第22話 あざとい後輩の独白

 私、豊岡恵梨は恋をしている。


 きっかけは中学生のときの塾でのことだった。


 私は世間一般でと言われる人種であるようだ。


 教科書を忘れたときは男子の同級生を数秒見つめるだけで手に入ったし、勉強教えてくださいと上目遣いでお願いしただけで、男子の先輩は水を得た魚のように喜び、はりきった。


 そしてそういう人たちは近いうちに私に告白してくるのだ。


 私自身、色恋沙汰とか超がつくほどどうでもよかったので、強く拒絶というよりかは「ああ。そうですか」とひどく冷めていて、乾いていた。


 まるで、夜の砂漠のように。あるいは太陽の光が当たっていない水星の表面みたいに。


 そう。どうでもよかったのだ。


 じゃあなんで男に色目を使うような真似をするのか。


 だって、そうすれば確実に教科書を貸してくれるし、なんならそのまま貰えるし、確実に勉強を教えてくれるから。


 私はつまらない女。害悪。


 当時の私にはおおよそ人間らしい感情は欠損していたように思える。


 ひどく利己的で自己中心。


 そのくせに私は欲があるわけでもなかった。


 それこそ、教科書を借りるのだって、別に私が本気でそうしたかったわけではなくて、ただ授業で使うから。


 勉強だって、私は嫌いだったからやりたいわけでもなかった。ただ、みんながやってるから。親が勉強しないと良い高校に入れないと言うから。


 私は自分のことしか考えてないくせして、自我がないというどうしようもない女だったのだ。


 果てしなく空っぽな人間。


 そんなんだから、私は陰でよく女子からいじめられていた。


 靴や筆箱を隠されたり、廊下でわざとぶつかられたりと。


「調子に乗るな」


 毎日のように女子から言われてきた言葉だ。


 私は空っぽな人間なので、いじめられても喜びや楽しさはもちろん、悲しさや憤りを感じることもなかった。


 ただ、皮肉の効いたセンスのある言葉だと思った。


 なぜって、私は常に他人の顔色を窺って、相手の調子に付け込んで行動していたんだよ。


 そんな私に「調子に乗るな」なんて、それはもう私の生き方を全否定されたようなものじゃない。


 そう、まるで他人事のように冷静に状況を俯瞰できるくらいに私にとっていじめなんてどうでもよかった。


 あるときまでは……


 筆箱の中に納豆が詰め込まれていた。


 ああ。今日は少しいじめがグレードアップしているな。


 よくねばついているし、多分結構かき混ぜてから入れたんだろう。


 臭うし、とりあえず授業が始まる前にトイレに捨ててこようと、表情を変えることなく私は席を立った。


 そのときの出来事である。



「お前らいつまでそんなくだらねえことしてんだよ!!」



 一人の男の子がそう叫んだ。


 その男の子はいつも一人でいて、目立たない地味なイメージだった。正直、存在を忘れているほどだった。


 そんな男の子が教室中に響き渡るほどの大声で怒鳴ったのだ。


 それはもう衝撃的で、思い返してみれば、私が初めて他人に興味を持った瞬間かもしれない。


 彼は慣れない所作で自分の机を蹴って、ドスドスと苛立ちを含んだ足音を鳴らしながら、私の方へ歩いてきた。


「それ、俺が洗ってきてやるよ」


 何を言われてるのかよく理解できなかった。私なんかが善意で構われてるなんてこれっぽっちも考えてなかったからだ。


 だから、その時は「う……うん……」と曖昧な返事しかできなかったが、それを聞いた彼は納豆まみれの筆箱を素手で掴み取り、そのまま教室から消えていった。


 五分くらい経ったのだろうか。


 彼は授業前に戻ってきた。


「悪いな。臭いはちょっと残っちまった」


 確かに、見た目は綺麗になったが、いささか納豆の残り香が漂っている。


 呆然としている私の反応を待つことなく、彼は自分の筆記用具を一式取り出して、


「今日はこれ使っとけ」


 と、差し出してきた。


 ここまでされてもまだ、私は事態を頭の中でよく整理できておらず、とにかく何か言わないとという義務的な考えから、


「あ、ありがとう……ございます……」


 と、なんとかお礼の言葉だけを紡ぎだした。


「おう。どういたしまして」


 彼はそれだけ言うと、黙って自分の席へと戻っていった。


 私も席に戻らないと。


 そう思い、自分の席にスッと腰を下ろす。


 なんとなく手元の、洗われた筆箱に視線を落とす。


 その刹那。


 決壊。


 涙。


 涙。


 涙。


 あれっ。何これ。泣いてる?私が?


 頬を指で触れ確認する。


 涙だ。


 濡れてる。


 再び筆箱を見る。


 もっと泣いた。


 私は納豆臭い筆箱をこれでもかというくらい抱きしめる。


 気が付いたら授業が終わっていたし、気が付いたら彼のことしか考えられなくなっていた。


 彼は私の乾ききった心に、感情という雫を染み渡らせてくれたんだ。



 好き。



 たった二文字が全てを支配する。


 誰のせい?



 和瀬界人っていう先輩のせいだよ。



 そんなわー先輩に振り向いてもらいたい私は今日も今日とて、あざとくなりますっ。


「ねーせんぱーい。お願いですぅー。一生のお願いなんで~文化祭一緒に回ってくれませんかー?」

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