第25話 今の恋は上手くいく③

「伊波さん、大丈夫……?」

「う、うん……」


 あの後、特に何も話すことなく二人は席を確保しに向かった。

 けど、伊波さんの表情はずっと曇ったままでどうしても何があったのか知りたくなってしまう。


「……伊波さんが話したくないならいいんだけど。何か、話して楽になるなら聞くよ?」


 顔を上げた伊波さんの目は不安でいっぱいのように揺れていた。そんな彼女の少しでも何かになりたくて、出来うる限り安心してもらえそうな表情を作る。


 ――本当に、いいのかな……? 引かれたり、しないかな……?


「知りたいんだ、伊波さんのこと」

「……あの子、神無月かんなづきくんっていうんだけどね」


 伊波さんが口にした名前は俺も度々耳にしたことがあるものだった。

 よく、女の子同士の話題になっているからだ。興味もなかったからどんなやつかは知らなかったけど……本人を見てしまうと納得がいった。


「中学三年の夏休み前から卒業式の日まで付き合ってたんだ」

「そう、なんだ」


 さっきも聞いて知ってるはずなのに。どうしても、伊波さんが誰かと付き合っていたことに胸がざわついてしまう。今どき、誰とも付き合ってない方が珍しいって話なのに。


「私、中学時代も友達がいなくてね……いつも、一人だったんだ。そんな時に彼から告白されてね……よく知らなかったけど、嬉しくてすぐに返事しちゃったんだ。いいよって」


 それだけなら、ただのいい話で終わりになる。でも、伊波さんがこうなっているのを見る限り、いい話では終わっていない、ということだろう。


「それで、私……一人になりたくなくて、好きでいてもらおうと頑張ったんだ。誰かと付き合うとか初めてだから色々調べてね。一緒に下校したり、お弁当を作ったり、連絡したり、デートしたりして……」


 もういいよ。そこから先は言わなくて。もう分かったから。知ったから。


「でも、そんな私がうざかったんだろうね。卒業式の日にね、言われたの。告白したの実はゲームだったんだって」


 伊波さんになんて言えばいいのか分からなかった。

 傷ついてるはずなのに無理に笑う必要なんかない。

 そう言えばいいのに、言葉が濁って出てこない。


「それから、男の子がちょっと怖くなったんだ……クラスでも鈴木くん以外とは、上手く話せる自信もなくて……」


 伊波さんは分け隔てなく、男女平等に優しくしているように見える。けど、男子にだけはどこか一戦を引いて距離をとっている。


 それを、俺は何か嫌なことがあったからと考えていた。この前、伊波さんに告白しようとしていた男子のように見た目のせいで気持ち悪い付きまといをされたのかもしれない。変に恩着せがましく連絡先の交換を求められたのかもしれない。


 だから、男が怖いと思ってる。

 そう考えていた。


 でも、本当はもっと酷いものだった。


「伊波さんがそうなるのも無理ないよ」


 俺は誰かに騙されて他人と深く関わらなくなった訳じゃない。でも、傷つくのが嫌で、って部分は少し重なる気がする。


「でも、伊波さんは悪くない。何も悪くないよ。ごめん、こんなことしか言えなくて」


 もっと、他に何か伊波さんを元気づけてあげられるようなことを言いたかった。

 こんな、誰でも言えそうなことじゃなくて俺にしか言えないようなことを。


 ――泣いちゃダメ……折角、鈴木くんが励ましてくれてるんだから笑顔で受け取らないと……!


 泣きたかったら泣いていい。伊波さんの泣き顔なんてもう見慣れてる。抱きしめたりはしてあげられなくてもハンカチを渡すくらいなら出来るから。


「ううん、聞いてくれてありがとう。そろそろ、帰ろっか」

「その前に。トイレ、行かないで大丈夫?」


 ごめん、こんな恥ずかしい聞き方しか出来なくて。でも、察してほしい。


「……心配だから、行ってきてもいい?」

「うん、待ってるから。あ、ハンカチとかある?」

「忘れちゃった……」

「じゃあ、はい。あとさ、もしトイレが混んでても我慢したりしなくていいから。ゆっくりでいいよ」

「ありがとう……!」


 伊波さんがトイレに行くのを見送ると自然と息が漏れた。

 伊波さんの心の声を聞く限り、神無月を好きだった、訳ではないらしい。けど、どうしても悲しくなるのは好きになろうと頑張ったことと好きでいてほしくて頑張ったことが報われることがなく、ゲームだと教えられた時に色々と言われたかららしい。


 本気になってバカみたい。重たくて気持ち悪い。


 だから、神無月と会えば自然と思い出して泣きそうになるんだろう。

 現に、


 ――うっうっ。うっうっ。


 伊波さんの泣き声が聞こえてくる。


 あんまり聞くのも失礼だと集中を解くとガタッと正面に誰かが座った。顔を上げると神無月だった。


「そう、嫌な顔しないでほしいな。僕が伊波さんの元カレだからってもう未練なんてないよ」


 ――そもそも、最初から好きでもなんでもなかったし。


「それに、僕は君に忠告しにきてあげたんだよ。彼女、すっごく重たいから気を付けた方がいいよって」


 ――いつも一人でいるから、優しくしたらすぐに落ちるんじゃないかって友達と賭けてただけなのに本気になられて困ってたんだ。


「頼んでもいないのに弁当は作ってくるし行きも帰りも待っているし毎晩連絡は寄越すしでほんと疲れたよ。だから、今は気分がすごく楽だよ」


 ――まあ、顔は可愛いから側に置くだけ置いといたけど。


 俺は感心した。ここまで、爽やかな王子様スマイルを浮かべたまま心の中を汚く染められることに。


 今まで、散々のウラオモテを聞いてきた。

 でも、ここまで腹が立ったのは初めてだった。何も言い返せないほどに。


「おっと。注文も終わったみたいだしそれじゃあ――」


 一緒にいた女子生徒に呼びかけられ、席を立った神無月の腕を思わず掴んでいた。

 何を言えばいいのか分かっていないのに。


「ご忠告、どうも」


 せめてもの抵抗として、笑顔を浮かべると悔しくなるくらいの王子様スマイルを向けられた。


「気を付けてね。じゃあ」


 ――早く、離せよ。汚いな。


 腕を強く振り払われ、ホコリでも取り払うかのような仕草をされ、そのまま去っていかれた。


「お、お待たせ……どうしたの?」


 トイレから目を赤くした伊波さんが戻ってきた。


 ――目は治らなかったけど……あんまり、遅くなると鈴木くんに心配かけるかもだししょうがないよね。鈴木くん、私が泣けるようにああ言ってくれたんだし。


 そんな彼女に、さっきまで神無月と話していたとは言えず、何でもないよと言うしかなかった。

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