第6話 夏のおわり

 肌を切りつけるような砂嵐。視界は数メートル先もとどかない。


 その男は当てもなくさまよい歩いているようだった。毛布のような布きれを体にまとい、くすんだ包帯を顔中に巻き付けていた。

 砂嵐がわずかに落ちつき、視界がわずかに拡がる。

 男は立ち止まった。目の前に倒れた巨木がみえる。その倒木に『悪魔』らしきものが座っていた。

 顔の半分をしめる二つの黒い目。その目の上にそれぞれ角をはやし、口には赤黒くふぞろいの尖った歯がはえている。背中にはコウモリのような翼をもち、その翼はいたるところ破れて、裂けていた。黒く細い体毛は体中被われているわけではなく、ところどころ禿げて、赤い皮膚をさらけ出している。

『悪魔』は人の頭蓋骨を膝にのせ、黒ずんだ爪で頭蓋骨の表面を削いでいる。足下には人骨が散らばっていた。

 肉片がいくらか削げたのか、爪をなめた。

 何か臭うのか、上を向いた鼻で辺りの臭いを嗅ぎだした。『悪魔』は男に気づいた。

「人間か? いや、我が種族と同じ臭いがする。貴様、何者だ!」

 男は一歩、前に踏み出した。それと同時に『悪魔』は翼を羽ばたかせ宙に浮いた。

 男が着衣の中から左腕を出し、『悪魔』に向けた。その腕は人間のものではなかった。腕には多くの異形の顔がうごめいている。中には人間の顔も含まれていた。その腕が伸び、『悪魔』の足を捕まえ、引きずりおろす。

「何をする? やめろ!」

『悪魔』は翼を羽ばたかせ抵抗した。しかし、男の腕は『悪魔』の足全体を被い始め、腹、胸へと呑み込んでいく。

「くそ!」

 このまま呑み込まれてはならないと、男に向かってきた。鋭い爪を男の顔にめがけて振りおろす。男は顔を背けてかわしたが、わずかに爪の先が包帯をかすめた。包帯がほどけ、男の顔があらわになる。

 男の右頭部から右目あたりの部分がえぐられていた。右眼がなかったわけではない。眼があったであろう位置にむき出しになった眼球が浮いている。脳から伸びた何本もの神経とつながり、あたりを警戒するようにこきざみに動いていた。

 残りの顔の部分は、まさに『真一』のそれだった。

「貴様は……」

『悪魔』は悲鳴とともに真一に取り込まれた。


 眩い光がさし、真一は夢から醒めた。

 目が光に慣れると、白い天井がみえて仰向けになった状態で寝かされているのに気づいた。


――ここはどこだ?――


 突然、脳天と首筋あたりに激痛が走った。背中も痛い。

 手で触れようにも、両手が縛られていて動かない。両足も縛られていた。


――どうなっているんだ?――


 次に胸に刺すような痛みがして、顔を上げた。

 ベッドに横になっている自分の裸体がみえる――もちろん、貧素な下部もさらけ出していた――。

 そばに黒ぶちの細い眼鏡をかけた外人の女性がみえる。長い黒髪すべてを左肩にまわし、白衣を着ている。彼女は真剣な顔で真一のお腹あたりをみつめていた。

 驚いたことに彼女が手術用のメスで真一の胸を裂こうとしていたのだ。

「う、うぅ……」

 声にならない。呻き声しかでなかった。それでも彼女には聞こえたのか、あわててメスを背中に隠した。

「あら? もう目を覚ましたの」

 顔に合わない流暢な日本語だった。その声と顔には明らかに残念そうなニュアンスが込められていた。

 体を起こそうとするが、縛られているのだから、起きられるはずもない。

「まだ寝ていたほうがいいわよ。体が回復していないんだから」

 そういうと、彼女は机においていた道具を片付け、部屋を出て行った。


――あの女は誰なんだ? どうしてボクの腹を開けようとしていたんだ?――。


 何がなんだかわからない。

 部屋に一人残されてまわりをみわたした。一つのドアに、ちいさな机。それだけで他に何もなく閑散とした空間。その部屋に、真一は何も着せてもらえず、ベッドに縛り付けられていた。


 小学生当時の記憶がよみがえる。二度と思い出したくない、心の隅に封印した記憶。

 あれは体育倉庫の裏だった。数人のクラスメートにむりやり服を脱がされ、裸にされた。他のクラスメートたちも、真一をみては笑っている。なかには女子生徒もいた。彼女たちは恥ずかしいと声を上げながら、好奇心の目で真一の股間をみている。真一は我慢できずに手で股間を隠そうとしたが、男子生徒に払われた。うつむくと踏みつけられたパンツがみえる。手書きされた『ふじわらしんいち』という泥まみれの文字は、しだいに涙でにじんでいった。


 真一はどれぐらい眠っていたのだろう、ドアの開く音で目を覚ました。先ほどの女性が入ってきた。手には真一の鞄と服を持っていた。それらを真一の体の上に放った。

 その痛みと重さに思わず、

「何するんだ!」

 まだはっきりと声にはできないが、呻くように叫べた。

 しかし、彼女は何も答えず、黙って縛っていた革紐をほどきだした。 

「ここはどこ?」とたずねた。

「知らないほうがいいわ」と女は冷たく答える。

 ほどき終えると、

「かえっていいそうよ。さあ、服を着て」と残念そうにいった。

 服を身につけているあいだ、彼女はずっと真一をみていた。着終えると、

「後ろを向いて」と指図する。

 いわれるまま、後ろを向くと、目隠しをされた。

「何するんですか?」と出にくい声をあらげたが、彼女は何もいわず、真一の手を引き、部屋を連れ出した。

 目隠しされたまま建物を出て車に乗せられ、着いた先でようやく目隠しを外されると、そこは空港だった。

 チケットを渡され、そこで、彼女に、

「気をつけて帰るのよ。また会いましょうね」と、軽いお別れをいわれた。

「は?」

 さっさと去っていく彼女をみながら、なにがなんだかわからない。大勢の人が行き来するなか、真一は一人取り残されてしまった。


 日本へと向かう機内でも、釈然としないままだった。


――なぜ、あんなところで裸でいたんだろ? それも手と足を縛られて……

 あの外人は誰なんだ? ボクに何をしようとしていたんだ……

 というか、あそこはどこなんだ?

 謎を解く鍵はないかと、真一はアメリカでのできごとを何度も何度も思い返してみた。

 祖父とパパに頼まれ、ニューヨークまで仏像を守るためにやってきた。

 そうだ。あの日、ホテルに帰ってきて、風呂場で下着を洗っていると裸の女性が落ちてきたんだ。

 それで、気を失って……

 でも、なぜ裸でベッドに縛られていたんだ?――


 真一の記憶からは、博物館で『牛鬼』をやっつけたことがすっかり上書きされていた。もちろんボビーのことも。つまり、あの日のできごとは都合よく記憶が書き換えられていた。


 成田空港には、真一のママが迎えにきていた。会うなり涙目のママは、「体は大丈夫? 何ともない?」と心配する。

 頭と首筋が少し痛むが、「何ともないよ。大丈夫」と真一はママを安心させた。

「何が食べたいものはない?」


――いつものようにやさしいママ。それに比べ、同じアメリカにいたはずなのに、一度も会うことなく、電話もなかったパパは薄情だと恨んだ。もともとパパに頼まれた仕事だったのに……――


「ママの手料理が食べたい」と真一は微笑んで答えた。


 夏休みは一週間残っていた。

 宿題も残っていたが、ママが海外の仕事で疲れているだろうからと、先生に手紙を書いてくれると約束してくれた。

 それで真一は残りの夏休みをゆっくり過ごすつもりでいた。しかし、残念なことにそうはならなかった。


 その病室の唯一の窓は鉄格子がはめられていた。部屋にはベッドが一つしかなく、その他には心電図モニターしかない。患者と壁の間には無数の管がつながっていた。モニターは患者の脈拍と連動してビープ音を鳴らしている。

 ベッドにはウェルバーが眠っていた。しかもベッドと拘束帯でつながれてあった。

 病室のドアが静かに開いた。制服のポリスが病室を確認し、ナースを通した。

 ナースがウェルバーにつながられた管を確認し、モニターをのぞき込んだ。ナースがウェルバーの閉じた目を見開いて確認しようとした時だった。ナースの体がくの字に曲がり、背中から鋭い刃物のようなものが突き出た。

 ポリスがあわてて、ナースに駆け寄ろうとしたが、刃物のようなものが伸び、彼の頬を殴った。ポリスは壁に打ちつけられ気を失った。

 刃物はウェルバーの腕の先が変形したものだった。それで手錠を切り、ベッドからおりた。彼はポリスの首根っこを掴み持ち上げると、しばらくしてウェルバーが床に倒れ、代わりにポリスが意識を取り戻して、病室を去った。


 夜のニューヨークは星の明かりが気恥ずかしくなるほど、ケバケバしく輝いている。

 アンジェリーナは『生活の糧』のために『仕事場』である通りで『仕事仲間』といつものように立っていた。

 男を魅了する肢体に派手な服を着ては、通る男たちを品定めしながら、甘い声と甘い笑みで誘っていた。でも、うまくいかない。


――最近、どうもシブい。これじゃあ、喰っていけない。『組織』にはいろうか。ダメ!『組織』に入れば数は増えるが、稼ぎのほとんどを吸い取られてしまう。それでは同じこと。しかも自由がなくなる――


やっぱり一人でやっていこうそう思い、彼女は通り過ぎようとする男を呼び止めた。

 男は彼女の体をなめ回しようにみては、笑みを浮かべた。

 しめた。と、アンジェリーナは男の腕にからみつき、『部屋』に連れて行こうとした。歩き出す前に男は『値段』をきいた。

 欲をださないほうがいいと、相場の金額を口にした。男の顔がくもる。持ち合わせがないとアンジェリーナから腕を抜き、男は去っていった。

 こういうことが続くと『組織』に入りたくなる。『組織』なら連絡を待っていればいいのだから。『立ちんぼ』は疲れる。


「アンジェリーナ!」


 ヴェロニカの呼ぶ声がした。ルームメイトの彼女は、自慢の黒髪と少し東洋の血が混じった神秘的な顔立ちをしていた。もちろん同じ『職場』で働いている。

 声のしたほうにいってみると、道路に横付けした大きな車の横にヴェロニカが立っていた。彼女は顎で『指名』だと教えてくれた。車の後部ドアから、サングラスをかけた五十代だろう男がアンジェリーナをみている。

 見覚えのない顔だった。指名なのだから、前に会ったかもしれない。忘れてしまってることを知ったら、ショックだろうと、ともかく、

「お久しぶり」と、アンジェリーナは声をかけた。

 男は黙って、ドアを開いて彼女を車に招いた。

「ちょっと待って。いっしょに行く前にあなたと私の間で一つ決めなくてはならないことがあるの? わかるわよね」と、親指と人差し指の先をこする仕草をする。

「ウェルバーが逃げた」

 体中の血が凍りつくような感覚に襲われた。二度と聞きたくない名前だった。

「まあ、中に入って話を聞いてくれないか? それとも、そこで話を聞くのかな?」

 アンジェリーナが車に乗り込むと、車は走り出した。


 男は警察のバッチをみせて、

「まあ、ウェルバー自身、もう死体にはなっているんだが……」

「どういうこと? さっきは逃げ出したといったじゃない。死んだのなら、逃げ出すことなんてないんじゃないの?」

「そうなんだ。そこのところが我々もよくわかないんだが……。彼は留置された場所でナースとともに死んでいるのが見つかった。ところが、そのとき彼を警備をしていたポリスがいなくなっていた。病室のできごと、なぜナースとウェルバーが死んでいたかをも報告もせずに黙って出ていったんだ。多くの人が出て行く彼をみていた。しかし、その後の彼の行方がまったくわからない。署にも戻らず、妻や子がいる家にも帰っていない」

「ちょっと待って、そのポリス、見張っていたウェルバーが死んでしまって、その責任に耐えかねて逃げ出しただけではないの? いいじゃない。もうウェルバーが死んだんだから」

「その後、ウェルバーの死体を解剖してみた。すると、おかしなことに彼は五日前にすでに死んでいることがわかった。五日前といえば、そう、あの博物館で事件のあった日だよ」

 今度は背中に氷の剣が刺さったような感覚がアンジェリーナを襲った。

「まさか……」

「ということで、ある機関からの助言もあって、君に証人保護プログラムを適用することになった。証人保護プログラムってわかるよね?」

「犯罪者から逃げるために、名前を変えて、知らない土地で暮らすやつでしょ?」

「まあ、そうだ。どこか希望の土地はあるか?」

 五日前の博物館のできことを考えると、ポリスなんかに任せられない。アンジェリーナの脳裏に頭の悪そうな、頼りないガキの顔が浮かんだ。


「真一様は『牛鬼』を退治することができました」と無邪気が告げると、

「真一ちゃんは大丈夫だった? ケガはしなかったかい?」と信明は心配そうにたずねた。

「その後、狼らしき霊に体を乗っ取られましたが、父の真行様に助けてられ、事なきをえました」

「そうか、それはよかった。しかし、真一ちゃんが『十二神将』を呼び出したか。さすが我が孫。末が楽しみじゃあ」

 お寺の本堂で無邪気は真一の祖父・藤原真明にアメリカのできごとを報告していた。

 孫がかわいくてしかたがない真明は無邪気の報告を聞きながら、うれしそうな顔と心配そうな顔を交互にした。

 それに比べ無邪気は怒っていた。しかし、そのことを表に出さないようにぐっと耐えている。

 急に真明の顔がいままでにない真顔になる。

「ところで今回、『牛鬼』が封印されてあった仏像が紛れてあったことを、真行はどういっていた?」

「確証はないが、例の者たちの仕業ではないかと……」

 真明はうなづいて、

「そうか……」とつぶやいた。

 真明が考えにふける。無邪気のほうといえば、我慢が限界に近づいてきているのか、手が小刻みに震えだした。

「いや、無邪気。ご苦労だった。ゆっくり休むといい」

「はい」と、答えると、我慢できなくなり叫んだ。

「九尾! いい加減、真明様から離れなさい!」

「あら、どうして、あなたにそんなことをいわれなければならないの?」と神明にもたれかけている女が笑みをうけべながら、気だるそうにささやき、神明に体を摺り寄せる。

女は絹のような細く輝く長い髪を垂らし、雪のような透き通るような肌をしている。薄い着物をだらしなく着ては、豊かな胸を見えそうなうえ、太腿はあられもなく出している。神明の顔をやさしく撫で、彼女は九本の尾っぽを神明に絡ませていた。切れ長の目で無邪鬼を挑発している。

神明は、何も言わず、九尾にされるがままだった。無邪鬼にとって、それが堪らなかった。

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陰陽師家にさえ生まれてこなければ @lacol

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