第15話 ほんの少しだけ前に進んでみた 後
「ごちそうさまでした」
伊波さんのお弁当を食べ終え、手を合わせた。
今日、持ってきていたパンは明日にでも食べよう。
――本当に風邪じゃないよね? 私の手作りが不味くてお腹壊してた、とかじゃないよね。
隣から、伊波さんのハラハラとした声が聞こえてくる。
さて、どうやって安心してもらおうか。
まあ、考えるまでもなく答えは出ている。
ただな~、泣いていた女の子にどうして泣いてたの? って聞くのは野暮だよなぁ。けど、まあ、いっか。安心してくれるならそれで。
「伊波さんはどうして泣いてたの?」
びくっと肩を震わせられる。
泣いていた理由なんて知っている。
けど、知らない風を装って、伊波さんの目をちゃんと見て。
「……その、鈴木くんに嫌われたんじゃないかと思ったんだ。無視、されたみたいだったから」
――こんなの、まるで、嫌わないで言ってるようなものだよね。
「無視したつもりじゃなかったんだ。購買って戦場みたいに激しいらしいからどう戦おうかずっと悩んでて」
嘘でしかない。
でも、いかにもそれが本当だったみたいに頭をかいて現実性をもたせた。
「そうなんだ!」
どうやら、信じてくれたみたいだ。
ぱあっ、と明るくなった伊波さんの表情を見て安堵の息を気付かれないようについた。
「私もね、鈴木くんがメロンパンをくれた時は購買で撃沈したんだ。あれは私じゃ敵わないって思い知らされたよ」
「あれに挑むには経験値が足りなかった」
と言いつつ、俺は購買を利用しようとしたことがないから分からないんだけど。伊波さん曰く、戦場だとか屍になった、とか言っていたから便乗しただけだ。
「てか、伊波さん俺に嫌われたと思って泣いてたんだ」
「っっっっ!」
途端に、伊波さんの頬がみるみる赤くなっていく。
「……ダメ?」
正直、そんな聞き方されるとは思っていなくて答えるのに戸惑った。
伊波さんに泣かれると困ってしまう。
どうにかしなくちゃと勝手な正義感が身勝手に働いてしまうんだ。やりすぎはダメだとその身をもって知っているはずなのに。
「その、困ると言いますか……俺、何かしちゃったのかなと怖くなると言いますか……」
「じゃ、じゃあ!」
伊波さんの顔は強ばっていて、唇がきゅっと握られている。握り拳はぷるぷると震えていて。
――頑張れ。頑張れ。頑張れ!
それでも、一生懸命頑張ろうとしていて。
「これからも、私と仲良くしてくれる?」
――う~~~、言っちゃった言っちゃった言っちゃった! どう思われたかな。変に思われたかな。それとも、少しは意識してもらえたのかな。
「……こちらこそ、お願いします……」
断るに至れなかった。
――ど、どうしよう……泣きそう……泣いちゃいそうだよ……。
泣きそう……って、もう泣いてるじゃん!
「ど、どうしたの!?」
「あ、ご、ごめんね……その、嬉しくて」
「……伊波さんって面白いな」
「……そ、そんなことないよ。っていうか、見ないで。恥ずかしい」
頬を赤く染めて、そっぽを向いている伊波さんを笑いながら眺めていると彼女とは別の声が脳に届いた。
「伊波さん。こっち」
「ふぇぇぇ……!?」
困惑している伊波さんの手を引いて、座っていた場所の奥へと進む。可能な限り、角から距離をとる。
声の主に来るな、と念じていても声は近づいてくるばかり。
――体育館裏でエロ本読もうぜ。
――学校で読むのってハラハラして興奮するよな。
読むな。家帰って読め。近づくな。
伊波さんを壁際に追いやって、壁にそっと手をついて彼女に近づいた。
「す、鈴木くん……!?」
「しー……静かにしてて」
泣いている伊波さんを見せないようにするためにさらに距離をつめる。
俺と伊波さんの身長は頭一つ分。
つまり、もっと距離を縮めれば伊波さんだと知られる可能性がさらに下がるというわけだ。
――お、おい!
――あ、ああ!
――ヤバイぞ。壁ドンしてるぞ!
――あのまま、キスまでいくんじゃないか。
いくか。冷静に判断してないでとっとと去れ。
――に、逃げた方が良くね?
――だ、だな!
失礼しましたー、と逃げていく声が遠退いていく。
どうやら、危機は去ったようだ。
「ふぅ……危なかった」
ほっとして目線を伊波さんに移す。
改めて、至近距離で見ると彼女が可愛いんだということを思い知らされる。
小顔で唇はぷるぷると柔らかそうで大きな目はぐるぐる回っていて……ぐるぐる!?
「ぷしゅ~~~……」
「い、伊波さん!?」
伊波さんは口から湯気を出しながら、目を回していた。声が聞こえない、ということを考える辺り、伊波さんドキドキ現象が発動しているのだろう。
しかし、意識を集中させてみると伊波さん以外の声は聞こえた。
つまり。
「……気絶してる?」
壁ドンはやる方が難易度が高くて恥ずかしくて死ぬんじゃないかと思うんだけど。
そんなことを考えていると伊波さんがふらっと倒れてきた。
「伊波さん! 伊波さーーーん!」
支えて声をかけてみても彼女からの返事はなかった。
――………………はっ!? 私は何を!?
「おはよう」
――寝起きに鈴木くんからのおはよう幻聴を妄想しちゃうなんて私って重症だな。でもでも、しょうがないよね! 夢の中だったとはいえ、鈴木くんにか、壁ドンされちゃったんだもん!
「あの、伊波さん?」
――そ、それに……あんまり、覚えてないけどお、お姫様抱っこまでされちゃった……もう、お嫁に――
「伊波さん!」
「は、はい!」
ずっと、伊波さんの妄想が止まらなかったので少し大きな声を出すとようやく体を起こしてくれた。
――え、どうして、鈴木くんがいるの? 私、まだ夢を見てるの? それに、ここはどこ?
きょろきょろと視線をさ迷わせ、伊波さんの目が俺の目を捉えた。
――やっぱり、夢を見てるんだぁ……夢の続きなら自由にしてもいいよね。
待った待った待った。手を伸ばして何をするつも――っ!?
「鈴木くんの頬っぺたやわらか~い」
ぺたぺたと伊波さんの手が触れていく。
――夢ってすごーい。こんなことも出来るんだぁ~!
夢じゃない。夢じゃないんだよ。気付いてくれよ。
「鈴木くんも触っていいよ?」
――ふっふっふ。夢の中でだとこんなことも出来ちゃうんだ。偉い、私!
偉くない!
手を掴まれ、伊波さんの頬までもっていかれる。
見ただけでも柔らかいと確信がもてる頬に触れそうになった時、耳に声が届いた。
「仲が良いのねぇ~」
きっと、保健室の先生の年老いた声は伊波さんの耳にも届いているはずだろう。
――もー、二人きりの世界に余計な登場人物なんか出てこなくていいんだよぉ~!
まだ、これが夢だと思っているのか!?
「あ、待ってよ鈴木くん」
伊波さんの手を振りほどき、パイプ椅子から立ち上がる。
「寝惚けているみたいなんで俺は帰ります」
さようなら、と挨拶して保健室を出た。
窓から入る夕陽に彩られた廊下を足早に歩いていく。
部活動のかけ声や楽器の音色の他に脳に届く誰かの心の声。
いつも、頭の中でうるさいくらいに騒いでいる雑音だ。
でも。
「……クソ。うるさいっての」
何よりも今、一番騒々しく聞こえてくるのは俺の内で騒がしく音を立てているものだった。
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