第34話 ほんの少し、信じるということ

「はぁぁぁぁ……」


 結局、土曜日と日曜日はずっと寝て過ごしていた。といっても、満足のいく睡眠は行えていない。寝ても覚めても伊波さんのことばかりが頭に浮かび、次第に夢の中にまで出てきたほどだ。しかも、最悪な結果をもたらしながら。


「胃と足が重い……」


 先週は伊波さんが何を抱えているのか気になり、今週は伊波さんがどんな答えを出してくれたのか気になり――


「……行きたくないな」


 けども、そうもいかない。

 俺は足を止め、ポケットからスマホを取り出すと連絡用アプリを開いた。


 伊波さんとのトークルームを選択し、最終のやり取りをした時間を確認する。時刻は、昨日の夜十時。


 内容は、


 ――明日の朝、校舎裏に来てください。返信はいりません。


 とのことだった。


 どんな用ではか流石に分かってる。

 文面から読める結末も……何となく、予想が出来る。


「完全に避けられてるよなぁ……はぁ」


 いつも、伊波さんとメッセージでやり取りをしている時はおやすみやバイバイ、また明日、等といった、言葉が送られてくる。それが、昨日に限ってはなかった。こんなの、暗にごめんなさいと言われているようなものじゃないか。


「はぁ……」


 憂鬱だな……。

 今日、何度目か分からないため息を吐きながら、一週間の始まりに不満を漏らすサラリーマンと同じような顔をしながら学校へと向かった。



 教室には向かわず、伊波さんから指定された校舎裏へと足を運ぶ。

 黒田が伊波さんにちょっかいを出そうとして、代わりに向かった場所。


 まさか、自分が……って、あの時は思いもしなかった。


 校舎裏へ近づくにつれ、心臓が騒ぎ出す。

 そして、伊波さんの歌声が聞こえてきた。今流行りのアイドルソングの一部分を心の中で何度も繰り返し歌っている。


 きっと、伊波さんなりに考えた俺への対策だろう。歌っていれば、心が読まれない。そう思っているのだろう。正解だよ。


「……伊波さん」

「ひゃっ!」


 後ろを向きながら立っていた伊波さんに声をかけるとビクッと体が跳ねて、歌が止まった。


「お、おはよう……聞いてた?」


 伊波さんはこっちを向かない。


「うん……上手だと思った」

「そ、そっか……音痴じゃなくて良かった」

「音痴でもギャップがあって可愛いと思うけど……」

「そういうの……止めて」

「ご、ごめん……」


 伊波さんの心の声を可能な限り、聞かないようにと集中して範囲を広め、学校にいる全ての者の声を拾う。

 それでも、一番近くにいる伊波さんの声が一番大きく聞こえてくる。


「伊波さん……いいの?」

「もう、聞いたでしょ?」

「……うん」

「じゃあ、今からちゃんと言うから」


 ああ、今から告白されるんだ。

 振り向いた伊波さんの目は決意に満ちていて、少しも揺るぎがなかった。


「私は鈴木くんのことが好き」


 真っ直ぐに伝えられた言葉は、さっき先に聞いてしまったものと同じだった。


「心の声をずっと聞かれちゃうのは怖い……鈴木くんには悪いけど、これだけはどれだけ悩んでも変わらなかった」

「うん」


 そんなの当然だ。伊波さんが謝ることなんて何もない。


「でも……でもね。やっぱり、鈴木くんを好きな気持ちも変わらなかった」


 ――あの後、家に帰ってからずっと鈴木くんのことを考えてたよ。メロンパンをくれたのも心の声を聞いたからなんだと思ったら少しショックだった。私が色々と考えてたことも全部知られてたんだと思うと恥ずかしくてたまらなかった。


「……なのに、俺が好きなの?」

「うん、好きだよ。だって、鈴木くんの優しさを改めて実感したんだもん」


 ――でも、心の声が聞こえたからってメロンパンをくれたのは鈴木くんが優しいからでしょ? その後だって、避けようと思ったら避けられたはずなのに鈴木くんはずっと避けないでくれた。


「私は鈴木くんが声をかけてくれなかったらいつまでも声をかけられなかったと思う。頑張ろうって思ってもどうしても怖くて一歩を踏み出せてなかった」


 ――だから、鈴木くんは無視してればよかったんだ。私の気持ちを聞いても無視してればこんなにも仲良くなることはなかったんだから。


「でも、鈴木くんはあの日、自分から挨拶してくれた。それが、嫌われようとしてだったとしても私はすっごく嬉しかった」

「うん、知ってる。伊波さん、誰か分からなくなるくらい泣いて喜んでたもんね」

「えっ……あ、あれも、聞いてたの?」

「あっ……」


 バツが悪くなり、目を逸らす。

 今になって思えば、伊波さんを気にしてたからだけど、女子トイレを盗聴しているみたいで犯罪者じゃん。


「鈴木くん!?」


 ――答えて! 私だけ心が読まれてるのはズルいよ!


 耳と脳に怒り気味の伊波さんの声が届く。

 堪忍して両手をあげながら白状した。


「すいません……伊波さんのことが気になってつい……」

「そ、それなら仕方ないな~……でも、次からは禁止だからね。犯罪はダメだから!」

「うぐっ!」


 伊波さんの口から犯罪者扱いされるとダメージが大きすぎる。軽く、死んだぞ。今。


「は、話が逸れちゃったけど。私は嬉しかったの。鈴木くんが付き合ってくれたことに。色々と気持ち悪いことを想像したのに嫌な顔せずに付き合ってくれた」

「……それは、そうしてた方が嫌われるかと思ってたから」

「そうだとしても、私は嬉しいの。鈴木くんの優しさが……一生懸命考えて、私のためにとってくれた行動が全部嬉しいの!」

「うっ……」


 一歩、また一歩と近づいてきた伊波さんはグッと距離を縮めてきた。見上げるような上目遣いに思わずたじろいでしまう。


「ちゃんと私を見て!」

「なんか、伊波さん怖いんだけど……」

「全部、知られてるんだもん。もう、隠すことがないって分かったんだからくよくよしててもしょうがないでしょ?」

「……強いね、伊波さんは」


 伊波さんの心の中はずっと俺への好意で溢れていて、心臓が苦しくなる。嬉しさが溢れてきて聞かなくていいのなら聞きたくないくらい恥ずかしい。もう俺の顔は赤くなってしょうがないことだろう。


「鈴木くんが言ってくれたんだもん。全部、受け止めてくれるって」

「い、伊波さん!?」


 突然、伊波さんの細い腕が伸びてきて背中に回された。全身が柔らかい感触に包まれるのと同時に鼻に伝わるいい匂いに心臓が大きく跳ねる。


「……もう、分かってると思うけど……私、鈴木くんとずっとこういうことしたかった」

「う、うん……」

「恋愛は怖いけど……やっぱり、興味もあったしいつかは本気で好きになった人と、とか思ったりしてた」


 神無月が謝ったとはいえ、やっぱり、本能ではまだ怖いと感じているのか体が震えている。


 ――こんなに好きって伝えたら逆に引かれたりしないかな……鈴木くんはこういうの嫌い?


「そんなことないよ。俺も、伊波さんをこうしたいって思ったこといっぱいあったから」


 伊波さんを安心させたい思いと伊波さんに触れたい思いを混ぜながら彼女の背中にそっと腕を回した。


「……今、すっごくドキドキしてる」

「うるさいくらいに聞こえてくるよ」

「それくらい、好きだってことだよ」


 本当に伊波さんはどこまでも真っ直ぐに想いを伝えてくれる。声でも心の声でも。こんなの、どう足掻いたって逃げられるはずないじゃないか。


「鈴木くんのことを完全に怖くならないようになるのはまだ時間がかかるかもしれない。でも、私は鈴木くんが好き。だから、あの告白を受け入れます」


 こういう時、なんて言えばいいんだろう。

 あの時、諦めただけの俺には分からない。


「ど、どうしたの!?」

「えっ……!?」


 気付けば、泣いていた。


 ――わ、私何か変なこと言った? 鈴木くんが傷つくようなことしちゃった?


「違うよ……そんなことないよ」


 伊波さんを驚かせたくない。だから、早く止まれ。


 なのに、涙は全然止まらなかった。


 すると、伊波さんが優しい手付きで背中に回していた手でぽんぽんと叩いてくれた。


「私も、もっと鈴木くんのこと知りたいから話していいんだよ」

「……嬉しいんだ。こんな俺、誰にも受け入れてもらえないと思ってたから、伊波さんが受け入れてくれて」

「苦しかったよね。怖かったよね。私、考えたよ。鈴木くんの立場。嫌い、怖い。何をしたわけでもないのにそう思われるのってすごく悲しいことだよね。私もそうだったから」


 ――でも、そういう感情がない人なんていないと思うんだ。私だって……そういう感情を抱く時がある。それが、生きてるってことだもん。


「伊波さん……」


 ――お互い、好きだからってケンカがない訳じゃない。そういう時は嫌いって思っちゃう。


「鈴木くんはそれが人一倍知ることになるんだよね」

「……うん。俺、弱いからそれが怖いんだ。嫌いって感情が直接届いてくるから」

「辛いよね……これから先、私が鈴木くんにそういった感情を一切抱かない、とは言い切れない。私も弱いから……」


 伊波さんはそれが申し訳ないと本気で思いながら苦しい表情を浮かべた。けど、すぐに安心させるような明るい表情になって、涙が流れている俺の目を真っ直ぐに捉えた。


「でも、これだけは言い切れる。私はそういった感情を抱いても、それ以上に鈴木くんを好きだって思ってる。だから、鈴木くんは私を信じて、私を好きでいて。私がいるから。私が鈴木くんを受け入れるから」


 伊波さんはゴソゴソと体を動かせたと思うとハンカチをスカートのポケットから取り出し、涙を優しい手付きで拭いてくれた。


「ほんと、ハンカチって必需品だよね」

「……はは、確かに」

「非常事態に最適だよ」


 穏やかに微笑んだ伊波さんに俺はちゃんと自分の気持ちを伝えることにした。


「ありがとう。俺も伊波さんのことが好き。だから、付き合ってください」

「はい」


 俺に足りなかったのはほんの少しの信じる心と一歩を踏み出す気持ちだったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る