第2章 そして、全てが始まる

第3話 告げられなかった想い

 俺たちはラクダのラクちゃんに揺られながら砂漠を渡り、家路に向かっていた。


 しかし、途中から雲行きが怪しくなり霧が立ち込めてくる。


 菜の花が咲き乱れていたオアシスの景色とは思えない、蒸し暑く湿った空気。 

 大気中の水分が蒸発しているのだろうか。

 この砂漠に一雨きそうな天気になっていた。


 それにしても、なぜこうまでしてガラリと天候が変化するのだろうか。

 今朝、自宅のリビングで観た天気予報では一日中晴れだったはず。


「……晶子しょうこ、俺の体によく掴まっていて。ラクちゃんを跳ばすよ」

「……えっ、いきなりどうかしたのですか?」

「なぜかは知らないが嫌な予感がするんだ。ラクちゃん、急ぐぞ!」


 俺はラクちゃんの体を軽く叩き、手綱を勢いよく掴む。


「き、きゃああっ!?」


 晶子は、いきなりペースを上げたラクダにしがみつくので精一杯だ。


 純白のワンピースから出た素足がヒラヒラとのぞき、俺の心は心なしか動揺していた。


 ──段々と霧が濃くなっていき、白かった煙は怪しい紫色へと変化する。


 俺はある危機感を感じ取る。

 さらに俺の鼻は、とある異常をぎとっていた……。


「晶子、急いでハンカチで鼻と口をふさげ!」

「……えっ、あっ……体が……?」

「だから吸うんじゃない。これはしびれガスだ!」


 時はすでに遅かったのか。


 目がうつろで青ざめた晶子が俺にしがみつき、小刻みに震えている。


 まずは、この状況を打破だはしなければならない。


「風よ。空気中の酸素の空間を作りたまえ……」

「バリアー!」


 俺の操作するラクダを主軸として、一つの大きな透明なシャボン玉の風船に包まれる。

 でも、この能力だけでは意味がない。


「空気よ。空気中の毒素を収縮して清らかな酸素でおおいたまえ……」

「クリーン、リカバリー!」


 俺はさらに二重詠唱にじゅうえいしょうをして、シャボン玉の中の紫の痺れガスを消してゆく。

 これで晶子は呼吸ができて大丈夫なはずだ。


「……あれ、私はどうしたのですか?」

「もう、心配いらないよ。とりあえず、この泡から出ないでくれ。俺はちょっと村の様子を見てくるから」


 俺はラクちゃんから飛び降りて、シャボン玉の外に出て村のある方向へ一人で進む。


「あっ、待ってよ、私も行きます!」


 晶子もラクちゃんから降りようとする。


「見えざるくさびよ。彼女の体の動きを封じよ」

「キーロック!」


「……か、体が動きません?」

「晶子、今は金縛りにあった悪い夢を見てるんだよ……」

「……スリープ!」


 その呪文を唱えた途端、固くなに動けなかった晶子がラクちゃんに乗った状態で、ゆっくりと目を閉じる。

 今の二つは彼女の動きを制止させ、追加で眠らせる能力だ。  


「……ごめんな。後で美味しいカレーが待ってるからさ」


 俺はラクちゃんと晶子をその場に残して走り出す。 

 幸い、俺にも見えないバリアを唱えたせいか、周りの毒ガスの影響は受けない。

 

 その走る最中さいちゅう、灰色のTシャツが汗ではりつき、青のジーパンが蒸れてゴワゴワする。

 さらに額の辺りから気持ちが悪い汗が吹き出していた。


 なぜかは知らないが嫌な予感がする。

 それだけは、直感的に感じ取っていた……。


****

 

 エジブド村は異臭が漂っていた。


 村は紫の霧に覆われ、あちこちの建物が大型台風でも過ぎたかのように半壊していた。


 その崩れたピラミッドの一つにあたる、家の壁に寝ている顔見知りな同年代の青年を発見する。


 彼は、いつもゴミ捨て場の近くで環境整備をしていた俺の知る住人の一人だ。

 名前は確か、石木いしきだったはず……。


「おっ、おい、石木だよな。大丈夫か。何があったんだよ?」


 ふと、鼻をつんざく血なまぐさい鉄の香り。

 俺が、その肩を揺さぶると、先端のボールがスイカのようにゴロゴロと転がっていく。


 それはその青年の頭だった……。


「う、うわあああ!?」


 俺は慌てて、首を無くした青年から手を離し、隣の家の壁にもたれる。

 これが、人間がよく言う腰がぬける感覚そのものだろうか。

 しかし、今はそれどころではない……。


「はっ、俺の両親は無事か!」


 俺は自宅へと足早にして急ぐ。


 所々で倒れている人だった肉の固まり。

 立ち込める異臭。

 異常な風景が周りを支配していた。


 ただ、分かる事はみんな、首から先がなく、スッパリと鋭利な刃物で切られている点。


 俺の頭の想像から、ふと殺害した武器は刃物で昔から日本にある日本刀を思い浮かべたが、これだけ人をあやめれば血さびで切れ味が悪くなるはず。

 それに人間には硬い骨があるから、首などを両断したら即座に歯こぼれがして、これまた切れ味が悪くなるらしい。


 欧米のギロチンでもない限り、一気に複数もの首の両断は無理だとか。


 そんな様々な思惑で思考する俺の頭は混乱を招いていた……。


「母さん!」


 自宅に辿り着いた俺は、庭で倒れていた母さん、湖涼こりょうを発見する。


「……李騎りき。無事でしたか……」


 母さんの首はあるが、胸元からおびただしい血が流れていた。

 その血は人間と同じく赤い。

 これは早く治療しないと命にかかわる……。


「母さん、何があったんだよ!」

「……なさい」

「えっ、何だって?

声が小さくて聞こえないよ!」


 たまにひゅうひゅうとする風切りのような呼吸からして、恐らく刺し傷は肺にまで達しているのだろう。

 俺は、注意深く母さんの言葉に耳を傾ける。


「私のことは……いいから……にげ……なさい」

「えっ?」


 次の瞬間、俺の体に痛みが走り、その視線が地面へと切り替わる。


 周りに広がるおびただしい赤の飛沫。


「ぎ、ぎゃあああ!!」


 俺の体が綺麗に横一直線に胴切りされていた。

 痛みが体を襲い、意識が遠のいていくのが分かる。

 ほんの一瞬の出来事で誰の仕業かは分からなかった。


 駄目だ、今ここでてるわけにはいかない……。


「俺の……肉体の体を修復しろ……」

「……リ、リカバー」


 俺は声を振り絞り、呪文を唱える。

 体の痛みが安らぎ、足と胴が繋がるのが分かる。


 だけど、能力を連発したせいか、それともいきなりの出来事に驚いたせいか、精神的にも限界のようだ。


 すると、そこへ長い人影がさす。


 だが、俺は近づく人らしき気配を感じながらも、意識は途切れ、暗い闇へと落ちていった……。


****


「……はっ!

母さんっー!!」

「きゃあ!? 

いきなりどうしたのですか!?」


 俺は目が覚めたと同時に天井に向かって、力の限り思いっきり叫んでいた。


 あれ? と、よく見れば見慣れた黄金の天井。

 気がつくと窓際は太陽の光が降り注いでいる。


 俺は自宅の自分の部屋で寝ていたようだ。

 枕元には晶子がいて、心配そうに俺の手を握っていた。

 ちなみに自身の服装にも異常はない……。


「そうか、あれは夢だったのか……」


 夢で良かったと内心安心したのも束の間。

 トントンと扉が静かにノックされる。


 中に入ってきたのは、俺の親父、ただしだった。


 60の初老とは思えないガッチリとした体つき。

 白く腰まで伸びた長い髪と上手に整ったあごひげからあの仙人を彷彿ほうふつさせる。


 ──最近になって定年退職し、昼間からいつも酒を飲み、家事などに忙しい母さんとは違い、毎日、堕落だらくな生活をしていた親父。


『多額の退職金を貰ったから、もうワシは働かなくてよい』な考えを持つ、この親父が俺は嫌いだった。


 しかも、それだけではいざ知らず、親父が街中へギャンブルをしに行こうとラクちゃんに乗ろうとしても、ラクちゃんもそれを悟ったのか、親父が乗ろうとしても暴れて言う事を聞かなかった。


 こうして、親父が自ら望んでいたパチンコや競馬で遊んで過ごす夢はついえた。

 そして、今は腹いせに昼間から酒に入りびたる暮らしを送っているのだ……。


「──何だよ、親父。俺に何か用かよ」

「李騎君、ありがとう。湖涼の誕生日を祝ってくれて……」

 

 今日は体から酒の香りが全くしなくて、珍しく大人しい素直な親父。


「まあな。晶子のアイデアだからな。感謝しろよ。

それより腹ペコだぜ。早く飯にしようぜ」


「……母さんのカレーは天下一品なんだぜ。

……なあ、肝心の母さんはどこだ?」


 俺の言葉に晶子達が黙りこみ、重苦しい空気になる周囲。


「あれ、何だよ、俺、何か悪い事を言ったかよ……?」

「李騎……」


 そこへ、晶子が目の前に近づき、俺にさとすように声を呟く。

 

「残念ながら……李騎のお母さんは昨日亡くなりました……」

「……はっ、どういう事だよ?」


 俺は信じられなくなり、飛び起きてリビングへ向かう。


 いつものようにそこの食卓のテーブルには母さんが作った美味しそうな朝食が並んでいるはずだ。


 今日も焼きたての茶色の食パンと少し半熟な目玉焼き、そしてトマトを添えた色とりどりの生野菜、さらに熱々のインスタントのブラックコーヒー。

 それから昨日食べれなかった一晩寝かせたカレーもだ。


 俺は今日も楽しく食事を楽しもうと思っていた。

 昨日は俺は疲れて寝てしまい、母さんの誕生日パーティーには参加できなかったから。


 だからせめて、今日は明るく振る舞わないと……。


「母さん、おはよう。昨日はごめん。お誕生日おめでとう!」

「……あんた、何の冗談かいな……?」


 そこには黒い法衣に身を包んだ坊さんらしきじいさんがいて、隣には桐の棺桶かんおけが置かれてあった。

 さらに、その棺桶の中には白装束を着た母さんが眠っている。


「……母さん、マジかよ。あれは夢じゃなかったのか……」


 俺は絶望に突き落とされ、膝を下ろす。

 すぐに視界がにじみ、母さんの姿がおぼろげになる。


 俺は初めて人間の前で声を荒げて泣いていた……。


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