1−10

 その同夜。

 周囲を白壁に延々と囲まれた豪邸。

 広々とした日本庭園の中央に、御殿と呼んで差し支えないほどの大きな平屋敷があった。

 敷地にはその平屋敷と同様の、だが小規模な家屋が無数に点在する。その家屋同士は廊下で繋がれ、外廊下で回り込めるようになっており、中央の屋敷へと繋がっている。

 屋敷全体が寝殿造りと呼ばれる形を取っていた。

 その豪奢な和式の池で、月に向かって鯉が大きく跳ねた。

 ここは朱雀と呼ばれる一族の本邸だった。

「薫さん、新しい白虎の当主が見つかったと聞きましたが?」

 寝殿造りの一番奥の小さな部屋。

 そこに三人の人が集まっていた。

 床の間の前で寝転がる男と、対峙する青年、そしてその背後へと控える男。

 畳の上で作務衣姿で寝転がる中年の男へ、青年が呼びかけた。

「まあ、そう急くなよ。篠乃」

 自分の前へ正座している青年へとへらっと男は笑って見せる。

 男は遠野薫といった。

 大柄な身体に鋭い眼差し。四十絡みの男で、無精髭にボサボサの髪だった。だらしなく気崩れた作務衣姿で寝転がり、頬づえを着いて、目の前の青年、上田篠乃を見つめている。

 篠乃は対照的に背筋をスッキリと伸ばし、微笑んでで小首を傾げた。

 篠乃は二十歳前後の青年だ。目元が涼しい秀麗な顔に、癖のない黒髪。細身の身体には、最近の若者には珍しく和服を纏っていた。

 薫へ向かって篠乃は微笑みを浮かべる。

「急いてはいませんよ。ただ、私は朱雀の当主。貴方は白虎の補佐役。立場的には、白虎の当主の居場所が分かったその時点で早く教えていただきたかったと、そう言っているだけです」

 あくまでも柔らかく、篠乃は切り返す。

 薫がのらりくらりと躱すのはいつものことだ。

 目を細めて篠乃は本題に入る。

「それで、白虎の当主は今どこに?」

「ここからはそう遠くない……な。近くに、何らかの……恐らく野良の被人がいる」

 薫が天井を見つめてから、篠乃へ目線を戻す。

「捕らえに行くか?」

 からかうように、口端を上げて篠乃を挑戦的な目で見る。

「捕らえるなんて心外な。話をして、協力を仰ぐだけです」

 挑発的な薫の様子に小さく笑み、篠乃は首を振る。本心だった。

 話をして理解を得られなければ、こちらからは何もできない。

 今まで黙っていた、篠乃後ろに控えていた男がやや強引に話へ割り込んだ。

「そうです。こちらはあくまでも要請、お願いをする立場ですから」

 篠乃よりは何歳か年長の姿に見えるスーツの男は、心持ち身を前に乗り出していた。

「それにしたって元は貴方が、白虎の前当主との接触を長らく嫌がったからではないですか。こちらからの要請を無視して何年も――」

「いいよ、佑。その話は今度にしよう」

 篠乃が控えめに、背後の男、四宮佑を制した。

 佑は三十手前。短い髪を丁寧になでつけ、まるで秘書のような雰囲気を漂わせている。まだ憤慨した様子で薫を睨んでいたが、主人である篠乃に窘められて仕方無しと、はい、と背後に控えた。薫を睨む目つきは鋭い。

 それを見て、くくっと薫が笑った。

「まるで犬だな」

 すぐさま言い返そうとした佑だったが、目線で篠乃に窘められて黙る。

「……申し訳ありません」

「良いよ」

 篠乃は佑を軽く振り返ると、その膝をぽんぽんと叩く。佑は薫の顔を睨むのを止めて、二人は目線を交わしあった。

「おいおい、俺の前でいちゃつくなよ」

 さらに薫は煽ったが、慣れている篠乃にはきかない。

 さらりと無視し、薫を振り返っては目を細めて見やる。

「それで? 迎えは誰を寄越しましょうか」

「……俺が行くとでも?」

 起き上がり、薫はあぐらをかく。首を回し、眠そうに欠伸をした。

 篠乃は頷く。

「それが筋かとは思いますが……わかりました。一任してもらえるということですね」

「ああ」

 薫はあくまでも興味なさそうに、開け放された障子から外の庭を眺める。

 篠乃はしばし考えて、薫を見た。

「では、元白虎の被人であった彼らを派遣します。百聞は一見にしかずでしょうから」

 目線だけを篠乃へちらりと戻すと、薫はにっと笑った。

「そうしてくれ。アイツらなら、新しい主人に会いたくてムズムズしてるだろうからな」

 その回答に、初めて篠乃が溜息をついた。

「本来なら、これらを決めるのは貴方の役割ですけどね」

「知ってるさ」

「本当に進めて良いのですね?」

「仕方ないな。……もうお前が保たないだろう?」

 薫が、そこだけは声を低めて問いかけた。

 その言葉に先に言い返そうとする佑を再度手で制し、当の篠乃は笑う。

「僕自身は大丈夫だって言ってるんですけどね。周りがどうも、僕には甘い」

「篠乃様、そのようなわけでは」

 佑が言い募る。

「これだからね」

 肩を竦めて再度篠乃は笑った。

 けれど、その顔は夜の月光のせいだけではなく、青白かった。

 篠乃は佑に手を添えられて立ち上がる。部屋を出ざまにふと、思いついて薫を振り返った。

「それで? 今度の白虎の当主は女性ですか? 男性ですか?」

 薫は片膝をついた。その上に頬づえをつく。

「女だな。恐らくまだ若い……白虎の姫といったところだ」

「そうですか。お会いするのが楽しみです」

 篠乃は微笑んだ。 

 佑に肩をそっと支えられて、篠乃は薫の部屋を後にした。

 取り残された薫は目を閉じて考えにふける。

「白虎の当主が見つかったか……会いたくねぇなぁ」

 ひとりごちて、薫は目を閉じた。

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