2−5

 うららかな春の庭を眺めながら、四宮佑は茶を用意して主人の部屋へと向かっていた。

 桜はとうに終わり、庭は新緑に満ちていた。夏には葉ができるだけ茂るように、木陰ができるようにと、今の主人、上田篠乃が庭を作り変えていた。

「篠乃様、失礼します」

 部屋の前で片膝を着き、佑は声をかけた。

「どうぞ」

 何度言っても礼儀を崩さない佑の態度に、笑い含みの主人の声が部屋の中からする。もう一度失礼しますと言って、佑は障子を引き開けた。

「わざわざ声をかけなくても大丈夫だよ。気配や足音で佑だって分かる」

 主人が文机から顔を上げて、こちらを振り返り笑っている。

 手元には巻物状の居衣を広げていた。

「わかりますか? ……いえ、節度はきちんとしなければ」

 佑も微笑みを浮かべて、それから生真面目に返した。

 部屋へと入り、主人の前に茶と菓子を置く。ありがとうと、篠乃は足を崩した。

 今日も篠乃は絣の着物を着ていた。その方が当主として様になるだろうというのが篠乃の言だ。

「真面目すぎだって、佑は」

 膝を軽く叩かれる。佑は笑みを返して、改めて篠乃の手元を見た。

「契約を更新されているのですか?」

 巻物にはずらりと朱雀に所属する被人の名前が書かれている。

「まあね。最近また人数が増えているから……」 

 篠乃は頷いて、数人の名前を墨で居衣にサラサラと書きつける。

 朱雀は関東圏内で一番勢力が大きく、被人を数多く抱えた一族だった。

 勢力が大きくなれば、当主の家は栄える。

 栄えるとは即ち財力そのものだった。

 システムは分からない。

 けれど、被人を多く獲得し、契約を結べば結ぶほど、当主の家は栄え、事業を大きくできる。

 被人は被人で、当主と契約をしなければ狂ってしまう。特に一度契約をしたことがある者は、その傾向が顕著で、狂った末に死を選んだ者も過去には多い。

 そして何より、被人は当主の香りに惹かれ、当主も被人の香りに惹かれるのだった。

 もともと朱雀は人繰りの関東四つの一族、朱雀、白虎、青龍、玄武の中では中程度の勢力だった。

 しかし、白虎の当主が雲隠れした二十数年前。

 白虎から契約破棄された多くの被人が野良として野に放たれ、路頭に迷った。

 残された三つの一族間で、被人の獲得戦争が勃発した。

 篠乃の前の当主も参戦し、早世した。

 篠乃は違った。

 最初は被人の獲得に消極的だったのだ。

 だが、弱り狂う寸前の被人……綾と東吾と出会ったことで、考えを変えた。

 被人を守り、従える義務があると考えたのだ。

 ――それからだ。

 篠乃はそういった被人を見つけると、狂っては可哀想だと積極的に自身の居衣に迎え入れるようになった。

 巻物――朱雀の居衣に名前を書き込み、自身の屋敷を彼らに開放する。

 今、朱雀の居衣には数百の被人が登録され、この屋敷には数十人の被人が同居していた。

「また綾と……東吾ですか」

「そうだね。彼らは、白虎への帰属意識が……執着が強い。何度、朱雀の居衣に名前を書いて契約更新しても、名前が薄れて消えていってしまう」

「不思議なもんですね……」

「ああ、研究はしているんだけど。被人も、居衣も、わからないことばかりだ」

 ふらっと篠乃の身体が揺れた。咄嗟に佑は手を差し出して身体を支える。

「大丈夫ですか?」

 腕の中に収まる細い身体を、佑は見下ろす。

 手を胸元において、篠乃がゆっくりと呼吸をする。弱々しく微笑むと佑を見上げた。

「当主についても、ね。被人を多く抱えれば抱えるほど、身体に変調をきたすのはなぜか」

「……今日は休んで下さい」

 佑は目を伏せた。その腕を篠乃が軽く叩く。

「もう何人か、契約が薄れかけているから、更新したかったんだけど」

「駄目ですよ」

 佑は篠乃の身体を抱き起こし、茶を飲むように勧める。 

「分かったよ」

 一口茶を口に運ぶと、篠乃が首を傾げて笑った。

「佑が床まで運んでくれたら、ちゃんと寝るよ」

「……全く」

 佑は笑い、主人に肩を貸した。篠乃が肩へ腕を回してくる。

 襖の先にすでに床はのべられている。

 主人を寝かしつけ、部屋を片付けた佑は静かに部屋の扉を閉めた。

「甘えてくださるのは嬉しいけれど、無理はしてほしくない……難しいな」

 佑は眉根を寄せて溜息を吐いた。

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