2−1
「本当に、ウサギなんだ……」
加那の目の前で、大根の葉をぽりぽりとかじっているのはウサギだった。
あれから二人は一旦寝ようとお互いに提案した。
二人とも状況に疲れ切っていた。
満はウサギ姿でダンボールの中のタオルに包まり、加那はベッドの端っこで丸くなって本来の時間まで寝た。
それから起き出して、ぼんやりとした頭で、お互いの姿を再度確認する。
やはり、女子高生とウサギだった。
加那は母親に頼んで、冷蔵庫の中からいくつかの野菜を取り出し、満の前に与えた。そして満は今、ウサギのままぽりぽりと大根の葉を齧っている。
「悪いけど」
加那はダンボールに蓋をして自身の姿を隠しながら着替える。
「悪いけど、今から学校に行くから私」
「わかりました」
律儀にダンボールの中から返事がする。
加那は、このダンボールの中にいるウサギが昨夜は眼鏡姿の成人男性だったなんて、おかしくて仕方なかった。
ここ数年で一番楽しい気分だった。
両親は今朝も喧嘩をしていた。その一瞬だけは気分が最悪になったが……。
いつものとおり無視をして加那は朝の支度をした。
「できるだけ、早く帰ってくるけど……ずっとウサギの姿で待てる?」
着替えを終えて、加那はダンボールをそっと開けた。
白い額から鼻筋が可愛い茶色のウサギがここちらを黒い瞳で見上げていた。
「大丈夫です。こちらの姿のほうが身体も楽ですから……寝て待っていることにします」
ヒクヒク動く鼻が見ているとムズムズする。指を伸ばし、つい、加那はウサギの額を撫でた。
「っと、ごめん」
相手が成人男性だと思い出し、手をすぐに退ける。
「いえ、心地良いです」
ウサギは目を閉じる。
「人間の姿のときと感じ方が違います。大丈夫です」
部屋は相変わらず良い香りに包まれていた。
加那は部屋を見渡した。どうも、匂いの元は自分とウサギのような気がしている。二人の匂いが混ざりあって、とても良い心地だった。
「じゃ、行ってくるね」
満へと声をかける。ウサギは後ろ足で立って、見送る様子で加那を見つめる。
「行ってらっしゃい」
小さく、加那にだけ聞こえるように囁かれて、笑顔で加那は家を後にした。
学校はその日、異様に長く感じた。
下校が待ちきれなくて、いつもより早く早くと時間が過ぎるのを待った。
いつものとおり、誰よりも早く学校を出て下校する加那を不思議に思う人は誰もいなかっただろう。けれど、加那の心の中は全く違っていた。
「ただいま!」
元気に言って、家の中に駆け込む。
両親はまだ仕事から帰っていない。加那の声を聞きつけて、満が加那の部屋の中から声を返した。
「お帰りなさい、加那さん」
ドアを開けば、朝と同じようにウサギが後ろ足で立ち上がっている。
部屋も相変わらず良い匂いだった。
加那は嬉しくなって、もう少しで満を抱き上げ抱きしめるところだった。
両親が帰る前にと、二人は部屋を出た。
満は加那の部屋で、加那の前で今度はウサギから人間へと変身してみせた。
変体が始まってから人間になるまでほんの数秒。
昨夜見かけたときと全く同じ紺色のスーツ姿の青年がそこに現れた。
小柄の加那は見上げなければいけない、黒縁眼鏡に細身の青年姿。
黒めがちの瞳がウサギ姿の名残に思えて、もう加那は怖くはなかった。
部屋を出た二人は、出会った公園へと足を向けた。
外は春の夕暮れにはまだ時間があり、風も無く穏やかだった。
ベンチに少し間を空けて並んで座り、話をする。
口を開いたのは満だった。
「あの……助けていただいて本当にありがとうございました」
ペコリと頭を下げる。
加那は大人に頭を下げられた経験がなく、少し驚いた。満は相当素直な性格のようだった。
「良いけど。……ウサギを助けたつもりだったし」
そっけなく言った後、小さく笑って加那は付け加えた。
恥じるように満が頭をかいた。
「自分もまさか……疲れ果てて眠ったら、自分がウサギになる特技――を持っているなんて知りませんでした」
「そう言えば、もう身体は大丈夫なの?」
「大丈夫、です。こう言うと誤解を生みそうなんですが……貴方の側はとても居心地が良い。具合も良くなりました」
加那はそんなこと、と良いかけてふと黙る。満からずっと漂っているこの香り。加那も満の側にいると随分と気分が良いのには気づいていた。
「あの……!」
意を決して、という様子で満が顔を上げた。
「僕のことを、もう少し話して良いですか?」
加那は少し考えてうん、と頷いた。
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