2−3
「白虎の新しい当主が見つかったんだって?」
庭庭へ向き畳へ寝転んでいる薫の耳に、棘のある女性の声が響いた。
薫は月光に光る庭の池で跳ねる鯉を眺めながら、無頓着に答える。
「ああ、綾か。来る頃だと思ってた」
「ああ、じゃないよ」
女性は険のある声を隠さない。薫の側に近寄ると薫を見下ろす。
長身の女だった。年齢は三十手前に見える。地味な事務服にゆるく巻いた髪を肩先で束ねていたが、目鼻立ちのはっきりとした美女だった。その美女の目が怒りに燃えている。
「見つからない会わせたくないって、何年も前の当主を放っておいて。今度は見つかったから私らに会いに行けって?」
「お前ら……お前と東吾が適任だろう? 会いたかっただろう? 白虎の当主に」
「ああ、そうだね」
がっと、女が寝転んでいる薫の肩をストッキングの足で踏んだ。薫がちらりと綾を見る。
「お前……下着が見えてるぞ」
「それがどうした。こちとら二百年は生きてんだ、今更そんなことはどうでも良い」
綾は薫の肩を踏む足に力を込める。
「本当は、鉤爪で引き裂いてやりたい……。お前が渋ったから、私達は前の当主にも会えず、死にも立ち会えなかった」
薫は黙る。綾は続けた。
「もちろん、そんな野蛮なことはしない。悔しいが当主を支えられるのは、補佐役であるお前……遠野家の者だけだ。だが、」
ぎりっと歯を食いしばる綾の変異が始まろうとしていた。感情の高ぶりに身体が反応している。拳を握る腕の産毛が逆立つ。拳にもふわりとした毛が生えかけていた。
「おい、綾!」
そこへ、大柄な青年が割って入った。部屋へと大股で入ってくると、綾よりも一回り大きな身体で彼女を背後から抱え、薫から引き剥がす。
太い両腕で背後から拘束されて、綾は足をばたつかせて後ろを振り返った。
「東吾! 止めるな」
「止めるさ。今更こいつを責めてどうなる」
こいつ、とそこだけは吐き捨てるように東吾と呼ばれた青年が返す。
東吾は見上げるような大男だった。短い髪を逆立てて、項や耳元を刈り上げるツーブロックにし、片耳にピアスをしているのが、厳つさをさらに目立たせる。年齢は綾よりも数歳年下だろうか。普段は穏やかな瞳は今は薫を睨みつけていた。
綾の変異は止まり、人間の姿に戻りつつあった。
「いってぇな」
綾の足に蹴り上げられた形になった薫がのそりと起き上がる。あぐらをかいて、綾と綾を拘束する東吾を見上げた。
「白虎だの当主だの馬鹿らしい。お前らが欲しがったのは当主という存在だけだろう。当主であれば誰だって良かったはずだ。俺は、前の白虎のばあさんが放っておいてくれって言うから、それに従ったまでだ。それをお前らは探せだの連れて来いだの」
「それが信じられない! 居場所が分かっていたのに、お前は私達にそれを絶対に明かさなかった。私達が、長く主人の側にいなければ狂ってしまうというのを知っていながら……!」
綾が東吾の腕の中から吠える。薫がはっと馬鹿にしたように笑った。
「お前ら、力の強い被人たちが集えば、当主に相当の力がかかるのにか。あの婆さんがお前らの力に耐えられると?」
ぐっと綾が言葉に詰まった。東吾が宥めるように腕の力を緩めて、綾の肩を片手で抱く。
「俺たちは前当主が病弱で高齢であることさえ知らされずにいた。……綾の非礼は詫びる。今度の当主の詳しい居場所を教えてくれ。話をしに行く」
綾も息を整えて頷く。
「ええ、教えて頂戴。いつまでもここに――朱雀の『居衣』に間借りしていることはできない」
綾は東吾の腕を軽く叩いて、もう落ち着いたと伝える。東吾は綾の顔を覗き込むと、それでも肩を離さずに引き寄せた。綾はそんな東吾の肩に顔を埋める。
薫が頬づえをついた。
「そんなに、狂うのが怖いかね。そんな長生きをしてでも」
「……人間であるお前には分からない。俺達の思いなど」
東吾が短く返す。
それにははっとから笑いをして、薫は二人を仰ぎ見た。
「狂って、滅べば良いと俺は思うがね。被人も、当主も……俺もな」
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