですか?」

「いいから、ワタクシに黙ってついてきてな。李騎も一緒に来なよ」


 チックが親指を押し立てて、砂浜が広がる大地へ誘う仕草をする。

 

 どうせ、ここにいても状況は変化しない。

 俺と晶子は無言で目を交わしながら彼女についていくことに賛成した。


****


 次第に雑草が生えてる量が増して、人の男性成人の高さまである茂みを手でかき分けて進む。


 それからしばらくすると、その草たちが一斉に短くなり、足首までの長さになる。

 そこからは均等に草が生えていて、この先以降は明らかに人が整備した後があった。


 ──ふと、足元に円盤形の機械がゆっくりと近づいてくる。


「あ、危ない、晶子。下がってろ!」


 晶子を退け、その未知なる機械に対して俺は腰を低く落とす。


「ははっ、安心しなよ。それは草を刈るロボットだから。人間には危害を加えないさかい」

「へーえ。新型のお掃除ロボットか?」

「そう。正確にはワタクシがちょちょいと芝生切り用に改造したんよ。

防水、防塵で太陽光充電対応。真夏の炎天下で草取りをする必要もない、便利な機械さかい」

「ほーう。それなら人為的に草刈りをする手間も省けるな……」


 俺がそのロボを隅々まで観察しているとチックがちょいちょいと合図する。

 その先には古びた建物、いや赤い三角屋根が特徴的な白い洋館が建っていた。


「ここがおじさんが借りていた別荘やね。まあ、蜘蛛クモの巣やホコリで汚れきってはいるけど……」


 チックの後について行くたびにどこからか流れてきた白い霧が濃くなってくる。


『──キシャアアア!』


 そこへ、即座そくざに認識していた声に俺は後方に転がりながら晶子の前で体を張る。


「……また、お前かよ。しつこいヤツは嫌われるぞ!」


 そこには、なぜか船場で倒したばかりのアメリコザリガニがいて、ハサミをカチカチと鳴らしながらこちらへ向かってくる。


『ピヨピヨ♪』


 さらに背後からも響いてくる懐かしい鳴き声。


「お前、ぴよ吉かよ。元気だったか?」

『ピヨピヨ♪』


 ぴよ吉も相変わらず、俺にじゃれて甘えんぼな性格だ。


「おい、晶子。ぴよ吉が生きていたぞ!

聞いてるか、晶子!」


 俺はありったけの声で後ろにいる晶子を呼んだ。


 だが、彼女の反応がない。

 いや、なぜか様子が変である。


 晶子は目の焦点が当てもなく浮遊して、体をふらふらさせながら、ゆっくりと俺との歩幅を詰める。


「李騎、悪いけどここで死んでもらうわ……」


 あれだけ触れるのを嫌がっていた、あの粘液のついたドラゴンサバイバル包丁の柄を両手で握りしめ、いつもと違う台詞を吐きながら……。


****


「しょ、晶子、どうしたんだよ?」

「文句ならあの世で弁解しなさいよ……」

『キシャアアア!』

『ピヨピヨ……!』


 晶子が包丁を持って高笑いし、ザリガニが猛威もういを奮うかのようにハサミで殴りにかかったり、ぴよ吉に至っては大きな体を使って体当たりする始末だ。


 俺はその3手の攻撃を慎重にかわす。


 ザリガニのハサミで草地がほぐれ、ぴよ吉のタックルで体制が不安定になり、そこへ晶子の刃物の突進……。


 これの連携攻撃は辛い。

 3対1とは多勢に無勢だ。

 しかもなぜか俺に対して絶対な敵意を抱いている……。


「おい、チック、これは一体どうなってるんだよ?」


 それだけではない。

 チックからの反応がない。


 これはおかしい。

 さっきまでいたはずのチックの気配が感じられない……。


「ちっ、チックのフォロー無しでコイツらの相手は骨が折れるぜ……」


 俺は舌打ちし、胸ポケットに入れていた煙草で一服し、慎重に物事を整理する。

 その紫煙しえんが空気中に流れ、上空へと吸い込まれる。


『ピヨピヨ♪』


 そこへ、ぴよ吉のタックルを食らい、勢い誤り、火の付いた煙草をぴよ吉の方へと飛ばしてしまう。


「あっ、すまん。ぴよ吉」

『ピヨピヨ♪』


 そんなことはおかまいなしに俺にタックルを繰り返すぴよ吉。


「ぴよ吉、お前……」

『ピヨピヨ♪』

「……お前、さっ、さては偽物だなぁー!」


 煙草の喫煙時には、先端の熱さは約1000℃にも及ぶ。

 それを食らい、何とも反応がないのは断然におかしい。


 その異変を察した俺は上空に向かって呪文を唱える。


「俺の邪魔をする厄介なやからよ、何もかも吹き飛べ!」

「サイクロン!」


 上空へと向けた竜巻の能力が周りにある霧を吹き飛ばす。


 瞬く間に飛散していく白い霧。


 ぴよ吉とアメリコザリガニが目の前から無数のシャボン玉のように消滅し、二匹が傷つけた地面なども綺麗に復元されて元に戻った。


 その霧が晴れた先に何も状況が伝わらない、途方に暮れたチックが待っていた。


「おっ?

李騎、無事だったかいな……またいなくなったんかいって、ワタクシは心配したんよ」

「……これはどういう事だ?」

「分からんよ。いきなり白い霧が流れてきて……気づいたらワタクシの後ろには霧で視界が分からなくなって、誰もいなくてさ……」


「李騎……」


 そこへ、ふらりとこちらへ歩いてくる女性。


「晶子、無事だったか?」

「……あっ、はい。何か気づいたらあの包丁を持っていて手が汚れていて……私は一体何を?」


 晶子が顔をひきつらせながら花柄のハンカチであの粘液を拭き取っている。 


「晶子、お前は自我を失って俺を攻撃してきたんだよ……」

「そうですか。でもどうしていきなり?」

「それは俺が聞きたいよ。もし吸っていなかったら分からなかった……」


 そこで晶子が両拳をつくり、プルプルと体を震わせている。


「……李騎、吸ってたとは?」

「……あっ、いや、別に。久々に味噌汁が吸いたくなってさ……。

チックのカバンからレトルト味噌汁を頂戴ちょうだいしてたのさ……なあ、チック?」

「そうたい。もう、赤ちゃんのようにむしゃぶりつくようにして私の豊満な胸をね~」

「おい、違うわい! 

誤解を招くだろー!」

「うふふ。ほんと、もう照れんでもよいがな~」

「だから、話をややこしくするなー!」


 チックが目をつむり、胸元を両腕で隠しながらイヤイヤと体をくねらせる。


「……ふーん。李騎。

嫌がっているいたいけな未成年にそのような強引なセクハラ行為。

これはどういう事ですか? 

詳しく説明してもらいましょうか……?」


 晶子が俺に対して、夜間の猫の目のようにギロリと目を光らせる。


 相手はもう包丁は持っていなかったが、今度こそやられると覚悟を決めたのだった……。

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