3−4

 隣の満の全身の毛がぶわりと逆だっているのが分かった。

 加那へ届く匂いが強くなる。それはいつもの優しい香りとは違い、きつく攻撃的な香りだった。

「加那さんの命を削って朱雀を助けろと?」

「満さん!」

 半場立ち上がり、きつい口調で満が薫に再度確認するのを、加那は止める。

「そういうことだな」

 しかし、薫は満の怒りをのんびりと受け流す。加那へと視線を向けて首を傾げてみせると、唇の端をにっと上げる。

「今日の話のメインはこれだ。つまり、お前さんの次第ということだ。命を投げ出してこの話を受け入れるか、黙って帰るか。分かるか、白虎のお姫様」

「……その呼び方、止めて貰えますか?」

 馬鹿にしたような薫の言葉に、加那は反感を覚えて低く返す。

(この人が、私の補佐役?)

 信頼関係を築いているように見える篠乃と佑とは大違いではないか。態度からも言葉からも、薫はこの訪問を喜んではいない、少なくとも歓迎されていないのは加那にも分かった。

 加那は篠乃に向き直った。

「私は――確かに満さんの主人にはなりました。それは居衣とか一族とかまだ分かってない状態で。しかも満さんを認めたからで……誰でも、自分の命を削ってでも受け入れろと言われるのとは意味が違います」

 加那は頭を下げた。

「すみませんけど、この話はお受けできません」

 加那は立ち上がる。すると、間髪入れずに薫が笑った。

「そうだな。それが良い。――その場合、ここにいる篠乃はこのまま身体が弱って死ぬことになるが」

「っ……!」

 酷い言いように、加那はきっと顔を薫へと向けた。

「どっちなのよ? 話を受けて欲しいの? 受けてほしくないの?」

「だから、お前さん自体に決めてほしいと言っている」

 薫は頬づえをついて、ニヤニヤと笑ったままだ。加那は言葉を失った。

「加那さん……」

 立ち上がり帰ろうと仕掛けた加奈の袖を、心配そうに満が引いた。

「待ってください」

 篠乃が慌てたように、加那へと手を差し出す。

「まだお話できていないことがあります。……薫さん、結果だけを煽るように、先に言わないでください。話には順序というものが……」

 溜息を漏らす篠乃がこめかみへと手を当てる。薫はゆらりと身体を揺らすと、立ち上がった。

「俺が言いたかったのはこれだけだ。……先に失礼する」

 立ち上がる際に、腕を伸ばし篠乃の頭をくしゃりと撫でて指先を離す。乱された髪を直しながら、篠乃は苦笑した。

「分かりました。残りの話はこちらでしましょう」

 薫は加那の隣を通り過ぎる時に、立ち上がったままだった加那へと寄ってくる。見下ろし、落とした声で言う。その声はやはりどこか加那を小馬鹿にした色を含んでいる。

「俺の意見は、このまま帰れだ。他人の命を優先して、別に自分を犠牲にする必要はない。……後はお前さんがよく考えて決めろ」

「分かってるわよ」

 背丈のある薫を見上げて、加那は睨みつけた。そのまま、手をひらっと振って薫は部屋を出ていった。

「あの人が、本当に私の補佐役になるんですか?」

 薫が十分遠のいたのを見て、加那は座り直しつつ篠乃へ問い直した。

 篠乃がホッとしたように微笑む。

「今はあんな態度ですが……話は分かる方ですよ。うちの佑は、単に私に甘すぎます」

「そんなことは」

 佑が反論する。主人から加那へと視線を戻して、頷いた。

「一族の規模が大きくなれば、加那さんの――当主の負担が増えるのは確かです。ただ、こちらからお願いしたいのは、まずはほんの数名。加那さんの負担にならない程度の被人を受け入れてくれれば助かるということなんです」

「数名?」

 加那は繰り返す。

「はい。まずは元白虎に所属していた綾と東吾を引き取ってもらえればと思っています。彼らもそれを望んでいますし、何より彼らは現在朱雀にいる被人の中でも長寿で、大きな力を持っているのです。朱雀の居衣から一旦引き取って貰えれば、こちらはとても助かります」

「篠乃さんの負担を、和らげることになるのね?」

 そうです、と佑が頷いた。

「けど、その場合加那さんには負担が増す。今のところ、僕程度では何もないけれど……」

 そうですよね? と満が加那へと確認した。加那は自身の身体を見下ろして、うん、と返す。

「だったら、加那さんにメリットはないです。そりゃ、篠乃さんを助けられるっていうことにはなりますけど。加那さんにこの話を僕は受けてほしくないです」

 満がきっぱりと言い切った。加那はその満の態度に驚いた。弱く優しい満が、自分のために他を切り捨てると言ったのだ。

「メリットなら、あります」

 佑がすかさず言った。

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