第16話 友達ならここにいる 前
伊波さんドキドキ現象はやりすぎてはいけない。
それが、俺の学んだことだ。
居心地のいい世界を望もうにもどうしても伊波さんはそれを許してくれないらしい。
平和な日常も伊波さんに泣かれると無理。
伊波さんドキドキ現象も気絶させちゃうかもしれないから無理。
はいはい、詰んだ詰んだ。もう、終わり。どうやっても伊波さんからは逃げられない。それこそ、心の声を聞けるんだと打ち明けるしかない。
けど、それは最後の手段。もし、伊波さんが俺を政府に売るようなことでもすれば俺は実験体にされる。
その未来だけは絶対に避けないといけないんだ。
……まあ、伊波さんがそんな極悪非道な女の子とは思わないけど。
だって、彼女は信じられないくらい優しい女の子なんだから。
「しゅ、しゅずきくん!」
――か、噛んじゃったよー! 痛いっ!
「どうしたの?」
伊波さんドキドキ現象が起こった日から一日が経った。
昨日、伊波さんは学校を休んだ。
その理由を俺は知らないがどうせ今から勝手に語ってくれるだろう。
――こ、この前、夢だと思って鈴木くんにとんでもないことしちゃった。
ほんとにな。あの日、俺だって大変だったんだからな?
――あの後、先生に話を聞いたら夢なんかじゃなかった。全部、現実だった。気を失った私を鈴木くんがお姫様抱っこで運んでくれたんだって。授業が終わってからも様子を見に来てくれてたんだって。
一応、俺の責任でもあるししょうがなくなんだからな。勘違いしないでくれよ。
――なのに、私はお礼も言わずに鈴木くんにベタベタベタベタ触って……仲良くしてくれるからっていきなり段階をすっ飛ばしすぎだよ! どこの世界の鈍感系ヒロインだって話だよ!
懲りたならこれからは寝惚けないでくれ。あんなの、男ならすぐにコロッと落ちちゃうからな。
――すぐにお礼を言わないとなのに恥ずかしすぎて昨日は休んじゃった。けど、今日は頑張る。昨日みたいに、一日中真っ赤でなんかいられないもん……ぅぅぅぅ、は、恥ずかしいよ~!
伊波さんの頬が赤くなっていく。
何を思い出しているのかは壁ドンやらお姫様抱っこやら色々と思い出してやらというのが伝わってくるので分かる。
その点を踏まえた上ですぐにやめてほしい。
事情は察してくれ……。
――い、いつまでも恥ずかしがってちゃだめだ。今日は誘うんだから!
「きょ、今日の放課後、空いていますか?」
――暇でありますように。暇でありますように。暇でありますように!
「うん、空いてるよ」
「ほ、本当っ!?」
――やった。鈴木くんが暇人でよかった!
……ケンカ、売られてるのか?
「そ、それでね。この前のお詫びに放課後、どこか遊びに行きませんか!」
伊波さんの耳が赤く染まっていく。
周囲からは羨ましいや死ね鈴木、断ったらどうなるか分かってるんだろうな、等と断れる気配がない。
しかし、どうして君は堂々と教室でこんなことを言って自分の気持ちを隠せていると思っているんだ。あれか。無意識に外堀を埋める効果でも働いているのか?
「あの……どう、かな?」
「いいよ。行こっか」
どっちにしろ、断るつもりはない。
一緒に遊びに行って、伊波さんが幻滅するような行動をすれば泣かせずに嫌われるかもしれないからな。クックック……見て――。
「うん! 楽しみだね!」
伊波さんが浮かべた笑顔に俺の考えていた作戦の全てが頭から抜けていった。
――鈴木くんとデート♪ 鈴木くんとデート♪ 鈴木くんとデート♪
一日中、そんな鼻唄を聞きながら迎えた放課後。
今日は掃除当番でもないので伊波さんとすぐにどこかへ出かけるのだろう。
そんなことを思っていると、
「伊波さーん」
「どうしたの?」
気分が高揚しているであろうオーラが見える伊波さんに声をかける二人のちょっと派手めな女の子。
「今日、ウチラこれから用事あるんだ。だから、掃除当番代わってくんない?」
「えっ……」
これは、流石に伊波さんも想定していなかったのだろう。オーラが一瞬にして消えた。
ぴたっと固まっている。
――ど、どうしよう……私だって鈴木くんとの約束が。でも、向こうは大事な用事かもしれないし。
断れ。断ったらいいんだ。大事な用事なんかじゃない。カラオケに行くだけだから、気にせずに断ればいいんだ。俺を理由にしてくれたっていい。この二人にどう思われようと俺は気にしないから。
――それに、困ってるなら助けないとだよね!
そいつらなんか助けなくていい。そいつらは――。
「あのさ。悪いけど、俺と伊波さんも用事あるから掃除は自分達でやってくれ」
伊波さんは優しすぎるのがダメだ。
そいつらを助けたところで君が望むようなことには絶対にならない。だから、無視すればいいんだ。
「は? 私達は伊波さんに頼んでるの。関係ないやつは引っ込んでてよ」
くっ……自分がちょっと派手めだからっていい気になりやがって。後、キモいとか自惚れ野郎とか連呼するな。ちゃんと聞こえてるんだからな。
「だ、大丈夫だよ。私がやるから」
「本当? ありがとう。助かるよー」
「それじゃ、またね~」
「う、うん」
――あーあ、折角、鈴木くんが助けてくれたのに私ってバカだなぁ……呆れられたよね?
「ご、ごめんね、鈴木くん。折角、約束してたのに……今日はなしに――」
「そんなこと、どうでもいいからさ。早くやろうよ」
心の声を聞かなくても、伊波さんが落ち込んでいることなんてすぐに分かる。
ぽつんと突っ立っている伊波さんを放ってほうきを取り出す。
「て、手伝ってくれるの?」
「向こうは二人で言ってきたんだしこっちも二人でやらないとでしょ」
「で、でも、鈴木くんは関係ないよ?」
「あるよ。俺達だって約束してるんだし」
「あ、ありがとう……!」
――鈴木くんが優しい……優しすぎるよ。
俺よりも伊波さんの方が優し……いや、違うか。結局、みんな自分のことしか考えていないんだもんな。伊波さんも。
二人で掃除をやったおかげで随分と早くに終わった。アイツらに痛い目をみせるために適当に終わらせてやろうかとも思ったが伊波さんが、
――頑張らないと。折角、鈴木くんが手伝ってくれてるんだし綺麗にしたいもんね。
等と考えていたので手を抜くに抜けなかった。
「ありがとう、鈴木くんが手伝ってくれたおかげで早く終わっちゃった」
「いいよ、あれくらい。それで――っと、ちょっと待った」
「どうしたの?」
不思議そうにする伊波さんを無視して心の声に集中する。
この声は……。
「伊波さんこっち」
「えっ!?」
伊波さんの手を引いてすぐ近くの空き教室に身を隠す。
暫くして、廊下から複数の声が聞こえてきた。
「今日、掃除当番って言ってなかった?」
「あー、伊波さんに代わってもらった。あの子さー、何でもうんって返事するから楽だよねー」
「ちょっと、自分が可愛いからって周りに優しくしてるんだよ」
「自分に酔ってるんだよねー。私は可愛い、私は優しいってさー」
きゃはは、と笑いながら容赦のない言葉がここにまで届く。
きっと、伊波さんにも届いていることだろう。
彼女等は何も間違ったことをしていない。
伊波さんが気にくわないから、掃除を押し付けたにも関わらず嫌味も吐く。
人として当然だろう。
伊波さんが可愛くて優しいからといって万人受けをするわけじゃない。当然、彼女等のような意見もある。
だから、俺はどうこうしない。
正義感ぶって、訂正しろと真正面から言うヒロインを守るような主人公にはならない。
結局、それはただのエゴなのだから。
「どうでもいいから早く行こうよ~」
三人の話題はすぐに変わったようで廊下からも聞こえてこなくなった。
伊波さんの心の声も聞こえなかった。
「あ……ははは……た、楽しそうだったね」
「……無理する必要ないと思う」
あれは、俺が言い返す場面ではなく、伊波さんが言い返す場面だったのだ。
それを、言ったつもりだった。
「……無理はしてないよ。けど、ちょっとだけこうしてていい?」
けども、それが伝わることはなく、変わりに制服を弱々しく握られた。
伊波さんを彼女等と遭遇させたくなくて隠れたのに失敗したな……。
俺は心の中で泣いている彼女が落ち着くまで埃がかった天井を後悔しながら見上げていた。
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