第5話 マキノ、ACID-JAMのお祭りにてステージに飛び乗る
「ACID-JAM」は、その日は結構な入りだった。
ここは、以前よく出ていたライヴハウスだ。去年までは、そこが俺達の根城だった。
ここしばらく、動員が伸びたので、スタンディング200から300人程度しか入らないライヴハウスでは危険になってしまい、もう少し人の入る現在の行きつけの所へと移ったのだ。
出なくなったとは言え、別にそこのスタッフといさかいを起こした訳ではないので、現在でも俺は行けば顔パスだった。
そして顔パスの奴はもう一人居たらしい。
「あらマキちゃん、久しぶり…… あれ、オズ君も一緒? ……あ、じゃあ、RINGERとくっついたって本当だったんだあ」
「くっついたって…… ナナさん」
俺は少しばかり妙な方向へ頭が行っていたらしい。すると彼女は面白そうに、追い打ちをかける。
「だって本当でしょ?」
「うん、そうだよね」
マキノまでがそう答える。はい、と彼女はマキノにタンクのものではないオレンジジュースを渡すと、俺に何呑むか、と訊いた。ウーロン茶、と俺は答えた。
「あら、呑まないのぉ?」
「そういう日だってあるの」
「生理?」
マキノがするっとそんなことを言う。俺は思わずカウンターにつっぷせた。けらけら、とナナさんは笑う。
「ところでねマキちゃん、今日はここて何の日だったか知ってる?」
「ん?何だっけ」
「BELL-FIRSTがね、メジャー一周年前夜祭なの。良かったらマキちゃんも出たら?」
「俺があ? だめだめ」
「出るって?」
思わず俺は、手を振る奴とナナさんに訊ねていた。
「やだ、知らないで二人で来たの? だから、お友達バンド集めてセッション大会なの。もちろんベルファのステージもあるけどね、それだけじゃなくて」
と、半ば以上埋まっていたフロアから急に歓声が上がった。
はれ? と俺は目をこらした。舞台の上手には、何やら白い紙が見えた。
ボールドの色の幕に丸くピンスポットが当たっている。そしてそこには、羽織袴を着た人物が居た。
「……」
思わず俺はマキノの回転椅子をぐるりと回してしまった。奴はバランスを崩しそうになり、途端に抗議の声が上がる。
「何すんの!」
「何じゃありゃ?」
「……あれ?」
奴は目を大きく見開き、ステージ上の人物を見る。
「……ありゃあ。ナナさん、ナサキさん一体今日は何やってんの」
「ああ、彼、今日は総合司会なのよ」
ハートマークが語尾に点きそうなほどのご機嫌な調子で彼女はややカウンターから乗り出した。
ナサキさんというのは、BELL-FIRSTのギタリストだ。たしか上手い人で、結構ライヴの時には砂を噛みしめたような顔で弾いているという印象が強いのだが。
「何なのその総合司会って」
マキノは彼女に訊ねる。
ほら、と彼女はステージの上手を指した。ナサキさんは何やら喋っていたと思うと、とことことそのまま上手へと向かい、べらん、とその白いものをめくった。どうやらそれは…… 学芸会や演芸大会の時に使う題めくりらしい…… 文字もちゃんと墨と筆を使って書かれている……
「……何か芸風変わったんじゃないの? ベルファスト」
「そんなことないわよ。元々ああいう馬鹿なこともやってたんだから。でしょ? マキちゃん」
「んー、そうかもね」
曖昧な返事。奴はオレンジジュースを口にする。
「ナナーっ! 俺にも何かくれっ」
「あ、ノセさん」
「おおっ、ね…… マキちゃんじゃあないかっ。相変わらず可愛いねえ」
ベルファのヴォーカリストはそう言ってマキノの頭を撫でる。
「はいジンジャーエール」
「おいビールは駄目?」
「ここで呑みすぎると、打ち上げの酒がまずくなるのよ?ところで、この子出さない?」
「ん? いーよ。何かコピーできる曲あった…… ああ、あれができたな」
「うん。マキちゃんどお?」
「……まあ俺は…… そう言うなら、別にいいけど……」
「OK、じゃあちょっとあんた、連れてって手順教えてやってよ」
そう言って彼女はマキノをノセさんの方へ押し出した。大丈夫かなあ、なんてぶつぶつ言っている奴の声が、騒がしい店内の中でも何となく聞こえてくる。
「……馴染みだったんだ」
奴の姿が見えなくなってから、俺はカウンタースタッフで、ノセさんの恋人である彼女に訊ねた。
ノセさんと同じ歳と聞いているから、俺より充分年上だ。さすがに俺を子供扱いするが、相応の色気とさわやかさが同居していて、話をしていて悪い気はしない。
「あの子?」
そう、と俺は答えた。彼女はまあね、と答えた。
「みんなあの子が好きだったわよ。可愛くて」
「へえ…… あ!」
急に俺の頭の中で、つながったものがあった。
……見覚えがあるはずだ。
「どうしたの? オズ君」
「あのさ、もしかして、あの頃、時々あんた等、マスコットみたいにガキ連れてなかった?」
「あの頃?」
「まだベースがトモさんだった頃」
しっ、と彼女は人差し指を唇に当てた。
「その話はあまりしないでね」
「……あ、すみません」
「うん…… そう。あの頃連れていたその君の言うマスコットちゃんが、あの子だったの。だからあまり口にしないでね」
だとしたらつじつまが合う。奴のベースに見覚えのあった理由も。
ステージでは妙なセッションが延々続いていた。
セッション大会というより、本当に「学芸会」のようだった。果たして本当にロックバンドのセッション大会なのか?と思いたくなる。
まあ「それぞれのルーツ」バンドのコピーくらいなら良かろう。だがいきなりアコースティックギター持ち出してフォーク大会になったり、帽子から花を出してみせる奴もいるあたりは……
「それでは次は『泣かずの七面鳥』です」
中で一回自分のセッションバンドのために着替えたのに、またどういう訳か羽織袴に戻っているナサキさんが謎なセッション・ネームを紹介した。
幕が開くと、彼は羽織をノセさんに手渡し、自分はギターを取った。そして下手には、小柄なベーシストが居た。それが誰だか判った観客の少女の中には、きゃあ、と黄色い声を立てるのもいた。
ステージには、三人。ベースだけ違う、インストのベルファ、という感じだ。ドラムのハリーさんが速いカウントをとる。途端、音が溢れかえった。
きゃあ、という声が再び客の中から上がった。だが今度はどうやら古参のファンらしい。なかなか年齢は上のようだし、後ろの方で見ている。俺は思わず聞き耳を立てる。
「……うっそぉ…… 笑い雨だよぉ……」
「聴けるとは思わなかったよぉ…… 来て良かったぁ……」
笑い雨? そういう曲なのだろうか。
タイトルとどう関係があるのか判らないが、それは無茶苦茶な曲だった。
プレイヤーにとってはマゾヒステイックなまでにテクニックを要求するタイプだ。スピードといい、変拍子といい、つけ焼刃ではできない。ギターもドラムもベースも。特にベースにとっては。
だがマキノは実によく弾いていた。
こんなことまでできるんだ、とメンバーのはずの俺の方がびっくりしていた。
「やっぱり上手くなったわねえ……」
ナナさんはカウンターに頬杖をついてそう口にした。俺は思わず問い返す。
「え?」
「あの子、あの曲ずいぶん早くマスターしたものね」
「あの曲って、ずっとやってなかったんですか? 最近のベースの人は……」
「ん、だから、それはね、禁句」
しっ、と彼女は指を口に当てた。あ、と俺は思い当たった。つまりは、あの人の曲なのか。そして奴はそれを実に上手く弾きこなす。
「……やーん…… もう」
「泣くなよぉ……」
「だってあんな、トモさんしか弾けないようなものだと思ってたのにぃ」
「そーだよねぇ…… でもあの子、すげぇ上手いよね」
少女とはもう言えないお姉さん達のため息。
……終わった時、奴は肩で息をしていた。
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