~前進~4


今日は目覚ましより早く起きてしまった。あまり睡眠時間を確保できなかったので頭がボーっとする。

昨日あの後からずっと考えている。自分を変えることは簡単じゃない。相田さんにはもちろん話せる時があればきちんと話したい。

でもそれだけではダメだ。普段の生活から人の見方、感受性を率先して変える必要がある。

別に万能な人間になりたいわけじゃない。ただこのままでは私自身が何も成長せずに時間が止まったままになってしまう気がする。

何より守られているばかりではなく、私の大切な人を守りたい気持ちもある。必要な時に必要な力が出せるように。


早く起きてしまったが早速今日みんなと同じ時間に支度をしようと思う。そこで考えたのが挨拶を交わして印象を変えていこう作戦である。

しかし自業自得だが私の印象はマイナススタートだ。ちょっとやそっとで変わるもんじゃない。

(いかんいかん、一瞬めんどくさいって思ってしまった。)

まずは協調性を優先して、それと同時進行で自分の考えを矯正していかなくては。

とは言ってもみんなの支度し始める時間を知らない。とりあえず洗面具の準備をしてドアの前に耳を当て張り付く。

(うちは何をやってるんだ。めちゃくちゃ恥ずかしい。)

何人かの足音が聞こえる。すぐに出ていってしまっては違和感があるだろうと思い少し時間を空けて部屋を出る。

すると二人の女性が支度をしている。

桐沢 奈月(きりさわ なつき)と黒沢 美玲(くろさわ みれい)だ。ここにいつも相田さんが入り三人衆となっている。ちなみに常田さんからは二人でサワーズと呼ばれている。お酒みたいな呼び名だ。

桐沢さんは短く明るい髪色で姉御肌のオラオラ系。

黒沢さんは髪の毛と性格が一緒でふわふわしてる子っていう印象だ。仕事意外で会話したことがないから正直よくわからない。


「おはようございます。」


さすがに隣はハードルが高いので三つ隣の蛇口に立ち挨拶をする。


「あ、長尾さんおはよーう。いつもより時間遅いんだねぇ。」


挨拶を返してくれたのは黒沢さん。桐沢さんは一瞥して歯を磨き始める。鈍感な私でもわかるが桐沢さんは私のことが嫌いだ。


「はい。少し寝すぎてしまいまして。皆さんはいつもこの時間に用意してるんですか。」


なかなか頑張っている。というより会話を捻り出すのに精一杯だ。


「だいたいねー。長尾さんはいつも一番乗りだもんねー。」


「ええ、習慣なのか早起きしてしまうんですよ。部屋にいても特にやることがないのでいつも早く出てしまうんです。」


できるだけ笑顔を作りながらニコやかに会話をする。


「なるほどー、あたしは早起き出来ないからいつも奈月に起こしてもらってるんだ~。今日もさっきまで寝てたしねー。」


すでに支度ができている黒沢さんは大あくびをする。薄化粧でも整っている顔をしてるから支度も早いのだろう。羨ましい。


「行くよ!れい。」


「はいはーい。じゃあまたあとでね~。」


二人は洗い場を去っていく。

黒沢さんはとてもフランクな人だ。仕事中も話したことが無いわけではないのでわりと話しやすい。

ただ桐沢さんと仲良くなるのは難しそうだ。今の間も私をほとんど見ることがなかった。めちゃめちゃ嫌われてる。

(絶対に仲良くなってやる!!)

なぜかやる気に燃えていた。

私も支度を終わらせて部屋に戻る。出勤しようと出入口に向かう。

階段を下りた正面に食堂がある。一応はこの寮の人数を全員収容できる広さはある。とはいっても10人ほどだが。

チラっと見るとサワーズと他数人が朝ごはんを食べていた。美代子さんが手際よく作っている。

(今日はいいか。次からは私も朝ごはん食べようかな。)

そう思いながら出入口をくぐった。




「ねぇすみすみ。勘違いだったら悪いんだけど、なんか感じ変わった?」


斉藤さんが首をかしげながら大広間で朝食の食器の準備をしている私に話しかける。

我が旅館は基本、夜は部屋食、朝は大広間で朝食だ。夜、大広間での食事の要望がなければこの夕方の空いた時間に大広間で朝食の準備をするのだ。


「そ、そうですか?まぁ少しは気にしてるかも知れないですね。」


「何を気にしてるの?ちょっと無理をしてるようにも見えるけど。」


やっぱり斉藤さんは抜け目ない。自分を変えようとしている努力を見抜いているらしい。ここでいつも通り話を流してしまったら今までの私と何も変わらない。昨日のあの態度も謝らないとだ。


「あの、言いそびれてたんですけど。昨日はごめんなさい。叫んで皆さんから逃げてしまって。」


「いいよ。ショックだもんね。すみすみも何か思うところがあったんだよね、あんなに取り乱すすみすみは初めて見たもん。」


斉藤さんは優しい顔で背中をポンポン優しく触ってくれる。


「でも皆さん気をつかってくださったのにあんな態度はよくなかったと思っています。すみませんでした。」


「心配はしたけど気にしてないから大丈夫だよ。それと今回のことは何か関係があるの?」


「それもあるんですけど。えっと...、協調性のなさを自分でどうにかしようと思ってまして。無理してるというか変わりたいんです。やっぱりなんか変ですかね?」


自分のことを話しているのが少し恥ずかしい。


「おかしくはないと思う。だからいつもより周りの人に声をかけてたのかー。とっても良いと思う!あたし応援しちゃうよ!!」


教えられていた時は接する機会がたくさんあったのでめんどくさいと思ってしまっていたが、今考えれば普通に話しやすい人だ。今までどれだけ自分が周りと距離を置いていたかわかる。


「ありがとうごさいます。心強いです。これから少しずつでも自分の不器用さがなくなればいいな、と思っています。」


ニコっとしてみる。


「おぉ!めっちゃ笑顔かわいいじゃん!絶対すみすみはこっちのほうがいいよ!」


そう言われると照れる。まだ自分を隠すために作り笑いしかできないがそれでも誉められると素直に嬉しい。

(やっぱり前は印象良くなかったんだなー。)


「あたし思うんだけどすみすみって自分を隠しすぎだと思うんだよね。みんなすみすみと仲良くしたいと思ってるよ。」


「そ、そうですかね。私人と仲良くなるの苦手なんですよ。」


物心ついたときからそうだ。排他的なのは恐らく中学生からだが人見知りは昔からだ。


「なんでもネガティブに捉えちゃうのかもね。なんか光さんと似てるなー。」


斉藤さんはグラスを白い布で磨きながらボーっと上を見て言う。

斉藤さんはなんのけなしに言ったつもりだろうが私にとっては結構な衝撃だった。


「え、私がですか?彼方さんに?どこらへんがですか?」


気が気でなくなり前のめりで興味を示す。


「アハハハ、そういうところも似てるよー。んーとね、光さんって私と同期って知ってる?」


全く知らなかった。私は斉藤さんがこの旅館の専務の娘ということは知っていたが始めた時期までは知らなかった。てっきりここが出来てから働き始めたのだとばかり思っていたのだ。


「いえ、知りませんでした。斉藤さんはこの旅館が出来てから働き始めたんじゃないんですね。」


「そうだよ。まぁ話すと長くなるけど訳があって前の旅館から働いてて、光さんの入った時とほぼ同じで私も入ったんだ。」


彼方さんがここで働いていた時、二人は特に仲が良いとは思っていたがそんな関係性があったとは知らなかった。


「その時は他人行儀でね~。人と距離を取るのがうまくて打ち解けてくれるまで一ヶ月ぐらいかかってたね~。まぁ私のパンチ力で壊したけど!」


(パンチ?壊す?独特な表現方法だな。)

斉藤さんはケタケタ笑いながらファイティングポーズをとる。


「そうですか。あの人でもそんな時期があったんですね。いつもまっすぐ前を見ていて常に正しかったから最初から完璧な人なんだと思ってました。」


「光さんはね。常に悩んでいたの。苦しんでいたのかな。それで人と距離を取っていたんだと思うよ。でもあの人と会ってから光さんは大切なものを取り戻したって言ってたな。」


彼方さんも努力したんだと感心した。

(ん?まてよ。あの人ってなんだ?)


「あの~、斉藤さん?あの人って?」


「あー由比さんのことね!光さんの彼女だよ。まぁ彼女っていうか結婚が決まってるからお嫁さんって言った方がいいのかな。」


(な!!なにーーーーー!?そんなぁ。)


「由比さんもとっても素敵な人だよ。あの二人は私と翼にとってお兄ちゃんとお姉ちゃんみたいな存在なんだよねー。だからなんでも...ってあれ?すみすみ?」


私は放心状態になってしまった。

あんな素敵な人に彼女がいないわけないとは思っていた。むしろ私と彼方さんは三ヶ月しか一緒にいる期間がなかったからそこまでしっかり話をしていなかった。実際彼方さんのことはほとんど知らない。思い返してみれば私の考えや話を聞いてもらっていただけで彼方さんの話になったことはほとんどない。


「おーい、すみすみちゃーん。起きてくれ~。」


斉藤さんが放心状態の私の肩を持ち揺する。


「まぁ...そうなる気持ちはわからなくもないけどね。」


斉藤さんが私の肩からそっと手を離し、少し俯いてボソっと呟く。私は我に返った。


「ここだけの話だけど、実は私も好きだったんだ、光さんのこと。でも光さんの愛は深すぎたの。あの人はみんなのことを愛していて、みんなから愛されていた。私はね、それだけで十分だった。あの人が想っている人の中に入れてるだけで。」


斉藤さんの雰囲気が少し変わった。それに私が彼方さんのことを好きなのを知っているように話す。

斉藤さんは残りの食器類に手を伸ばし配置し始める。


「斉藤さん...。」


「光さんは愛してるって好きっていう感情の最上級じゃないって言ってた。相手を自分のことより大切にしたい気持ち。ある意味人に一番大切なものだって。そう想えることが家族なんだって。由比さんと出会ってそう思えるようになったんだって。」


やはり彼方さんの考えていることは尊い。


「だから私は光さんに愛されてるし光さんを愛してる。私はそれでいいんだ、って。なんかいきなり変な話しちゃったね。ごめんね。」


そうだったんだ。

私がみどりを愛してると思っていたのってこういうことだったんだ。私もみどりに愛されているんだ。雅人にも...愛されているのかな。


「いいえ、斉藤さん。今の話で私気づかされました。私が変わりたいと漠然に思っていたのもそれが理由なんだと思います。私も、好きだった彼方さんに少しでも近づきたい。私のことを愛してくれている人を愛したいです。だから変わろうとしてたんだと思います。」


斉藤さんはニコニコ笑顔でグーサインを出してくれる。


「すみすみなら変われるよ。私もこんなに話すつもりはなかったけど、なんかすみすみは不思議な力を持ってるのかもね。改めて応援させてもらうよ!」


テテテーン。斉藤さんが仲間になった。

(なんか、変わろうとしてよかったかも。心が暖かい。)


「ありがとうございます。それと今まですみませんでした。素直じゃなくて。」


私は目線を少し落として言った。


「今素直に言えてるんだからいーじゃん!間違いだと思うことに気づいて自分を変えられるって素敵なことだと思う。誰にでもできることじゃないよ。すみすみ、自信を持って!すみすみなら大丈夫だよ!」


まただ。私なら大丈夫。

昔ならその分かったような言い方が大嫌いだった。

でもなぜだろう。今は背中を後押しされている感覚になる。私は大丈夫なのかもしれない。そんな正体不明の安心感に包まれる。

人との距離が縮まれば当たり前のことかもしれない。この感覚、心地良い。

このまま頑張れば。雅人の考えていることも、みどりが考えていることもわかるかもしれない。

人を愛せるかもしれない。


「斉藤さん。ありがとう。」


自分を変えられる可能性が見えて安心した。

少しだけ、強くなれた気がした。


朝食の準備を終えて斎藤さんと事務所に入る。

事務所には常田さんと黒沢さん。机に両手を置き俯いている桐沢さんがいた。重い空気を察した私は恐らく相田さんの話を常田さんが二人に話したと予想する。

私が事務所の入り口で立ち止まるのを気づいたのか桐沢さんは私をキっと睨みそのままこちらに向かってくる。


「邪魔だ!どけ!」


私の肩を突飛ばしそのまま事務所から出ていってしまう。桐沢さんは泣いているようだった。


「奈月!ごめんね長尾さん。」


黒沢さんが私にそう言い残し桐沢さんの後を追いかけた。


「すみすみ大丈夫?」


斉藤さんが心配して聞いてくれる。


「私は大丈夫です。タイミングが悪かったですよね、私。」


「いや、俺もごめん。蓮実ちゃんが残ってたの気づかなくて誰もいないと思ったからこのタイミングであの二人に千佳ちゃんの弟さんの話をしたんだ。」


恐らく常田さんも桐沢さんが私のことを嫌っているのを気にしてくれている。


「奈月ちゃんが泣いているところを始めて見たよ。」


「なっちゃんは千佳ちゃんのこと大好きだもんね。」


この二人が桐沢さんのことをよく知っているのもそうだろう。相田さんは私とほぼ同期だが、桐沢さんと黒沢さんはここの旅館開業時からいるようだ。この二人は少なくとも二年の付き合いがある。


「私は無力だな。」


私はボソっと呟きタイムカードを押しに行く。

正直いつも強気な桐沢さんが泣いているのは意外だった。でも桐沢さんには黒沢さんがいる。そうとは知っていても、何もできない自分に虚無を感じる。

この後は病院に行く予定だが、なぜか今日は足取りが重い。こんなことは初めてだ。


帰りの支度をして、いつもならバス停で止まるのだが今日は通りすぎる。一回寮に帰って相田さんが家にいるか確認したい。

寮の前にたどり着き門をくぐる。


「どけーーー!!」


下駄箱で靴を脱いでいると物凄い足音と共に鬼の形相をした桐沢さんとすれ違う。あまりの躍動に圧倒され尻餅をつく。桐沢さんからすごい風圧でも出ていたんじゃないかと思うような、まさに台風が通りすぎていったようだった。


「もぉ~奈月足早すぎだよー。あ、長尾さん。また奈月がごめんねー。」


食堂からふらふらの黒沢さんと美代子さんが現れた。


「いえ、私は大丈夫です。桐沢さんすごい形相で駆け抜けていきましたけどどうかされたんですか。」


「それがね、ちーちゃんがいなくなっちゃったんだ。実家にも連絡したんだけど帰ってないみたいなの。電話しても携帯出ないし。...どうしよう。」


「私も無用心でした。どうやらこの寮内でかずきくんの一報をご家族から聞いた後、ここから家には帰らずどこかへ行ってしまわれたようです。私としたことが...。」


美代子さんが目を細め歯を食い縛り表情を濁している。美代子さんの感情が表に出るのを初めて見た。


「...捜しましょう。」


「え?」


黒沢さんは少し驚いている。


「心配なのでみんなで捜しましょうって言ったんです。」


「で、でも。長尾さんは仕事終わりだし、明日もしゅっき...」


「そんなのどうでもいいです。私はここ最近相田さんに助けてもらいました。その恩は返します。それと、私にも関係のないことじゃないんです。」


「長尾さん...。わかった!よろしくお願いします!!」


「長尾様...。承知しました。私は何をすればよろしいでしょうか。」


二人の目付きが変わった。メリハリのある人達でとても頼りになる。


「桐沢さんはどこに行ったかわかりますか?」


黒沢さんは町の方を指差す。


「ちーちゃんの実家がここの麓の町にあるの。うちら三人は高校のときから知り合いだから奈月は多分ちーちゃんのお母さんに話を聞きに行ったと思う。」


「町に降りたんですね。わかりました。黒沢さんは桐沢さんに合流して思い当たる所を捜してください。これ、私の連絡先です。」


携帯電話の電話番号を画面に表示して見せる。


「よしよしよしっと。これでおっけーだね!じゃあ私は奈月の後を追うよ!長尾さんはどうするの?」


「美代子さん。合鍵ってありますか?」


私の不意な発言に美代子さんは首を傾げる。


「はい。私の部屋に行けばありますが。」


「多分まだあの子の部屋の中は捜してませんよね?私は美代子さんと一緒に部屋の中を捜索します。」


「ですが下駄箱に相田様の靴は...。いいえ、わかりました。可能性は全て潰していきましょう。」


「部屋を捜索して成果が出ない場合私もバスで町に降りて広範囲を探します。美代子さんは寮の仕事をしつつ連絡係をお願いします。」


三人で顔を見合わせて頷く。


「では相田さん捜索作戦を開始します!」


「長尾さんもそういうこと言うんだね。意外だなー。」


黒沢さんが顔をニヤニヤしながら細目で見てくる。


「う、うるさいよ!」


気分が高まって言ってしまったが思い返せばめちゃめちゃ恥ずかしいことを真顔で言っていた。

私は顔から火が出るほど恥ずかしくなる。


「フフフ。では鍵を取ってきますね。」


美代子さんがとても自然に笑っている。

私も美代子さんの後に続いて寮に入る。

私が相田さんの部屋に入ると言ったのも何か手掛かりがあると思ったからだ。相田さんがいれば捜索もここで終了するのだが恐らくそんな簡単ではない。

先ほど黒沢さんが不意に言った三人は高校の時から知り合いという言葉。部屋にいれば桐沢さんの声に反応して出てくるはずだ。靴を隠蔽したとしてもそうなるはず。

しかし今回はその二人すら避けているように見える。関係を断つみたいに思える。

私の頭には最悪のケースが想定されていた。

自殺。

本当に自ら命を断とうとしている人は誰にも言わない。悟られず実行してしまう。

心が弱いから。というわけではなく、そう決断する人は何より自分の意思をはっきり持っていて、納得してしまっている。そう先立たれた父から教わっていた。

相田さんをよく知っているわけではない。ただいきさつと状況を鑑みればそんな心境になっていても不思議ではない。


「では参ります。よろしいですね?」


相田さんの部屋の前まで来て足を止める。私の部屋から三つ隣の部屋だ。


「はい。お願いします。」


ガチャ。

静かに扉を開く。部屋の電気は消えていて、カーテンも閉まっている。時間も夕方なので部屋は真っ暗だ。電気をつけ居間に入る。


「相田さん...。」


声をかけたが返答はない。私は整頓されたキレイな部屋を歩きカーテンを開けてベランダを確認する。夕日に照らされるベランダには誰もいない。やはりもうこの辺りにはいないのだろう。

美代子さんはクローゼットの中が気になるようで何かを探している。

私はというと全体黄色でコーディネートされているベッドの上に放置されている携帯電話を発見した。電源を入れると電波が入っている。普段相田さんが使っている携帯電話だろう。

(これはいよいよやばいか。)

肌身離さないものを放置している。よっぽど忘れっぽいか、自ら放置したか。恐らく後者だろう。

(そりゃ連絡がつかないわけだ。)


「美代子さん。あの子携帯を放置してます。どうりで連絡がとれないわけですよ。」


「長尾様。こちらも見てください。会社から支給されている仕事着は三着なのですが、ここには二着しかありません。現在の相田様の特徴は仕事着のままと言うことになります。」


私は腕を組み考える。


「状況を整理しますと、昨日の早朝、仕事の準備をしていた相田様がご家族から凶報を受けた後失踪。私が会えていないということは恐らく行動を起こしたのは昼頃でしょう。」


今の話を聞いても何か引っ掛かる。


「特徴がわかったのでもし警察に捜索願いを出すとしてもある程度の情報は提供できます。ご家族も心配されているでしょうし。今日私たちの手で見つけ出すことが出来なければ翼さんに報告した後ご家族と今後の方針を相談することに致します。」


私はというとまだ何か引っ掛かっていた。


「長尾様?いかがなさいましたか?」


さすがに長い間沈黙していた私に美代子さんが不思議そうな顔で尋ねてくる。


「見つかるかもしれません。て言うかそもそももっと簡単なのかも...。」


ぶつぶつ言う私に美代子さんは更に疑問を抱いている。


「長尾様?何か心当たりでもあるのでしょうか。私にはわかりかねますが。」


「美代子さん。町を捜しても見つからないと思います。流石に物凄く悲しくて荒んだ心をしてたとしても携帯も財布も持たずに仕事着で町をふらふら歩けないと思うんです。」


私が指差したところに美代子さんの目線がいく。普段使ってると思われるバッグが横たわっていてそこから財布が見えている。


「ということはもしかして。」


「そうです。彼女は町に降りたんじゃなくて山の方面に向かったんだと思います。今はまだスキー場もやってないし、人気はありません。一人になるには都合の良い場所だと思うんです。」


美代子さんは頷いた。


「確かに。ただそれだとやはり別の心配が浮上してきますね。これより上の土地はスキー場こそありますが元は切り立った山。高さもそれほどではありませんが道路も不用意に敷設できないような土地柄です。市に獣も出ると報告もあるようなのでこれからの時間は危険ですね。」


危険。それは帰ってくる予定があれば、の話だ。

私は少し胸騒ぎがした。


「美代子さん。私山に向かいます。既にかなり時間が経っていますが見つかると思うんです。」


「何か思い当たる節があるのですね。承知しました。ただこれからは暗くなるばかりで長尾様が遭難してしまっては本末転倒、このGPS発信装置を持っていてください。これで私の端末から長尾様の場所を特定できます。」


そういうと美代子さんはイヤリングを外し渡してきた。


「は、発信装置!?なんで美代子さんがこんなもの持ってるんですか?」


私は一応イヤリングを受け取りポケットに入れる。

美代子さんは私に軽くウィンクをする。


「長尾様は自分以外の人の為に本気で行動されています。なのでいずれお話しする時が来ると思います。ですが今は相田様を捜さねば。」


なんだか色々言いたいことと聞きたいことがあるが確かにその通りだ。


「私はこのことを桐沢様と黒沢ちゃんに連絡しておきます。どうかお気を付けて。」


なぜか美代子さんは右手を開いて差し出してきた。

私はその手を取り握手する。


「相田様を助けてあげてください。」


「任せてください。」


なんだか色々うやむやにされたが時は一刻を争う。美代子さんと別れて自分の部屋に荷物を投げ捨てそのまま寮を後にする。

絶対に見つける。

これは私が変われる第一歩でもあると思う。

そしてあの子を理解する絶好の機会でもある。

私が見つけ出し、あの子の話を聞き、私の考えていることを話す。

かずき君のこと。

相田さんのおかげで私の大切な人といる時間が出来たこと、それが嬉しかったこと。

私の価値観が人とずれていて、相田さんの孤独に気づけなかったこと。

そして、相田さんと友達になりたいということ。



走り出して数十分が経った頃、登り方面の終点のバス停までたどり着く。私はこの先に公園があることを知っている。幼い頃父によく連れてきてもらった公園だ。

確実に公園にいるとは思っていない。ただそこでなければ捜すのは困難になってくる。

私はこの先の道には詳しくないし、そこまで整備されていないのでところどころ荒れている。美代子さんが言ったように獣の心配もある。

自然の力の方が大きい場所では人間は無力なので今度は私が遭難してしまう可能性も出てくる。


「はぁ、はぁっ、はっはっ。」


上り坂を走り続けたせいもあるが息が上がっている。バス停のベンチに手を掛け息を整える。元々体力がある方ではないのでかなりきつい。考えたら仕事の後なのでそれも拍車をかけている。

公園はこのバス停からさほど距離はないので第一目標は目と鼻の先だ。目線だけ公園の方にやると若い女の子が向こうから歩いて来て民家の方へ向かっていく。


「あ、あの!!」


私が声を掛けるとその人は一瞬ビクっとなり声の正体が私だとわかるとゆっくり近寄ってきた。


「どうかされました?体調が悪いのですか?」


私を気遣ってくれているようだが今はそれを気にしている場合ではない。


「昨日この辺りに私と同じ格好をした女の人がいませんでしたか?」


その人は上を見ながら考えた後静かに続ける。


「ごめんなさい。僕にはわからないです。」


僕?髪の毛も長いし声も細く高めだがどうやら男の子みたいだ。


「今公園の方から来たみたいですけど公園にもいませんでしたか?」


その人は一度公園を振り返り首を横に振る。


「公園には行きましたけど僕以外には誰もいませんでしたよ。」


「ダメか。どうしよう...。」


「あの、どなたかお捜しなんですか?」


その子は心配してくれているようだがここで内訳を話してる時間はない。


「ごめんなさい。ありがとう!」


私はそういって駆け出そうとする。もちろん目的は公園だ。自分の目で見て捜したい気持ちがあったからだ。


「ちょっと待ってください!おばあちゃんなら何かわかるかもしれません。」


「おばあさん?あなたの?」


「はい、昼間はお庭のお世話が日課なので。お庭も道路に面しているし、その捜している人を見たかもしれませんし知ってるかもしれません。お時間があればですが...」


「おばあさんとお話しさせて!!」


私はその子が話し終わる前に前のめりになって聞いてしまった。


「は、はい。こちらです。」


そう言われてその子のお宅にお邪魔する。

バス停からすぐの場所に家があった。

玄関で座って待っているように言われたので息を整えがてら腰を掛けた。

明るい室内ではっきり見えた男の子はとても肌が白く体が華奢だった。髪の毛が肩にかかりそうなほど長いからか後ろから見たらただの女の子だった。

少しそわそわしながら待っていると奥から魔女のような年配の女性が男の子と共に現れた。髪の毛は銀色のボサボサ頭。ただどこか気品を感じる上品な顔つき。何もかも見透すような目で私をじっと見ている。


「えっと、あの...。」


「わかっているよ、お山に消えていったあの子を追っているんだね。早くしないとあの子はいなくなってしまうよ。」


!?

一体どういうことだろう。男の子がおばあさんを連れてくるまでそんなに時間はかかっていないはず。しかも男の子に事情を詳しく話していないので私が相田さんを追っていることはおばあさんは知らないはずだ。

(それといなくなるってどういうことだろう。)


「昨日の昼頃かね。いつものように庭でお花のお世話をしていてね。あんたと同じ服装の女の子が横切ったんで一応声をかけたんだが返事はなかった。そしてそのままお山にのまれてしまったよ。」


要するに声をかけたが返事はなくそのまま山の方面に歩いて行ったということなんだろう。


「自然はすぐに受け入れようとしてしまうのさ、追いかけたいならすぐにここを出た方がいい。帰ってこれるうちにね。」


なんだか怖いことを言う人だ。

ただ的を射ている。やはり憶測ではなくここに来たのは昨日の昼頃。少なくとも一日以上は時間が経っている。何も食べていないことを考えると万全な調子ではないだろう。

ただこの辺りの地理はさっぱりだ。山に行ったと言われても私からしたら全部山だ。


「おばあさん!具体的にどこに行ったか教えてもらえる?私この周辺に詳しくないんです。」


「この家を左に出ると道が国道まで続いています。道幅が狭く歩道がない道路なので歩いていくことはおすすめできませんが。それと...。」


男の子は何か言うのを躊躇した。


「それと、なに?」


おばあさんと目を合わせた後静かに続ける。


「この付近には鉱山跡が多数あって、そこへ行く道は封鎖されていますが正直簡単に中に入れてしまいます。この付近はそういう場所に続く脇道だらけなんです。何か目印を残してくれていない限り、見つけるのは...。」


(そんな...、見つけられない...。)

私は首をおもいっきり横に振り邪念を振り払った。

絶対に見つけ出す!


「二人ともありがとうございます。それでも私行かないと。」


私はすくっと立ち扉に手を掛ける。


「お待ち。あんたの信念は面白い。手をお出し。」


私は言われるがままおばあさんの前に手を出す。するとおばあさんは私の右手を両手で包み込み空いた隙間から静かに息を吹き込んだ。驚くことに右手が燃えるように熱くなりおばあさんが手を離すとその熱さは気のせいだったかのようになくなった。


「な!なに!?今何をしたんですか?」


私は一連の出来事が嘘のようで驚いた。それとは裏腹におばあさんはニッコリ笑顔になっていて、その反面男の子は少し寂しそうな顔をしていた。


「さぁ、お行き。その扉から出たらあんた次第だがね。」


なんだか色々もやもやするがそろそろ行かなければ本当に一寸先も見えないくらい暗くなってしまう。


「おばあさん、きみ。ありがとう。また必ず会いに来ます!」


そう言って私は扉を閉めた。

そういえば名乗らなかったし、名前も聞いていなかった。先を急がなければ行けないので表札を確認する。

(乙坂〈おつさか〉さんか。今度何か果物でも持っていってあげよう。)

私はわずかな街灯に照らされる薄暗い道へ駆け出した。













「おばあちゃん、なんであんなことしたの?」


「なんでだろうね。その価値があったからじゃないかい。」


「僕には...、わからないよ。突然だったから。」


「わかろうとしなくていいさ。その内自然と身に付く。」


「...。」


「道(わたる)。もう少し側にいておくれ。」


「いつまでも側にいるよ。おばあちゃん。」

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