第33話 二つの告白

 伊波さんからの看病が済み、制服に着替えて、保健室から出た頃には既に夕日が沈み、外は暗くなっていた。


「近くまで送るよ」

「え、いいよ。鈴木くん、早く帰った方がいいはずだし……むしろ、私が送っていくよ」


 俺のためにこんな時間まで付き合ってくれたってのに……甘えておけばいいものを。


 ――それに、鈴木くんがどこに住んでるのか知りたいしね!


 なるほど。そっちが目的か。

 でも、まだダメ。いつか、来たいなら来ればいいし、案内くらいするからその時まで我慢してくれ。


「大丈夫。もう、暗いし送っていくから」

「な、なら、ジャンケンで決めよう。負けた方が送られるってことで!」


 そこまでして、家を知りたいか。しかし、伊波さんはミスを犯した。この能力に目覚めてからジャンケンで負けたことがない俺にジャンケン勝負は自滅だということを教えてあげよう。


「いいよ。真剣勝負の一回勝負で」

「望むところだよ!」

「じゃあ――」


 声を合わせて手を出す。

 最初はグーを出して、


 ――チョキで勝つ!


 なるほど。じゃあ、グーで勝たせてもらおう。


「そ、そんな……」

「送っていくから。文句ある?」

「……ないです。お願いします」

「はい、お願いされました」


 ショックを受けている伊波さんを横目にしながら気付かれないようほくそ笑んだ。


 伊波さんと他愛ない話をしながら、ねっとりと熱された通学路を歩く。


「今日は楽しかったね~」

「その分、疲れたよ」

「鈴木くんは特にそうだよね」


 本音をいえば、球技大会そのものはそんなに楽しかったとは思ってない。やっぱり、予想通り……というか、それ以上に頭は痛くなったし倒れたしでいい思いはしていない。

 けども、楽しいと思えたのは伊波さんと過ごせたからだ。伊波さんと友達になっていなければ、俺は休んでいたかもしれないし、あそこまで真剣にならなかった。


 本当、伊波さんにメロンパンをあげて良かったよ。


 隣を歩く伊波さんとの距離は、隣で好きだと思われ続けていた頃よりは随分と近くなった。拳三つ分くらいしか空いていないのは道路だからということもあるが、心の距離が近づいたと自分に証明してくれているようなもの。


 けど、俺がそれ以上は近くしないようにと壁を築いている。どうしたいか、なんて、とっくに結論が出ているはずなのに、その壁を壊して寄り添おうとして、伊波さんに壁を築かれてしまうのを怖れている。


 だから、この状況のままが理想だ。

 このままでいれば、平和な日常が続く。


 伊波さんの気持ちを一方的に知ったまま、それへ踏み込みはせず、遠退きもせず、仲の良い友達のまま付き合っていく。


 そうすれば、きっと俺も伊波さんも変に傷つかずにいられる。恋愛感情を抜きにして、友達のままでいられたら、明日からも俺は伊波さんと距離をとらないでいられる。


 でも、それはきっと理想であっても幸せではないのだろう。


「あ、鈴木くん。ここまでで大丈夫だよ」


 伊波さんとの帰り道は距離があるはずなのにあっという間に感じてしまう。


「送ってくれてありがとう」

「ううん」


 ヘラヘラ、笑うな。

 言うなら言え。どうせ、言っても言わなくても後悔するだけなんだ。手に入らなくても諦めたりはするな。あの頃のように、後悔するだけならやるだけやって後悔しろ。


「い、伊波さん」

「どうしたの?」


 焦った様は伊波さんに筒抜けのようだ。


「き、聞いてほしいことが二つあるんだけどいいかな」

「うん、いいよ」


 ――鈴木くんが困ってるなら私が力になりたい。鈴木くんの助けになりたい。


 優しい笑顔を浮かべる伊波さん。


 俺は今からこれを壊すんだ。もう、元には戻れないかもしれない。でも、壊して次へと踏み出したい。


「実は、俺……」


 周りを今一度、確認する。

 伊波さんと俺以外は誰もいない。人影は見当たらない。

 けど、もしもの時を考えて伊波さんの耳元で小さく話した。


「心の声が聞こえるんだ」


 最初は、くすぐったそうに白くて小さな耳を赤くしていた伊波さんは、言葉の意味を飲み込んだのか信じられないような目を向けてきた。


「きゅ、急にどうしたの……?」


 ――真剣な表情してたから、誰にも聞かれたくないことなのかと思ったのに……あ、もしかして、笑わせようとしてくれてるの?


 やっぱり、そう簡単には信じてもらえないよな。


「お、面白いね! 面白すぎて、反応できなかったよ!」

「ごめん、笑わせようとしてないんだ」


 ――鈴木くんの顔がより真剣に……でも、そんなの嘘だよね? じゃないと、鈴木くんは私の気持ち、ずっと知ってたってことなんだもん。


「ど、どうしたの? やっぱり、まだ調子が悪いんじゃない? 早く帰って寝た方がいいよ?」

「嘘じゃないんだ……本当なんだ」

「い、いくら私が抜けてるからって流石に騙されたりしないよ~」

「……じゃあ、ジャンケンしよ。一回でも伊波さんが勝てば、嘘になるから」

「わ、分かった!」


 伊波さんと数回、ジャンケンを繰り返す。

 ぽんぽんぽん、と決め手を決めて出す。


「な、なんで……」


 数回、数十回と繰り返しても、


「一回も勝てないの……?」


 伊波さんが俺に勝つことはなかった。


 次第に伊波さんの表情が青ざめていく。


「これで、分かってくれた?」

「わ、分からないよ。もしかしたら、鈴木くんの運がすっごく良いだけかもしれないし」


 ――そ、そうだよ。そんなこと、あるはずないんだよ。今日、鈴木くんが頑張ったから神様が運気をプレゼントしてるだけだよ。


 信じてもらうため、俺はそれを反復した。


「そ、そうだよ。そんなこと、あるはずないんだよ。今日、鈴木くんが頑張ったから神様が運気をプレゼントしてるだけだよ」

「っ!?」

「これで、分かってくれた?」


 伊波さんは押し黙った。


「まだ、信じられないなら伊波さんが考えてること全部言えばいい?」


 出来れば、それはしたくない。口に出してしまえば、二度と消えることのないものになると思うから。


「……ほ、本当、なんだね?」

「うん。今日、勝てたのもこの力のおかげなんだ。神無月の行動を先読みしたから勝てたセコいやり方なんだ」

「そ、そう、なんだ……」

「最低だよね?」

「違っ……」


 違うと言葉で言っても、心を読まれると分かったから伊波さんは何も言わなかった。


 それでいいんだ。どう思われたっていい。事実なんだから。


「もう、分かってると思うけど……伊波さんの気持ちも全部知ってるんだ」

「……そ、それって、全部だよね」


 泣きそうな伊波さんを見ると本当に申し訳なくなる。自分ではどうしようも出来ないものだ。聞こえることにストップをかけられるのならかけたい。俺だって、こんな能力望んでなかった。


「……うん、ごめん」


 心の声を勝手に聞かれるなんて一番嫌なことだ。自分が今、何を思っているのかが知られていることは怖いこと極まりない。


「伊波さんが俺に好意を抱いてくれてることもどうしてそうなったのかも全部」

「そ、そうなんだ……」


 伊波さんの顔が赤く染まっていく。

 目には、既に涙が溜まり始めていて――。


「そ、そうだよ。私、ずっと鈴木くんのことが好きだったんだ……」

「うん、知ってる」

「鈴木くんと仲良くなりたくて……でも、やっぱり、誰かと恋愛するのが怖くて……」


 ああ、抱きしめたい。抱きしめて、俺の気持ちを伝えたい。


 泣いている伊波さんに伸びかけた腕を俺は戻した。


「俺も、伊波さんとそういう仲になるのが怖かったんだ。メロンパンをあげたのも心の声を聞いたからなんだ。なのに、伊波さんは好意を抱いてくれて……でも、怖かったから嫌われようと思った。けど、伊波さんはどんな時でも俺を好きだって思ってくれてて……俺も、伊波さんを好きになってた」

「鈴木、くん……?」


 好意を向けられたら好きになる。

 悪意を向けられたら嫌いになる。

 それは、極当たり前のことで、何にも変えられないこと。


 伊波さんに嫌われようとしていた俺はいつの間にか消えて、変わりに伊波さんを好きになってた。


「もう一つ、聞いてほしいことは俺の気持ち……俺は、伊波さんのことが好きです」


 ――え、じゃあ、私と鈴木くんは両想い、なの……!?


「うん、両想いだよ。少なくとも、俺はそう思ってる」


 このまま押しきれば、俺と伊波さんは晴れて付き合うようになり、ハッピーエンドを迎えることが出来る。


「でも、それを決めるのは俺じゃないと思うんだ。伊波さんに決定権を任せて悪いってのは分かってる。だけど、伊波さんに決めてほしい。俺はこれからも伊波さんの心の声を聞き続けることになると思うから」


 ある日、突如目覚めたこの能力が未だに何なのか分からない。いつ消えるのか、どうやったら消えるのかの検討もない。


「伊波さんの考えること……知られたくないこと……その全てを俺は知ってしまうんだ」


 俺が、伊波さんの立場なら今すぐにでも逃げ出したくなってた。自分の好きな人に何でも知られるのは嫌われるんじゃないかと思って嫌になるから。


 なら、言わなければ良かった。言わずに、ただ一言、好きの一言を伝えて、伊波さんと付き合っていけば良かった。


 けど、それはしたくなかった。伊波さんをずっと騙していくのは神無月と同じような気がして嫌だった。


「今すぐここで返事がほしいわけじゃないんだ。だから、ゆっくり考えて返事がほしい。俺が伊波さんを好きだってのは本当の気持ちだから」


 今ここで、伊波さんに返事をせがめば、きっと自分の気持ちを確認できないままになってしまう。

 伊波さんにはちゃんと自分の気持ちを確認してほしい。それで、断られても俺は後悔しない。あの時みたいに、何もしなかった訳じゃないのだから。


「今、ここで返事はしない方がいいの?」

「……ごめん。でも、俺は伊波さんに自分のことを考えて、答えを出してほしい。俺のことは考えなくていい。伊波さん自身がどうしたいかを決めてほしいんだ」


 彼女は優しいから、自分のことよりも俺のことを考えてくれるだろう。でも、これだけはちゃんと自分を一番に考えて決断を出してほしい。


「……うん、分かった。じゃあね……」


 ――私が鈴木くんとどうありたいか……ちゃんと考えて、向き合って、答えを出さなきゃいけないんだ。そうすることが何よりも大事、だもんね……!


 伊波さんは真っ直ぐな目を俺に向けるとすぐに優しい笑顔を見せて、家の方へと歩いていった。途中で姿が見えなくなると俺は宙を見上げた。


 こればっかりはどうなるか分からない。受け入れてもらえるか、もらえないか。


「……まあ、無理だよな。心の声をずっと聞かれながら付き合っていくなんて出来るはずないよ」


 ふう、と静かに息を吐く。

 まだ、そうとは決まってないはずなのに涙が滲みそうだった。


「はは……いつから、こんなにも好きになってたんだか」


 お腹が空いててうるさかったから、メロンパンをあげた。たった、それだけのことで好意を抱かれた。

 でも、どうせ受け入れてもらえないからと嫌われようとした。


「なのに、今は嫌われたくない……受け入れてもらいたくてどうしようもない」


 俺の心はそれくらい伊波さんを望んでしまっている。


「はあ……帰ろ」


 いつまでもここにいたら、返事を知りたくて伊波さんの心の声を聞いてしまう自信があった。


 俺は重い足取りで自宅へと向かった。

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