第4話 音楽事務所「フェザーズ」にて

「あ、美味し」


と一口お茶を呑んだ瞬間、マキノはそう言った。

 おい、と隣に座っていたカナイが肘でつつく。聞こえないふりをして、そのまま奴は両手で湯呑みを持って音も立てずに茶をすすった。

 運んできた女の子は、マキノに向かってにっこりと笑った。

 翌週末の午後、俺達は、とある事務所の応接室に居た。

 応接室と言っても、そんなに大きいものではない。どちらかというと、部屋の隅をそのために仕切った、という感じである。あまり客を長居させるために作った所ではないように俺には思えた。


比企ひきから話と音は聞いているけれど、とりあえずははじめまして、と言うところかな」


 俺達四人の前に座った人物は言った。

 この人は暮林くればやしさんと名乗った。現在俺達四人が雁首揃えて参上している音楽事務所「フェザーズ」の社長である。

 社長と言っても、まだ若い。だいたい比企さんと同じくらいではないだろうか。

 RINGERとSSをそれぞれ分裂させ、そしてくっつけてしまった張本人、大手レコード会社PHONOフォノの若手プロデューサーである比企さんは、メンバーが揃った時点で、自分の力が利く事務所を紹介してくれた。それがこのフェザーズだ。

 正直言って、俺はその名前を聞いたことはなかった。だから、話を持ち出された時、念には念を入れて、比企さんにどういう所なのか訊ねてみた。


「まあそう大きくはないよ」


 するとどうやら俺の表情は露骨に変わったらしい。


「まあそんな顔しなさんなって。……俺が思うには、たぶんそこは君達に合ってるよ」

「どういう意味でですか?」


 ケンショーも訊ねた。


「いろんな意味で。君達がついていければ、大きくなれる」

「大きく」


 マキノは目を丸くしていた。


「でも言いなりになってなんかいないかもしれませんよ」

「言いなりになるようなバンドだったら、あそこには僕は紹介しないよ」


 そう言って比企さんはにやりと笑ったものだ。

 暮林さんは俺達四人それぞれに、契約書を渡した。それは契約書と名のついたものにしては、ずいぶんと字が大きく、間隔も不自然ではなかった。つまりは読みやすいものだった。

 メジャーと何らかの契約をしたことのある俺のドラム友人は、一様に契約書については悪口雑言を投げていた。

 こう言った契約書というものは、だいたい読みにくいものらしい。

 字が小さいのに間隔が空きすぎであるとか、その文章がどういうことを言っているのかさっぱり判らない、とか、はぐらかされたような気がする、とか。

 まあ半分は、学校のお勉強という奴を好きではなかった奴が大半である俺達が悪いのだが、それでも普通の奴でも判りにくい文章であることは事実なのだ。

 だがとりあえず俺の手の中にある書類は、そういう意味で言えば、実に親切なものであったと言える。

 俺はケンショーの顔をちら、と見たが、珍しく眼鏡をかけた奴もまたやや奇妙な表情になっていた。そのくらいその書類は読み易さに重点を置いていたようなものだったのだ。


「ではちょっとばかり内容の説明をしようか」


 暮林さんは言った。

 ……だが結局はちょっと、ではなかった。延々二時間、俺達はたった四ページの書類について、彼の「講義」を受けたことになる。


「これで、おおよその内容は判ったと思うけど」


 おおよそ、どころではなかった。彼は文章の意味だけではなく、例を持ち出してはその場合の双方のメリットデメリットについてまで、事細かに説明を加えたのだ。


「けどね、結局は」


 最後に彼はこうつけ加えた。


「やったものが勝ち、なんだよ。いい曲を書いて、いい演奏をして、いいプロモーションをして、それがちょうど波に乗れた時に、ブレイクって奴は起こるんだ。それが一つでも欠けたものがブレイクすることはそうそうない」


 なるほど、と俺は思った。理想論だが、間違ってはいないと思う。


「結局はうちは、君達がいいものを作った時にはいい押し出し方もできる。できる限りのことはしよう。だけど、いいものが出来ない限りは、どんなに金をつぎ込んでも無駄だから、大したこともできないんだ」

「つまりは俺達次第、という訳ですね」

「そう。それに、極端な話、いい曲はその時全然売れなくとも、後で使える場合もあるだろ?」

「下手な曲じゃあ一銭にもならない、と」


 眼鏡を取りながらケンショーは訊ねた。そう、と暮林さんはにっこりと笑った。


「まあ比企が引っ張ってくるバンドは、多かれ少なかれ何かあるからね。結構楽しみにしていたよ」

「比企さんとは親しいんですか?」


 マキノは目を大きくしたまま訊ねた。


「十年来の悪友」


 有能は有能を呼ぶ。そういうことかな、と俺は思った。



 結局、「半年後にメジャーデビュー」を目指して、俺達新生RINGERは出発することになった。


「いい曲かあ」


 ぼそっとカナイがつぶやいた。


「今までのRINGERでは誰が作ってたの?」

「ああ、だいたい俺。それにナカヤマ。歌詞は俺がつけることもあったし、代々のヴォーカルのこともあったし」


とケンショーは答えた。 


「ナカヤマさんってベースの人だったよね」


 マキノは俺の方を向いて訊ねたので、それには俺がうなづいてみせた。


「オズさんは作らないの?」

「え? 俺は駄目」


 何で、と高校生コンビの視線が俺に集中した。


「いいだろ別に。俺そういうの、向かないの」

「職人さんなんだあ」


 くすくす、とマキノは笑ってそう言った。まあな、と俺は言うしかなかった。仕方ないだろ、という言葉を自分の中でかみ殺し、話の方向を変える。


「……S・Sもギターの奴がほとんど作っていたっけ?」

「まあだいたい。ほーんの時たま、俺がぽろぽろって作るけど」

「カナイのメロディは面白いんだけどな。予想できないんだもん展開が。俺もっと聞きたいんだけど、この寡作野郎」


 マキノはふう、とため息をついた。


「仕方ねーじゃん。そうぽろぽろ湧き出る訳じゃあないんだからさ。お前こそ俺の手伝いはしてくれるけど、全然自分のアイデア持ってこねーじゃないの」

「俺はそういうのが浮かばない人、なの!仕方ないでしょ」

「まあまあまあ」


 リーダー殿は食いつきそうな勢いの高校生をなだめる。

 何となくこいつが人をなだめている図というのはおかしかった。だいたいこいつは人を振り回すことはあっても、人に振り回されることはないのだ。

 ところが、この高校生達が入ってからというもの、事態は逆転していた。しかもそれが結構楽しそうだというあたりが、判らないものだ。

 ケンショーの悪友の紺野こんのが以前、奴には実は振り回すタイプが合ってるんじゃないか、と言っていたが、意外と的を射ていたらしい。


「ま、何にしても、いい曲書いて、いい音に…… 納得のいく音作って、売ってもらおうな」


 リーダー殿は締めた。



 駅前まで来ると、ケンショーはバイトがあるから、と地下鉄への階段を降りていった。

 カナイは本屋に寄ってから帰る、と駅前の繁華街へと紛れていった。

 そして俺とマキノが残された。その日俺はバイトは休みだったので、すぐにこれという用事はなかった。

 どうしようかな、とぼんやりと考えていると、残されたもう一人が俺以上にぼんやりとしてロータリーのコンクリートブロックの上に座り込んでいた。


「お前はどうすんの? マキノ」


 え、と彼は弾かれたように俺の方を向いた。ひどく驚いたようで、大きな目を更に丸くしていた。俺は何となく、胸が飛び上がる感じを覚えた。


「……え? 今何か言った?」

「お前はどっかこれから行くとこあるの、って聞いたの」

「別に…… 取りあえず帰ってもいいし、どーしようかな、と」


 そしてふらり、と首を回す。伸びかけて、さらさらした髪が揺れた。その仕草にふと、先週のことが思い出される。


「そう言えばさ、お前、こないだの週末、**駅の前にいなかった?」

「……あれ、オズさん居たの? 夜なのに」


 否定はしていない。


「うん、あの町に友達の部屋があるから…… 見間違いかと思ったけれど」

「居たことは居たよ。うん」


 ふうん、と俺はうなづいた。 


「でも友達かあ。いいな、そういう時間に居てくれる友達が居るっての」

「……あれ? お前あの時連れ居たんじゃないの?」

「連れは居たけど、うん……」


 言葉をにごす。さほど言いたい話題ではないらしい。


「……ああ、そういえば最近ACID-JAMにも行ってないから、行ってみよっかな」


 そして奴はオズさんもどう? と訊ねた。特に用事はない。いいよ、と俺は答えた。

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