第15話 欲しかった音

「つながらない、というか、音に変換できない、って言うか…… とりあえず音の見本があれば、どうかなって思って、キーボードなんかも買ってみたりしたんだけど、やっぱり」

「カナイはメロディそのものが浮かぶって言ってたけど」


 俺は頭を横に振った。そうじゃなくて……


「メロディじゃないんだ。もっと曖昧で、漠然としたものなんだ。メロディが浮かぶんなら、俺もまあ鼻歌でも歌って、それをケンショーに何とかしてもらうってこともできるんだけどさあ……」

「どういうものが浮かぶの?音じゃないの?」

「いや、音は音なんだ。だけど、具体的な音じゃないんだ」


 マキノはどういうことかな、と腕を組んだ。


「……じゃ、そうだなオズさん、『こういうかんじ』、とかそういう…… すごく……」


 いや違う、と彼は頭を振る。手を軽く閉じたり開いたりする。俺はそれを見ながら、自分自身言いたいことが上手く見つからないことが、やや苛立たしかった。

 その自分の見えるもの、感じるもの、鳴っているものを説明できる言葉が上手く見つからなかった。


「……断片」

「断片?」


 ようやくそれらしい言葉を一つ投げると、奴はそれを繰り返した。


「何って言うんだろう…… 一部分の、色だけが、ほんのちょっと見えてるって感じなんだ。ヒントととも言いにくい。ほら、覚えている夢の、最後の瞬間って感じ」

「……ああ」


 彼は大きくうなづいた。


「……もしかしたら、判るかも、しれない」


 そして少しだけキーボードのヴォリュームを上げた。


「このくらいは大丈夫だよね」

「お前何するつもりだ?」

「オズさんには、その断片、というか、ふわふわしたものが、あるんでしょ?」

「? ああ」

「だったらその断片を言ってみて。何か、判るかもしれない。具体的でもいい。全然具体的でなくてもいい。断片でいい。言葉の端っこ。そしたら俺はそれを音に変えられるかもしれないから」

「そんなことできるのか?」

「さあ」


 彼は首をふるふると振る。


「でも、今何となく、そうしたいって思ってしまったから」


 「成りゆき」が信条の奴はそう口にした。指がぽろぽろ、と幾つかの和音を鳴らした。ある場所に来た時、俺の口は自然に動いていた。

 ふっと弾けたものがあった。


「今の音」

「Aのコードだよ」


 ピアノを真似た音が軽く、部屋中に響いた。


「そこから降りていく感じで……」


 マキノは俺の言った通りに、鍵盤を押さえる。こう?と時々ちら、とこちらを見る。俺は首を横に振る。


「いや、少し上がって……」

「じゃあこういう感じ?」


 ぽろぽろ、と奴はそこから座りのいいコードを並べる。


「うん、でも少し昔っぽい感じで」

「昔っぽい?ちょっとそれって難しくない?もう少し……もやもやしたものでいいから、言葉付けてよ」


 何って言うんだろう。

 頭の中で、その音楽は、鳴っているのだ。ただ形にできないだけで。


「どういう種類の音?」


 奴はキーボードの中に記憶されている音をいろいろ変えてそのコード進行を奏でる。色々あって面白いね、といろんな組み合わせを試してみる。


「ねえオズさん、どういう情景が浮かぶ?」

「情景?」

「うん。その音が絡まってる、風景。もちろん俺の思う景色と音と、あんたが思うのとは違うだろうけど」


 情景。そうだ。目の裏に、情景はいつも浮かんでいた。音と一緒に、それは俺の頭の中にいつも。

 ただひどくそれは曖昧で、形があるのかどうかも判らないものだったので、いつも言葉にしたこともなかったのだ。

 音も同じだ。浮かんでいる。だけどそれを外に表すだけの、変換器というか、モデムというか、そういった「道具」が俺には足りない。

 それでも俺は、自分のボキャブラリイを駆使することにした。奴はその何か、を求めているのだから。


「……白いんだ」


 俺は両手で大きく顔を覆い、光から隠された視界に映ったものを奴に告げた。


「白い?」


 ずるり、と指を額から目、頬と次第に下ろしていく。浮かんだ情景。


「曇っているのよりは明るいんだ。だけど晴れてもいない。雨が降るのかもしれない。だけどとりあえず午前中は降らないだろう、って空の色」

「それはもしかしたら、休みの日の土曜日とか、日曜日じゃあない?そうでなかったら、半ドンの土曜日の午後」


 俺は半ば閉じていた目を弾かれたように開けた。


「……うん。特にすることがある訳でもなく、音もなくて、誰かがやってくる訳でもなくて、静かな」

「部屋の中?」

「そう、部屋の中。外へ出ようかどうか迷ってる。中に居て一日を終えてもいい。外へ出て何となく楽しく過ごしてもいい。どっちでも、いい」

「……じゃあ、この音は?」


 奴は、一つの音を選び出した。ハモンドオルガンの音だ。うん、と俺はうなづいた。


「ねえこれを、三拍子にしたら、どう?」

「ワルツ?」

「別に三拍子全てがワルツじゃあないよ」


 奴はくすくす、と笑った。俺はキーボードの側に近づいた。


「それで、最初に言ったコード進行で、こう降りて……」


 やや安っぽい音が、広がった。如何にも電気音です、と言いたげにビブラートがかかっている。不安定な、音の流れ。


「うん、で、ややサビ…… 盛り上がって」

「こんな感じ?ちょっとありがちじゃあないかな」


 音が上がっていく。


「うん、一度目のサビならそれでいい。……Aメロは二回繰り返して」

「じゃあ1コーラス、こういう風にまとめられるね」


 奴は通してそのコードを流した。俺はうなづいた。


「2コーラス目は、Aメロ一回。で、そのさっきのサビを入れて…… 間奏」

「間奏部分はも少し後で考えようよ。そのサビがBメロとして、ちょっと毛色の違った…… もしかしたら、雨が降るんじゃないかな、という感じのでしょ?」

「空がちょっと暗くなってくるんだ」

「……でもコードはメジャーのまま」

「そう」


 俺は頭の中に何やら明るいものが広がっていくような気がした。どうしてこうも判るんだろう?


「ねえ明るいメロディの方が、哀しいよね。明るいんだけど、そう簡単に、空は晴れることなんかないんだ。だけど何となくずっと明るくて」


 妙に奴の表情は楽しそうなものになっていた。俺は口元に手を当てる。


「……で、またAメロを一回……で、大サビ。Bダッシュ。思いきり盛り上げて……」

「音を思いっきり上げようか。大人しくまとめないで」


 奴はその前までのBメロより、その部分の音を、二度ほどあげた。

 ぞく、と背中を走るものがあった。


「……うん、そのまま、もっと盛り上げよう。大団円、って感じに……」

「じゃあこうだ」


 奴はそのまま指を動かした。


「へえ……」


 俺はすっかり感心していた。


「ちょっと通しでやってみるね」


 ああ、と俺はうなづいた。穏やかな音のかたまりが、ゆっくりと部屋の中を満たしていく。

 目を開いていても、頭の中に、「その情景」が広がる。

 人の声もしない。車の音、外の喧噪、TVの音、ラジオの声、そんなものが何一つ聞こえない。

 その音が、沈黙を作り出していた。少なくとも俺の頭の中で。

 急にその中に、夕暮れの光が差し込んだような気がした。ハモンドオルガンの音が、急にピアノの音に変わったのだ。

 それは使い込まれた、だけどそうそう調音をしていないような、やや狂いかけた音を思い出させた。オクターヴ違いのユニゾンがあの大きくはない手から叩き出される。

 そしてまたサビにと戻っていく。


「……最後に、ピアノの……」


 俺の口は、ふっとそんなことを告げていた。奴は軽くにっと笑った。上がりきったオルガンの音の、まだ余韻も残った中に、ピアノの音が絡む。そうだ、そんな感じだ。

 ―――最後の一音が消えた瞬間、俺は思わずキーボードを越えて、奴に抱きついていた。


「……苦しいよ」


 奴はそれでも俺を振り解くでもなく、そんな言葉をつぶやいていた。俺は俺で、そんな言葉は耳に入ってなかったらしい。


「……すげえ。何で、判るんだよ? 俺の、欲しかった音!」


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