第29話 負けられない戦い②

「……っ、もう痛い」


 前半戦が終了後、休憩時間の間に俺は水道水の水を頭からかぶって頭痛を少しでも紛らわせようとしていた。

 球技大会の試合であるゆえ、本当のバスケの試合時間通りにするのではない。前後半で十五分ずつ、ということになっている。


 全神経を集中させて、神無月を徹底的にマークし始めたのは前半戦が終わる五分前のことだ。全力で神無月の相手をしたとはいえ、たったの五分。なのに、ずきずきと何もしないでも頭が痛がっている。後半、最後まで試合に出てられるかな……。


 そのまま、水をかぶり続けていると。


「鈴木くん」


 伊波さんが近づいてきた。

 まあ、心の声で分かっていたことだから驚きはせず、そのままの状態で返事をする。


「どうしたの?」

「大丈夫かなって思って……フラフラしながら田中くんの呼び掛けにも返事してなかったから……」

「ちょっと熱中したから頭を冷やしたくて」


 田中の呼び掛けには気付いていた。

 でも、どうしてあんなに、と理由を聞こうとしていただけなので無視した。まあ、ゾーンにでも入ってると思っててくれ。初心者が入れるのかなんて知らないけど。


 水道を止めて髪や顔についた水を持ってきていたタオルで拭いていく。


 ふう……少しは、ましになったかな。


「あ、あの……これ!」


 差し出されたのは自販機で買ってきたであろうスポーツドリンク。


「差し入れに……良かったら、飲んで?」

「ありがとう」


 水は大量に飲んだが、今は頭痛を少しでも和らぎたい。腹痛で痛みが和らぐならそれでいい。


 スポーツドリンクを勢いよく喉に通していく。ただの、水を飲むよりも遥かに美味しくて体が癒されていく気がする。


「美味しい」

「ほんと……って、私が作った訳じゃないんだけどね」


 おちゃらけた様子で伊波さんは頭をかく。


「うん。でも、伊波さんの気持ちが嬉しいから自分で買うよりも美味しいよ」

「……っ! そ、そっか!」


 伊波さんの耳が赤くなっていく。


「……熱そうだし、伊波さんも飲む?」

「へあっ!?」


 ――そ、それって、間接キスだよ!? 気付いてないの!?


 気付いてないはずないだろ。


 スポーツドリンクを差し出して、じっと待っていると恐る恐る伊波さんの手に渡り、何かを決意したように勢いよく口をつけた。


 こんなにも、真っ直ぐ好意を向けられると本当に照れくさくなる。


「お、美味しいね……!」


 ――味なんて、全然分からないよー!


 でも、そんな伊波さんが可愛く思えてしょうがない。


「風に当たってから戻ろうと思うんだけど付き合ってくれる?」

「う、うん……!」


 いつも、一緒にお弁当を食べている場所まで向かって二人で座る。


 ――は、恥ずかしくてここが限界……!


 間接キスが効いているのか伊波さんはいつもより距離をとっていた。そんな、彼女に近づくとビクッと肩が跳ねる。


「伊波さん、肩貸してもらってもいい?」

「え……す、鈴木くん!?」


 返事を聞く前に伊波さんの肩に頭をそっと乗せた。

 すると、大きく肩が跳ねた。


 ――きょ、今日の鈴木くんはどうしちゃったの!? すっごく、積極的で心臓がもたないよ!


 伊波さんだって、積極的なくせに。知らないだろうからいいけどさ。バスケの試合中、誰よりも大きな声で好きな人を応援すると結ばれる、ってジンクスがあるらしいからな。どこから発展したのかは分からないけど……噂になってた。


「ごめん。伊波さんに支えられてると落ち着くから……少しだけ、こうしてていい?」

「う、うゅん……!」

「ありがと」


 静かに、目を閉じた。伊波さんの肩が緊張で強ばっているのが凄く分かる。


 ああ、やっぱり、落ち着く。頭痛もちょっとばかしましになっていく気がする。


 さっきのは伊波さんに触れたくて並べた言い訳じゃない。まあ、微塵もそれがないかと言われれば五割ほどあると答えてしまうが、あくまでも疲労回復のためだ。俺は伊波さんに癒しをもらっているだけ。


 ――ど、どうしよう……何か話して気を紛らわせないと抱きしめそうになっちゃう。いくら、今日の鈴木くんが積極的だからっていきなりは痴女だと思われちゃう。


 思わないよ。伊波さんがヤバい考えをするってことはもう慣れたから。


「や、やっぱり、鈴木くんってバスケやってたんでしょ?」

「どうして?」

「だって……すっごく、カッコ良かったから……」

「ありがとう。実はさ、中三の時の担任がバスケ部顧問で体育教師でさ。必要な授業内容以外はずっとバスケやらされてたんだ」

「そうなんだ」

「で、その担任がすっごく熱血でめちゃくちゃ手取り足取り教えられて。だから、それなりには出来るんだ」


 その時から、俺は熱血教師が嫌いになった。善意でやってくれていることだから、嫌いになることが悪いとは分かってる。けど、何回もドリブルさせられたりシュートの練習をさせられたりと鬼過ぎたのだ。


「凄いね。でも、どうして初めから本気を出さなかったの?」

「目立ちたくなかったんだ。ほら、神無月からボール奪った時のブーイング凄かったでしょ?」


 神無月からボールを奪ったり、神無月を抜いたりする度にファンから汚い言葉が沢山とんできた。


「確かにね……ファンの子からしたら鈴木くんは敵だもんね」

「そっ。誰も、自分の好きな人が負ける姿は見たくないと思うし」

「わ、私も……鈴木くんが負ける姿は見たくない、よ……?」


 ――つ、伝わったかな。好きって、気付いてくれたかな!?


「うん。俺も、伊波さんに負けたところを見てほしくない。だから、頑張ろうって思ったんだ。応援、されたしね」


 伊波さんの応援はあの大きなものだけじゃなかった。ずっと、ファンの歓声にかき消されていたが脳には聞こえていた。鈴木くん、頑張って、ってずっと言ってくれていたことが。


「ご、ごめんね。つい、興奮しちゃって夢中になって応援してたらあんな目立つようなことになっちゃって」

「ううん、嬉しかったから……っと」


 田中が俺を探している声が壁の向こうから聞こえてくる。そろそろ、試合が再開されるらしい。

 流石に、こんなところを見せる訳にはいかず、伊波さんの肩から頭を退ける。


「お、こんな所にいたのか。もうじき始まるぞ」

「分かった」


 呼びにきた田中にそう返事して、スポーツドリンクを飲んで体力を回復させていく。


 うん、随分と楽になった。


 伊波さんのおかげで頭痛も収まってはいないが平衡感覚を失うことはなさそうだ。軽くジャンプしてみても危険を感じない。


「呼ばれたから、そろそろいくね」

「う、うん……」


 ――肩が少し寒いな。もっと、鈴木くんとくっついていたかったな。


「はい、伊波さん」

「え、ど、どうしたの?」


 差し出した手の意図が伊波さんには通じていないようだ。


「その、階段から落ちたら危ないから……」


 伊波さんを抱きしめたりするのはまだ出来ない。でも、ほんの少し触れ合うことならこれで出来るから。


 ――たった、三段だけなのに……鈴木くんは本当に優しいな。


 違うんだけどなぁ……俺も、伊波さんに触れたいんだよ。でも、大胆なことは出来ないから君のためって理由をつけて乗っかってるだけなんだ。


「ありがとう」


 重ねられた手のひらからは温かいものが流れ込んでくるような気がした。

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