第14話 頭の中でふわふわ漂ってるもの

 戻ってみると、案の定、鍵は開いていた。だが予想と違っていたのは、その中にまだ客は居たことだった。


「……マキノ」


 奴は入り口から見える部屋の真ん中で、両耳にイヤホンをつけて、キーボードに指を走らせていた。その音が大きいのだろうか、扉の開いた音にも、俺が発した声にも気付いた様子はない。

 驚いた俺が、ドアノブから手を離したら、扉は音を立てて閉まった。開ける音より閉める音の方が大きい。さすがにそれは響いたらしい。キーボードから手を離し、ぱっと音の方を見た。そして胸の前の線をひっぱり、両耳のイヤホンを外した。


「あ、お帰り」

「……ただいま…… 居たのか」

「来いって言ったのは、オズさんでしょ。勝手に帰ったと思った?」

 思っていた。あの状況では。

「帰るったって、あの時間じゃ、電車も通ってないじゃない」

「でももう……」

「とにかく座ったら?」

 言われるままに、はい、と俺はキーボードの前に座り込んだ。

 そういえば、うちにはキーボードがあったんだった。今更のように俺は思い出した。

 ずっと部屋の隅に、ファンの子がくれたエスニック調のベッドカバーでくるんで立てかけておいて、忘れてた。そんなものを見つけだしてくるなんて、よほど暇だったのだろうか。


「……何弾いてたの?」

「***」


 さらさら、とその口から意味の判らない数字交じりの単語が流れる。え、と俺は問い返した。


「まあ練習曲みたいなもんだよ。そうゆうのはだいたいあんまり曲、っていう感じのタイトルはないの」

「へえ」


 何となく感心して俺はうなづく。ちら、と俺の方を向くと、奴はイヤホンのプラグをキーボードから外した。

 途端に奴の手が触れる鍵盤から、きらきらとした音が流れ出した。ピアノに似せた音だ。


「あとはこんなの……」


 ヴォリュームを少し落として、奴は指を軽く動かした。


「……ああ。何かCMで聴いたことある」

「ショパンだよ」


 くす、と奴は笑った。胃腸薬か何かのCMだったので、そんな曲が使われていたのか、と俺は妙に感心した。 


「そう言えばお前、音大志望だったっけ」

「音大? まあね。うん、一応その方の勉強もしてる」


 マキノはキーボードを弾く手を止めた。


「一応?」


 俺は言葉の端を捕らえて問い返す。


「あのさ、俺ときどき、大切なものがいくつか出てきた時、どっちが大切だか判らなくなるの。だからそういう時には、とりあえずどっちも用意しておいて、もう最後の最後で、成りゆきにまかせることにしてるの」

「成りゆき?」

「……つまり、例えば受験当日にちゃんと俺が受験会場に行くかどうか、とか……」


 何じゃそりゃ。


「それって結構大胆じゃないか?」


 奴は違うよ、とふらふらと首を横に振る。


「優柔不断なんだ。直前まで決められないんだ。本当に大切なものは特に」

「とりあえず」

「そ。別にしておいて悪いものじゃないしね。もしも俺がバンドだけ、を選んだとしても、カナイは楽器全然だめだし。俺ができて悪いもんじゃないし」

「そうだな」


 確かにそうだった。用意周到、とカナイは言ったがそういうところが確かにありそうだった。


「ところでオズさん、キーボード持ってたんだね」

「あ? ああ」

「結構意外だな」

「そぉか?」

「だってオズさん、ドラム以外は興味ないように見えるもん。何で持ってんの?弾けるの?」


 俺は渋すぎる茶を飲み干したような顔になる。ああ弾けないんだね、と奴は壁に貼り付いた猫の笑いを見せる。俺だって、弾ける奴にはあまり説明したくない、ということはあるのだ。

 これでも一応頭の中で鳴っている音を引っぱり出してみたい、と思ったことはあるのだ。だが所詮徒労に終わった。


「でもずっと放っておいたら楽器が可哀想だよね」


 そう言って、奴は再びぽろぽろと指を走らせた。すると、俺はふと自分のことから、一つの疑問を思い出していた。


「マキノはピアノ弾けるんだよな」

「うん。この程度にはね」


 きらきらした音が、流れていく。


「どうして曲は書かない訳?」

「どうしてって言われても……」


 奴はふらりと首を傾ける。器用なことに、指は止まらない。


「時々カナイが言うんだけどさ」

「うん」

「音が頭の中で勝手に鳴るんだって。それを奴は、歌えるから、そのまんま声にして引っぱり出してるんだって」

「ああ、ケンショーの奴もそういうことは言ってたな」

「でしょ? 何か曲を作れる人ってのは、そういう風に、ふわふわそうゆうものが頭の中で浮いてる、って言うか、漂ってるものってあるらしいんだけど…… 俺にはそういうのがないの」

「へ? そう?」


 うん、と奴は大きくうなづいた。


「そう。俺はね、基本的にプレーヤーな人なの。ピアノでもベースでも、そういうの、結構会得するの上手いらしいんだけど、そういうの、がないの。だってさ、カナイなんか俺がどれだけ教えてもベースもギターもピアノも全然できないんだよ? なのに奴は曲作れる。そういうこと」

「……ああ」


 俺は数回重ねてうなづいた。楽器のできるできない、は関係ない、ということか。


「だからオズさんも何か作ってるのかなあ、っと思ったんだけど」

「浮かんでるものはあるんだけどね」


 指が止まった。ぴん、と彼の顔が僅かにこちらに向いた。


「だけどそれが、何かどうしても音にならないんだ」

「ならない?」


 視線は、今度は完全にこちらを向いていた。

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