第4話 ねむる男

 ひととおりの面談を終えると、「TUNO地域おこしプロジェクト」の浅羽が挙手した。

「馬木さんの身の回りの変化みたいなことは、聞いたりしないんですか」と意見を述べる。「なにかこう、事件に巻き込まれたっぽい雰囲気はなかったかとか、そんなのを聞くやつ。よくあるじゃないですか」

 刑事ドラマで、と言う意味らしい。すると宇藤木は、

「忘れていた」と、顔に驚愕の表情を浮かべた。大袈裟なしぐさに酒井姉弟らも目をぱちくりさせている。

 策略なのか、冗談抜きで何も考えていないのか。みずるは横目で宇藤木の真意をうかがっていたが、特に追加質問をする気配もない。

 すると、みかねたように難波が声をかけた。「気のついたことって、ありますかあ」

「いえ、おれにはありません。でも」

 浅羽によると馬木は、本来の勤務先とは別の場所にあるプロジェクト事務局にほぼ毎日、顔を出していた。浅羽および土井とはプライベートでも付き合いがあったという。


「おれたち、ときどき飲みにいったり、サッカー観に行ったりしていました」と浅羽が言い、土井がうなずいた。

「えー、お酒はどんなところに飲みに行きましたかー」また、難波が聞いた。

「近くの居酒屋、それにスペインバルとか。それで」浅羽は考えをまとめているようだったが、「馬さん、すっごく話が面白くて、いい人で」と、具体的な話は出ない。彼はこのあたりですでに目に涙を溢れさせ、

「うっ、おれ。なにもできなく、うっ。悔しくて、くやしくて」しばらくえづいていたがついに机に突っ伏し、海蝕洞の潮吹き穴から水の噴き出るみたいな音をさせて、泣いた。短髪の浅羽は横方向に体格が発達し、「海馬」という単語をみずるに思い起こさせた。

 周りが処しかねていると、近寄ってきた土井が男の背中をやさしくはたいた。

「吐き出したいことがおありのようだ。うってつけの好青年、難波くんがいます。思い切ってぶつけてください。がんばって」

 宇藤木はあっさりと難波に処理を任せた。


 面談を終えると、あとの処理を難波に任せた宇藤木は、一足早く部屋を出て、しばらくの間駐車場をうろうろし、それからようやくみずるの車へと戻ってきた。

 この男は無関心なふりをして、気になる相手の移動手段を念入りに調べることがあった。今日もそうかなと見ていると、やはり戻ってくるなりみずるに聞いた。

「ミニバンというのは、長い荷物でも載せられるんですか。そう、ゴムボートとかカヌーぐらいの」

「車によりますけどね」というと、二種類ほど車種をあげ、「大きいのは旅客機みたいなシートがついていた」と追加情報があった。

「軽のほうは、小さめのカヌーなら、シートを畳めばなんとか入るかな。大きいのは、サイズ上はかなりありますけど、どちらかといえばゴージャスな気分で乗る車だし、あくまで人を乗せるのが主目的。ボートとか長い荷を頻繁に乗せたいなら、屋根にキャリアをつけた方が早いかも。軽もですけどね」

「ふむふむ。じゃあ2台持ちかな」

 宇藤木はしばらく顎を引いて考えにふけった。


「さっきの泣き虫兄貴、本当に話を聞かなくてよかったの」気になったみずるが聞くと、宇藤木は夢から覚めたような顔をして彼女を見た。

「悪かった。愚問ね」みずるは謝った。「ああいうのは精神分析医とか占い師とかに任せた方がいいよね」

「いや、つい追求しそうになったから、自粛したんです」

「え、なにを」

「ひとつは彼、馬木氏に小額だろうけど、借金をしている」

「え、そうなの」宇藤木は相変わらず、根拠を示さずに言う。

「だから容態を詳しいところまで確かめたくて、召集に応じたんだろうね。もう一つは、これは丸わかりだけど、あの土井さんに気がある。わざわざ泣いたのも、そのせいかな」

「ああ、それは私もなんとなく思った。でも女性の方は……」

 浅羽の背中をさすったりはしても、表情に同情や共感は見られなかった。

「迷惑に感じている。あの女性のほうがずっと賢く、したたか。貫目が違うというか泣き男じゃつりあわない。彼女は彼女で表情に気になる陰りがあって、もしや不正経理にでも手を染めてるやもしれぬけど、今日のお題じゃないから、放置しとこう」

 宇藤木と行動を共にしていると、このぐらいの虚実定かでない決めつけは日常茶飯事である。みずるはひとつため息をついた。「そうね。今日はこのくらいにしといたろか」


 かけひきは面倒なので、「このあと、行きたいところはありますか」とみずるは自分から聞いた。リージョンセンターに来るまではさっさと帰りたかったが、どうやら仕事モードに入ってしまったようだと思う。

 時間もまだ早いし、なにより今日来ていた人間は、宇藤木ではないが揃ってどこか怪しく感じてならない。無言でにっこり笑った宇藤木に、みずるは釘を刺した。

「わたしに洗脳スマイルは効かないわよ」

「とんでもない。ただ、馬木の顔はぜひ見たいかな」と言った。

 馬木の入院先は、県立の救急医療センターに隣接した市立総合病院だった。少し前に隣から移されたそうだった。

 

 意識が戻っていないということもあり、家族以外の見舞いは制限されるかと懸念したが、追いかけてきた難波を前面に押し出し、病室へと入り込むのに成功した。

「ぼく、役に立つでしょう」難波はそっくり返った。

「ああ。ボンタンアメをやってもいい。一粒」宇藤木は相変わらず、難波には酷い言いようをする。

 ベッドの上の馬木は人工呼吸器をつけておらず、部屋も個室ではない。ただ何本ものコードとつながっていて、目はずっと閉じられたままだ。

 彼の周囲には、タオルや口腔ケアのブラシなど、体の手入れにつかう道具が少し置いてあるだけで、花も色紙も人形もなかった。


「子供のとき、おばあちゃんの見舞いにお花を持って行ったわ。でも今は、推奨されないのね」みずるが誰にともなく言うと、

「生ものはカビるし」と、宇藤木が言ってから周囲を見回した。

「ここは公立だから、ナースセンターへのお土産も断られるのだろうか」

 そして、病院のスタッフが出たり入ったりするじっと姿を見つめた。

 なぜだか、やけに真面目な顔をした宇藤木を、みずるは黙ったまま横目で観察してしまった。以前にも感じたが、彼は病院そのものにはどことなく慣れている様子だった。


「そうだ」難波が声をあげた。「今日は来てませんが、馬木氏の家族に会いたいですか。手配しますか」

「どっちでもいいや。とにかく彼の前面を見たかった」

「なんですか、それ」

 しかし馬木の顔には大きなガーゼがあててあって、どんな顔だかわからない。転落した時にかなり顔を擦ったようだ。後頭部と鼻、右耳、背中、肩口、足先が特にひどく傷ついているそうだった。

「そいつは十分、全身じゃないですか」と難波が言った。

 一方、生きた健康な人間とけが人、死体とをあまり区別しない宇藤木だったが、さすがに馬木に対しては、自分の顔を近づけたり遠ざけたりしげしげと観察し、看護師を呼び止めて細かな容態を聞いたりしていた。

 

「あの酒井さんの彼氏だというから、好感度マックスなひとだろうと思ってたのに、わかんなかったなあ」

 病室を出たあと、難波が言った。「写真だとイケメンなのにね。あ、お昼どこかで食べましょうよ。なんだったら『大好き丼』に」

 ヘビーユーザーはそう縮めるのだそうだった。「県内まだ3ヶ所しかない『ラーメン大好き』に行くと言うのもありです。割に近いですよ。でもお勧めはカツの三倍丼。カツサラダ丼ってのもメニューにありますから、和気さんはあれなんかどうです」

 リージョンセンターにおける面談は、午前の早い時間からだったため、病院を廻っても時刻はまだ十三時になったばかりだった。

「ここのトーストサンドでいいなあ」と、宇藤木が一階にあったコーヒーショップの名をあげた。

 これほどの大男なのに食べる量は少なく、脂っこいものもあまり好まない。だから細いのだろうとみずるは見ている。栄養失調気味と思わなくもないが。

「わたしもそれでいい。カツサラダ丼は、また今度でいいかな」

 車を、どうせ混んでいるであろうファストフード店に駐車しなおすのが少し面倒に感じて、みずるも宇藤木に同調した。

「じゃあぼく、ミートボールスパゲティにしよう。サラダもスープも、カプチーノもつけるぞ」難波は張り切った声を出した。万事立ち直りの早い男である。

 

 コーヒーショップで冷水を口にしながら、

「馬木氏の顔ね、あれでも腫れはかなりひいたそうだよ」ポツリと宇藤木が言った。「ちょうど傾斜を滑るように落ちたうえ、鬼の角の上に生えてた植物がクッションになったらしい。悪運だな。脳みその腫れは別として」

 ふうーん、とみずるが聞いていると、

「あ、これこれ」と難波が左手にフォークを握りしめたまま、スマートフォンの画面を突き出した。写真を見せているのだ。

 画面では三十前半とおぼしき男が作業着風ブルゾンを着て、口を開いて手を顔の前に広げ、いかにも明るく語りかけている。ただし画像は白黒だ。

「去年、経済紙にインタビューが乗ったんです。それも全国版」取り込んだ画像データではなく、現物を複写したのを見せるというのが、難波らしい。

「『再考・地域連携』って連載です。こうして世間に目立つの、きらいじゃなかったようですよ。歳のわりにマスコミに出てる」

「ああ、『オオタカ』でもみたかも」とみずるは県の広報紙の名をあげた。「だから記憶にひっかかりがあったのかな」


「悪いけど、うらやましく思える。ぼくの関わった事件なんて地方欄に、それもちょびっとしか載らないのに」と、難波は嘆いた。

「ぼくの名前だって載らない。いや、なにも新聞に載りたくて仕事しているわけじゃないですよ、もちろん。でもね、うちの親はぼくが刑事になってから、新聞を三紙も取りはじめたんです、以前からのはそのままに」

 やさしい親御さんね、とみずるが口にするより早く、宇藤木が真面目な顔のまま尋ねた。

「君が不祥事をやらかすのを、待っておられるのかい?」

「ち、が、い、ます」難波は歯をむきだした。

「市民の味方として載るのを待っているんです。アメリカだと、大事件とかで担当警官がテレビで会見するじゃないですか。なぜ日本はないのかな。なにしたら出してもらえるんだろう、『地域の警官』の表彰で載せてもらうなら、定年近くまで待たないとダメだし」

「そうだな。拳銃自殺ぐらいじゃ顔写真はでないぞ。間違いなく載るには警察署に立てこもって諸治係長を人質にして、公開処刑ぐらいしないと」

 ひどい会話になってきたので、みずるは難波の突き出したままのスマホに手を添えて、

「イケメンっていうより、優しそうな顔ね」と調子を合わせた。そしてスマホ上に映る小さな文字の記事を追ったが、読みづらい。

「あまり大したことはしゃべっていない。インタビューなんてそんなものだけど」と宇藤木が言った。先回りして読んではいるらしい。


「誠実そうには見えるでしょ。しかし、こんな善人面しながら酒井女史に手を出しているとは、けしからん。あの足に触ったのか。ますますけしからん」難波が憤ってみせた。

「キミ、ただよう偽物くささはともかく一応は警官だろ」と宇藤木が言った。

「事故または事件の被害者に対し、同情するフリぐらいできないのかね」むろん本気ではなく、からかっただけなのだが、難波は、

「僕よりもてる奴は、みんな敵なんです」と、憑かれたような目をして言った。

「なら、周りはことごとく敵じゃないか。若いのに人生に疲れるはずだな」と、宇藤木がまた冗談めかして言うと、難波は衝撃を受けた顔になり、気まずい雰囲気になった。


「えー、あのー」変な空気を変えようと思い、みずるは宇藤木に聞いた。

「馬木さんが、不倫というか浮気をしているというのは、もちろんブラフだったんでしょう。あの人たちを動揺させて反応を探るための。宇藤木さん、良くやるものね」

「いや、してる」宇藤木は間髪入れず断言した。

「え、そうなんだ」みずるは驚き、難波も目を丸くした。「証拠とか、理由とかは……どうせなにもない、ですよね」

 宇藤木はうなずいた。この男は、ときどきこうやって、神託でもするように根拠も前触れもなく、断じることがあった。それが、結構な高確率というか、たいてい正しかったりするため彼に対する警察内部での符丁は「占い師」であり、年配の職員にはノストラダムスを略して「ノスト」と呼ぶのがいたりした。一方、宇藤木によると彼の任務はシンプルに「解明」であり、証拠集めなどは警察の役割なのだそうだ。

「でも、してる」

「じゃあ、相手は誰なんです」難波が聞くと宇藤木は、

「コーヒー、おかわりできないのかな」と言った。「また、おとぼけですかあ」難波は両の腕を胸の前で組んで見せた。

 似たような状況において、この前はイヤイヤをするように身悶えしたので、気持ち悪いとみずるが正直に訴えたところ、このように変更された。

 ただしこの姿も、あまり見良いものではない。宇藤木は難波の膨れっ面にも、コップを抱えたまま知らん顔をしていた。

 

 みずるは、車に宇藤木だけを乗せ、待ち合わせ場所に使うこともある駅前のショッピングモールへと送って行った。

 彼はここから、また移動するのだという。しかし次の目的地まで連れて行けなどと図々しいことは、口にしなかった。

 万事に無神経そうな宇藤木だが、プライベートにみずると彼女の車を利用しようとすることはまずなかった。仕事以外で乗せるのは、車を持たない彼を見かねてみずるから申し出た時ぐらいだ。ケチも信念に基づいているのだろうか。

「今日は、お母上を送らなくてよかったんですか」思いついたように宇藤木が聞いた。

「ええ。いまごろは、近所の駅ビルで開かれるバリスタ講習会に出ているはず」

「バリスタ。この前はハンドベルじゃなかったかな」

「そう。なんにでも首を突っ込むの」

 休日の午後ともあって、ファミリーカーで混んだ道を走らせている間、宇藤木は車高の高いSUVの座席に、まるで車好きの犬のように機嫌よく座って外を見下ろしている。ときおり窓の外の風景が流れるのに合わせるように、首を動かした。

「ああ、あのオレンジ色の看板が『丼ぶり大好き』か。いわれてみると、やっつけで付けた屋号に思える」

「しつこいようだけど」二人きりなので、みずるは尋ねた。「馬木さんの浮気相手って、もしかして水口事務局長の奥さん……」

「さすが和気さん。お見通しとは思っておりましたが」宇藤木は、難波への態度とは一転して褒めてくれた。

「だって、さっきわざわざ聞いてたし。けど、ほんとに奥さんのこと、知っているの?」

「顔だけは」と宇藤木は言った。「わたしでも下準備ぐらいはしますからね。この近くの図書館に、さっき難波くんが見せたのと同じ新聞がストックしてある。そこに出ていたのです。理系の女性リーダーを紹介する連載記事でした。当時は課長さんだったかな。今朝、水口亭主が来ていたのは偶然ですけど、これは幸いだなあと思って」

「つまり、その記事だけでガンつけしたの?」

 宇藤木はうなずいた。

「なかなか仇っぽい感じにとれてましたよ、ポートレート。馬木の顔相と並べてピンときた。それぞれ、熟女好みと小僧好きに違いない」

「あきれた、マジにそれだけなの。信じらんない」

「マジ、マジ」嬉しそうに宇藤木は言った。

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