エピローグ

 一ヶ月くらいしたとある水曜日の昼間、集合をかけられて「フェザーズ」事務所に居た俺に紗里が電話してきた。

 どうやって探し当てたかなど一言も言わず、彼女は開口一番、こう言った。


『あんたこないだごはんおごるって言ったわよね?』

「え?」

『例の件、あたし何とかなったからね。来なさいよっ』


 例の件とはなんだったろうか。俺は会社かららしく、早口で要点だけ言う彼女の言葉を慌ててメモに書き付けた。何だ何だ、とメンバーは取り次いだ事務員嬢のデスクの電話に注目する。


「女のひと?」


 カナイが無邪気を装って訊ねる。ケンショーはふうん、という顔になり、マキノは別段表情も変えず、お茶をすすっている。


「何だよもう。紗里だよ紗里。ケンショーお前知ってるだろっ」

「ああ紗里ちゃんか。最近俺ずっーと会ってないからなあ…… 元気?」


 そう言ってリーダー殿は無責任に言い放つ。俺はぽりぽりと頬をひっかきながら負けず劣らずの悪い目つきでケンショーをにらんだ。


「……元気だよ。無茶苦茶元気」


 へー、とカナイが興味深げにその続きをうながした。


「何、オズさんのガールフレンド?」

「何だよ。友達は友達だがな」


 こいつは俺にマキノとのことをけしかけたくせにこんなことを言う。果たしてマキノは何かをカナイに言ったのかどうか、さっぱりそのあたりは判らない。また訳の判らない友人関係である。

 マキノは相変わらず平然と茶をすすっている。


「最近好きな奴ができたから、それが上手くいったら紹介する、って言ったんだよ。だからそのことだろ」

「ああなるほど」


 ぽん、とカナイは手を打つ。全くこいつは。


「暮林さん…… 社長、今日遅くまで俺達かかります?」

「いや、特別そういうことはないよ。夕方からのバイトのことも今はまだ考慮できるし」

「そういう訳じゃないんですけど」

「ま、特別今日は急ぐ用事ではないしな。ちゃんと君も曲出しに参加してるようだし」

「最近はいいモデムが手に入ったんですよ」


 俺はそう言うとマキノをちら、と見た。ケンショーはどうゆう風の吹き回しやら、と聞こえる程度の声でつぶやく。カナイは肩をすくめる。

 そして当のマキノは、朋香さんお茶おかわりちょうだい、とこれまた平然と言っていた。ちなみに朋香さんというのは、お茶出しが実に上手い事務所の女の子のことである。



「何で俺まで来なくちゃならないの?」


 植え込みのコンクリートに座ったマキノはややふくれっ面で訊ねた。


「……仕方ないだろ、お前連れてくれば、俺あいつらにおごらなくてもいいんだから」

「あいつら、ってことは二人以上」

「そ。お前一人におごるぶんなら、俺自分のぶんとお前ので二人分でいいけど、あいつら二人だから……」


 なるほど、と奴はうなづいた。


「でも何で俺なのよ」

「そういう奴なの。綺麗な男の子を見るのは好きなんだと」

「紗里さんが?」


 さすがにあれだけケンショーが連呼していれば、名の一つ二つ覚えるらしい。半年クラスメートの顔を覚えなかった奴が進歩なものだ。


「いや、もう一人が、らしい」

「?」


 マキノは首をかしげた。俺もなかなか不可解だった。紗里は電話で、場所と条件と時間を一方的に指定して、「理由」を一言だけ言うと、さっさと切った。

 何やら俺は非常に嫌な予感がしていた。


「とりあえず座って待てば? 何か変だよあんた」


 マキノはそう言って俺の手をいきなりひっぱった。バランスを崩して植え込みに倒れ込みそうになる俺を見て、この猫は、くっくっ、と楽しそうに笑う。何となく俺は選択を誤った気がせんでもない。

 だが最近、確かに奴は変わってきた。

 何よりも、本当に楽しそうに笑うようにはなった。別に特別なことをしている訳じゃない。週末になると奴はうちに来ては、他愛のない話をしたり、ぽろぽろとキーボードを弾いたり、置いてあるマンガを見ては笑ったり、一緒に寝たり、そんな程度のことだ。

 だけど確かにそれだけのことなのに、以前とは違うのだ。俺はそれを見ていると自分でも奇妙なほど嬉しい。本当に不思議だ。

 あれ、とマキノが顔を上げた。


「ねえオズさん、あのひとあんたの名呼んでない?」


 ……楽しい思いに浸っていた俺を、嫌な予感が再び襲う。


「やっほーっオズっ」


 陽気な声が、いつもよりオクターヴ高い。俺は糸で引かれたように声の方向を見た。紗里がそこに居た。……そして横には。


「おい紗里っ」


 思わず俺は、丸くなるマキノの目に構わず、彼女の手を引っ張っていた。何よ、と言いたげな顔で彼女は俺をにらむ。


「……俺の目が狂ってなければあれは女に見えるが……」

「節穴。よく見てみ」


 声を潜めて訊ねた俺に、彼女はきっぱりと言って手を払った。その間に、その彼女の連れは、マキノを見てきゃあきゃあと言っている。可愛げ満載の仕草といい、パンツではあるが、パステル色満載の服といい、長く伸ばしてソバージュのかかった髪型といい、それは女にしか見えなかった。……だが。


「ほらやっぱり可愛いでしょ♪」

「うん♪」


 途端に低音が耳に入った。俺は苦笑する。


「紹介するわオズ。このひとが、こないだ言ってたひとよ。マリイちゃん」

「……はあ」


 何のことかな?と言いたげにお互いの連れどうしは顔を見合わせている。俺は苦笑した。


「……なるほどお前にしては迷っていたのは」

「……そーよ。情けないけど迷っていたのよ。好きなのかどーなのか」


 彼女はやや照れているのか、肩をすくめて両眉を上げた。


「でもあんたのおかげで吹っ切れたからね」

「俺のせいで?」

「そーよ。ねえ。相手が何であれ、まあ好きは好きでいいんではないかと」


 やっぱりマキノは何のことかな?と言いたげに首を傾げている。俺は苦笑を止められない。好きは好き、ね。


「好きは、好きね」

「そうなのよ」


 彼女はにっこりと笑った。見事な笑顔だ。そして彼女の連れの「マリイちゃん」の、中身はたくましいらしい腕に自分の腕を絡めた。


「で、今日は何処へメシ食いに行くんだ?」

「よく聞いてくれました。実は安くて美味しいフレンチの店があるのよっ」


 そして彼女は先に立って歩いていく。

 俺はまだ不思議そうな顔のマキノの腕を取った。  

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わるつ~一人では曲は作れないけれど、一緒に居れば。 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo

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