増量……えっ、アリなんですか!?(5)




 予想どおり、モニターに映し出されたのは園服姿のままの娘を抱きかかえた春馬だった。

 焦ったような……かなり切羽詰まった表情にも見える。


(何よ……今さら、そんな表情カオされたって……)


 応答しようとモニターに向かっていた妹に追い付き、思わず横から声をふりしぼっていた。


「か……帰って!」


『花織!? ちょ……っ、どうしていきなり――! とりあえず開けて?』


「なんで来るのよ!」

『来ないわけないでしょ、こんな書き置きされてさ! 何これ?!』


 そう言われてモニターにバン! と映し出されたのは



『探さないでください。どーぞどーぞ美女とご勝手にお幸せに! だがしかし、みーは近々お迎えに参上つかまつる!!』



 というなんとも妙ちくりんな、気分のまま荒々しく書きなぐったと丸わかりな文章と文字。


「ぎゃー! やめてやめて出さないで! なんで持ってくるのよー!?」


 そんな間抜けな書き置きを見られたらたまったものではない! 

 必死に声を張り上げながらモニターを隠そうとしたのだが、慌ててる間に指のあいだからでもすっかり読み取れたのか、すでに微妙に呆れ顔になっている妹。

 騒ぎを聞き付けたのか、義弟くんもさすがに二階から降りてきていた。


『花織、いいから顔見せて! 話しよう?』

「イヤ! 帰って!」


『彩ちゃん、そこいる? 開けてくれる?!』

「今開けまーす」

「ちょ……彩香!!」


 姉の無駄な威嚇や邪魔をものともせず、妹が今度こそしれっと安々と開錠する。


(この裏切りものがあ!)



 そうしてすでに遠慮も何もなく上がり込んできた春馬が、リビングに到着するなりなぜか固まった。


「花――……何その格好?」


 愛娘が腕からぴょんっと降りて義弟くんの脚にタックルかましているのも気にせず目を見開いているが。

 いかにも運動してました、なこの服装ジャージのことだろうか。(実際たいして動いてもいないが)

 っていうか、まずそこなのか?


「何もするなって言ったよね……? なんでこんな――……俺の心配なんて……ああもうっ!」


 だから……そんなに心配されるほど少しも動いていないのだが。背中がつって終わっただけで。

 というか、だからなぜそこに怒る?

 家出や書き置きに関してではなく……ジャージ? 運動?


「ごめん、翔くん彩ちゃん! 花織つれてちょっと行くとこあるから、みーを見ててもらっていいかな?!」


「ほいほい」

「はーい、いってらっしゃーい」


「な、なに勝手に――」

「ほら行くよ!」


「ちょ――行くってどこ……!? ま、まま待ってせめて着替え……!」

「いいからおいで!」


 疑問も反論もピシャリと遮られ、言うが早いか連れ出されていた。カバンだけ引っ掴んだ姿のままで。







「うん。やっぱりでしたね。おめでとうございます」


 数時間前と変わらない綺麗で艶やかな笑顔でレナちゃんママ――もとい産婦人科医――は尿検査の結果を見ながら宣った。


「え?」


 艶感たっぷりのロングヘアをバレッタで一纏めにし、高級ブランド服の上に白衣を着てメガネをかけてはいるが、確かに先ほど目撃してしまったレナちゃんママである。

 そういえばご夫婦そろってお医者さまだと、どこかで聞いたような記憶が今さらながらよみがえってきた。


 大きなお家だな……誰のお宅だろう? とあきらめ半分で呆然としまま連れてこられたここが、どうやら住宅と併設された彼女の病院ということらしい。

 そういえば外に看板らしきものも出ていたが、立ち止まって読ませてもらえるような状況でもなく……。


 というか、今なんて? おめでとう?


「八週に入ったところですね」

「……え?」


 って――――に、妊娠していた?!


「みーちゃんママは本当に気付いてなかったのね。それじゃあパパは心配ですよねえ」


 目を見開いたまま驚きで固まっている横で、「そうなんですよ、わかっていただけますか……?」と項垂れている春馬。

 そんな二人に交互に目を向けてクスクス笑う美人すぎる産婦人科医。


「でも心配はわかりますが、ママに着替えの時間くらいあげてくださいね。大丈夫ですから」

「す、すみません。気が気じゃなくてつい……」


 上下ジャージにカジュアルパンプスでの来院をやんわりツッコまれ、春馬がバツが悪そうに焦ったようにペコペコ頭を下げ始める。やや顔を赤らめながら。


(じゃあさっきも、そういう……妊娠の件で、何か相談でもしていた……?)


 園正門前でのことを思い出し、そうか……そういうことだったのか……と思うと体中の力が一気に抜けていく。

 昨日今日でずいぶんといろいろなことを考えさせられた分、安心と驚きが大きすぎて……。


 今はそれ以上何も考えられる気がしなかった。

 飽和状態とはこういう気分のことを言うのかもしれない。


「あと、ストレッチくらいなら心配ないと思いますが、絶対無理はしないように。少なくとも安定期に入るまでは――……って、もう妊娠がわかったから大丈夫ですよね? 二人目のお子様ですし」


(……ええ、頼まれても無茶はしません。変にどこかがつるだけですし)


 おかしな決意は胸の内だけに留め、いろいろ勘違いしてごめんなさいという気持ちのこもった小さな「はい」だけは何とか絞り出せていた。







 あらためて諸注意事項を確認して次の予約をし、会計を済ませて外に出るとだいぶ夕闇は深まっていた。


「ハルは気付いてたの?」


 今思えば、確かに……生理がきていなかった。

 が、妻より先に夫が気づくなんて何とも情けないというか申し訳ないというか……。

 まだ(!)目に見えて太ってきていたわけではないのに、妊娠の可能性に気付いてくれたことがまず驚きだった。


「そりゃあね。毎月、花織辛そうだったし。『あれ? 今月は大丈夫そうだな』って思ったら『ん? あれ? もしかして……?』って」


 おもむろに街灯の下で立ち止まらせられ、こめかみから頬へと撫でるように優しく手のひらが添えられる。


 ひょっとして腫れたり浮腫んだりしている? 大泣きしたのがバレてしまっただろうか?


「なんかいろいろ不安にさせちゃったみたいで、ごめんね? 昨日の朝のうちにちゃんと言えばよかったね。俺もあれ?そういえば……って思ったばかりで確信持てなかったから」


 優しく両頬を包み込んだまま、申し訳なさそうに濃茶の目が伏せられる。


「ううん、あたしもはっきりと訊けなかったから。おまけに……変な誤解までして、ごめんなさい」


 素直に口をついて出てくる謝罪の言葉。

 クスリと笑って春馬はそっと抱きしめてくれた。


「とにかく、無事でよかったよ。――あ、でも体が心配ってのも確かにあったけど、花織はそのままで十分可愛いよって言ったのもホントだよ? 変なダイエットとか要らないよ? ホントだよ?」

「……ありがと」


 別に疑ってなどいないのにヤケに一生懸命訴えてくる様子に、ついクスクスと笑ってしまっていた。


(でも女は欲張りなんだよ。もっと綺麗になりたいから、赤ちゃん生まれたら改めて頑張るね? 背中が攣らない程度に)


 どうせ反対されるのだろうから、これもやはり心の中に留めておく。


 ――と。

 ひとつ疑問があったのだった。


「そういえばさ。レナちゃんママに相談してたのって『妻が妊娠してるかどうか』だけ?」


 それにしてはやけに顔も赤く、照れまくって焦りまくっていたようだったが。

 ……もうすぐ二児の父になるのに純情そうってどういうことよ?

 やや眉根を寄せて答えを待っていると、あーうー……と春馬が何やら言い淀みだした。


「そ、それもあるけど、さ。そ……その…………夫婦の営みはいつぐらいから再開していいのかな、って」


「――」


「や……あの、え……っと。みーの時はホラ、妊娠わかったのもっと後だったし。あ……安定期ってつまり、具体的にいつぐらいだっけ……? って思っちゃって。調べてもなんか個人差あるみたいだし不安だったから、その……恥ずかしいけど、専門家に訊いてしまいました、ハイ……すいません」


 しどろもどろ赤くなり青くなりを繰り返しながらも頑張って最後まで言い切り、終いには幻影の垂れ耳とともにシュンとなる可愛い夫に、思わず噴き出してしまっていた。


「だ、だって大事なことじゃん! 俺いつまで我慢してなきゃいけないのかな、とか……。ほら、うっかり変に触ってスイッチ入っちゃうとまずいし?」


 それで昨夜キスしてこなかったのか。

 結局はこの身を案じてくれてのことだったのかと思うと、嬉しさと愛しさがこみ上げた。

 なんとか笑いをおさめ、少しだけ体を離してその愛しいひとを見上げる。


「ありがと、ハル。ほんとに大好き」


 大好きで大事で愛しすぎて、本当はそんな言葉では表現しきれないのだけれど。


「……花織、キスしていい?」

「え、スイッチ大丈夫なの?」


 変に触れ合って余計なスイッチが入らないか心配だった、と聞いたばかりだが?


ココなら大丈夫でしょ」


 外だから(?)なのか、変な気を起こさない自信があるということらしい。

 再びクスクス笑いながら、そういうことなら……と傾けてくる顔に合わせてこちらもゆっくりと目を閉じる。


 馴染んだ優しい感触が伝わってくるであろうと思った、その瞬間――


「う……」


「え、花織? どうし……」

「ご、ごめ……気持ちワル……。うっ……ぷ――」





…………あろうことか、悪阻つわりという名の別なスイッチが入ってしまったのであった。











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