第10話 バイト始めました

「い、いらっしゃいませ……」 

「あーあー、駄目だよ。そんなおどおどしたへっぴり腰で、か細い声じゃ」


 開店前の朝8時。


 俺たちはさっそく、すいから接客のいろはを教わっていた。

 すいは、今は晶子しょうこを主に指導している。


「いらっ、いらっしゃいませ……やっ、やっぱり、これは恥ずかしいです」

「その羞恥心しゅうちしんを捨てないとお客さんと対等に渡りあえないよ。さあ、もう一回!」

「はっ、はい、コーチ!」


 フリルのついた猫のイラストが描かれたエプロンを着て、張りきって課題をこなそうとする晶子。 


 声だけ拾って聞いていると、ここは、バレーの強化合宿練習場か?


「それにしても、これはどうかならないのか。とても俺には似合わないぞ」


 その乙女ファンタジー色全開なエプロンは俺と乱蔵らんぞうにもつけられている。

 こちらには可愛らしく骨をくわえた犬のイラストが描いてあった。


「……いや、はあはあ、可愛いすよ。李騎りき兄貴……。

スマホに撮っていいっすか?」


 乱蔵が、ムフムフ……と鼻息を荒くしながら俺の姿を頭の上から尻尾おしりの先までチェックしている。


 いつか、コイツは絶対、男にも手を出すな……。


****


「さあ、の李騎きゅんにはレジを担当してもらうわね」


 晶子への指導を終えたすいからの思いがけない発言に、その場で天空へと発射される俺の心境……。


「お、おい、いつから俺は女の子になった?」

「まだ、すいは女とは言ってないよ?

これから女装させてからだよ」

「だから一緒だから。それに俺で遊ぶな!」

「ちぇっ、カツラを被せておさげとかしたら可愛いと思うのに……」


 まさに危機一髪。

 危うく貞操ていそうが奪われる所だった……。


****


「さて、ワタクシも接客係だな。任しとき。よろしくな、晶子」

「あっ、よろしくです」

「なん、緊張しとん?

どーんと大船に乗ったつもりで、お姉さんの後ろに立ってなさい♪」


 胸をポフッと叩き、勝ちほこったポーズをするチック。


 だが、この現場でのその台詞に従う事は何もしないサボりと一緒だ。


 さあ、よこしまな感情と闘え、晶子……。


****


「ちょっと李騎きゅん。よそ見してないできちんとレジを覚える!」

「あっ、すまん……」


 その様子を見守っていた俺に投げかかる厳しい言葉。


 そうだ、彼女も必死に教わっている。

 俺も頑張らないと。


 俺は目の前の仕事に集中した……。


 ──ふと、そこに忘れされていた乱蔵がすいに質問を投げる。


「ところですい、僕はどーするすか?」

「アンタは店にいてもナンパばかりだから裏方担当。店内の商品の在庫整理よ」

「ええー?

この店のほとんどの商品、売れ残っていてホコリ被ってるんすけど……」

「じゃあ、それらをはたいてから、店先に並べて。今日からバンバン売りつくすわよ。アンタにしかできない仕事だからね。気合いを入れてよ!」

「あい、了解っす!」


 特殊任務を与えられた乱蔵は店の奥へと入っていく。

 それと同時に近くにあった壁時計が9時50分をさす。


「さあ、いよいよ10時から開店だよ。みんな、すいに集まって!」


 後から飛んで出てきた乱蔵を加え、俺たちは店内で肩を寄せ合い、円陣を組む。


「みんな、いい?

全部売ろうとする考えは大事だけど、買ってくれるのはお客さん。だからお客さんに対してはくれぐれも粗相そそうのないようにね……」

「「「はいっ、コーチ。分かりました!!」」」


「……それから一度逃したお客さんはまず戻っては来ないわ。何の仕事にせよ、お互いの信頼関係も大切だからね。だから言葉使いや接客態度にも細心の注意をはらって。まあ、何かトラブルがあったらすいがフォローするから問題はないと思うけどね……」

「「「ラジャッー!!」」」


「……じゃあ、みんな。すいの手に自分の手を重ねて……。

いくよ、よろず屋ホクホク大売れ、目指して……」

「「「「エイエイオー!!」」」」


****


「いらっしゃいませー!」


「おお、今日はべっぴんさん揃いじゃないか♪」

「あの子たち、スタイル抜群だな……」

「まんじゅう万歳!」

「おいらはずっとすいちゃんのファンでし……」

「ねえ、あの男の子も可愛くない?」


 次々とお客が来店して難なく売れていく品物。


 それもそのはず、店の入り口に立てかけた看板にて、購入者にはこちらが考えた特典がつくからだ。


 二千円以上、品物を買うと好きな店員と握手。

 五千円以上、品物を買うと好きな店員のサイン色紙。

 一万円以上だと好きな店員とのツーショットの写真にその写真の店員のサイン付き。

 百万円だと、後日に好きな店員と二人でラクちゃんに揺られながらマッグドナルドでその店員と一回お食事。

 

 まあ、百万を出すお客はいなかったが、他の特典で十分満足なのだろう。


 しかし、久しぶりにラクちゃんの存在が出たが、今、あのラクダは専用の預かり所に泊めて身体を休めている。


 ラクちゃん、こんな俺らのワガママに付き合ってくれてありがとう。

 長旅お疲れさま……。


「うっ、うわあ、凄いっす。次から次へと売れるっす!」


 そんな一方、よろず屋は大量のお客でごった返していた。


 買い物を楽しむお客によるスマホからのリアルタイムなSNSを中心に火がつき、あらぬ噂が飛び交い、半端なく店に並ぶ長蛇ちょうだの列。


 まさに俺たち、店員も冷静さを欠いて舞い上がるあまりの売れ行き。


 裏方の乱蔵も大量の荷物を抱えて大忙しで、次々と在庫を無くしていく商品たち。

 

「おい、いつもの薬草はないのか?」

「ちょっと、このマッサージ器は売り物かい?」

「なあ、この大根全部くれ!」


 段々とお客の注文も無茶ぶりになっていく……。


「はっ、はい、少々お待ちください。ただいまそちらへ行きます!」


 朝のミーティングで話した通り、すかさずフォローに向かうすい。


 それから、そこにいる俺たちを引き立てながら的確な指示を出す。


 その動きからして神対応だった。


 やがて、開店から昼下がりの午後を迎え、店内の商品がほぼ無くなった所で閉店となった……。


****


「……ふぅ。まさか、半日で売りつくすとはね」


 すいが額からの玉の汗を持ち前のハンカチで押さえながら驚く。 


「あれ?

でもこれが残ってますよ?

まだ使えますよね?」


 キョトンとした晶子があの圧力鍋を指さしている。


 やはり圧力鍋だけあり、あの爆発でも何ともない頑丈な外形。


 いや、そうじゃない。

 やっ、ヤバい、すっかりこのことを忘れていた…。


「ああ、それは晶子が買い取ったから」

「はあ? 何で私なんですか?」

「いや、李騎きゅんが晶子が払うからと言ってたから。ほれ、12万よこせ♪」 

「……はっ、はあ、何ですか?

そのめちゃくちゃな金額は?」


 晶子が般若はんにゃの表情で俺の方に怒りの矛先ほこさきを定める。

 

「ちょっと李騎、これはどういう事か説明してもらいましょうか……?」


 顔は笑ってはいるが、鋭く刺さるカラスのような狩りをするような眼光がんこうでもあり、ガチで怖い。


 俺の生きざまも今日までかも知れない……。


「すいちゃん、念のため、治療道具を揃えててもらえます?」

「……えっ、どうかした?」

「この人、今からしばき倒しますから……」

「はっ、はひっ!?」


 その晶子の豹変ひょうへんさに思わず、すいの声が裏返る。


「ほんと、煙草の件といい、これといい、あなたは一度痛い目にあわないと分からないみたいですね……」


 晶子がポキポキと指の関節を鳴らしながら近づいてくる。


「ちょっと晶子、お前キャラが変わってないか!?」

「誰のせいだと思ってるのよ。問答無用!!」


 晶子の強烈なつねりが俺の片腕を襲う。


「ギャピー!?」


****


 10分後……。


 晶子からこれでもかとつねられ、ボコられ、ブスブスと黒い煙に包まれたぼろ雑巾の俺。


「……本当、困った人ですね。

すいちゃん、確かに12万ですね。お支払いします」

「毎度あり。お買い上げありがとうございます~♪」


「──おっしゃ。今晩は寿司やでー♪」

「ほんまっすか、僕、たらふく大トロとサーモンが食べたいっす!」

「おう、乱蔵。いくらでもすいが食べさせてあげるから!」


 すいと乱蔵が雨上がりのカエルのようにぴょこりと跳びはねる。


「みんな、ありがとう。みんなのおかげで大繁盛だったよ。本来は一ヶ月くらいかかる品物を今日一日だけで売ってしまったからね」


 余程嬉しかったのか、仕事で緊迫していたすいの顔が緩む。


「……ほんと、ありがとう。結構、親の借金とかあったのに……それもすべてチャラ、もう感謝しかないよ……ぐすっ……」

「すい。泣くな、まだ終わってない」

「……ありがとう。チックちゃんは優しいね……」

「まあ、まだバイト代を貰ってないからね。うやむやにされても困るけん」

「アンタはそれが本音かい!」


「あっ、あははっ。ごめん、それがワタクシの生き甲斐なもんで。それにワタクシ達は急いでるから、早いにこした事はないしさ」

「……それ、乱蔵から話は聞いたよ。確か、船を修理してアメリコに行くんだよね?」

「そうそう、李騎の両親を探す旅にね。すいも一緒に来るかい?」


「いえ、すいたちは親が不在なこの店を経営しなくちゃいけないから。せっかくのお誘い嬉しいけどごめんね……」

「うんや、ええよ。ワタクシらで上手くやるけん」


 その後、しばらくして、レジのお金を計算したすいが茶色の封筒にバイト代を入れて、俺たちに配り出す。


「みんな、お疲れ、ごくろうさま」

「センクス♪」


 俺は、はちきれない思いを秘めつつ、丁寧に分厚い封筒の封を破く。

 

 さて、肝心な中身は……。


「……なっ、何じゃこりゃあああ!?」


 大量の一万円札の枚数。

 数えてみると30万以上はある。


 この店は保険料や人件費などの差し引きは極力無視か?


「確かに、このすいだけに任せたら、このよろず屋は潰れるよな……」

「そうっす。だからあの圧力鍋も元を取るためにあんな値段だったんすよ」

「やっぱり、あの鍋は中世ヨーロッパの作品ではなかったか……」  

「すいは、頭はパープリンでも口だけはうまいっすからね……」


「……おい、乱蔵、後ろに……」

「なんっすか、李騎兄貴。僕の後ろにうるわしき美少女でもいるっすか?

……って、あっ……!」


「……あっ、じゃないつーの。ちょっと部屋までツラかしなっ!!」

「ヒイイ、勘弁かんべんしてっす!?」


 すいに両足を担がれ、ズルズルと引きずられる乱蔵……。


「そうそう、せっかくだから今日も泊まってよ。みんなでチックちゃんの歓迎会をねて、お別れパーティーしよ♪」

「賛成ー!!」


 ──こうして、俺達は無事にバイトを終えて、たった一日で大量のバイト料を貰った。


 これで無難に船の修理ができる。


 だけど、白熱したパーティーの最中さいちゅうに、これだけ貰っても修理代でほとんど無くなってしまうとチックが言っていた。


 この先、何があるか分からない。

 できることならお金はとっておきたい。

 

 ならば、仕方ない。

 あのちからの出番だ……。

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