増量……えっ、アリなんですか!?(3)






(うーん……上半身もちょっとキてる……のかなあ?)


 シャワーを止めて、湯気のたちこめる浴室でムニッと二の腕をつまんでみる。

 鏡に写る姿はさほど変わらない。が、やはり触った際のぷにぷに感に少しばかり悲しい気持ちになってしまった。

 どうしたって代謝は落ちるからねー、しょうがないよ? と語った日中の妹の言葉までよみがえってきて。


(……年齢には勝てませんってかあ? ……ああああ……)


 さらに盛大なため息を吐いて、ノロノロと浴室を後にした。







 軽く拭いただけの髪の毛をそのままタオルでくるくる纏め、ミネラルウォーターを求めてキッチンへと向かう。

 いつもはすぐにドライヤーの出番なのだが、今夜はやたら喉が渇いてしょうがない。

 湯舟であれこれ悩みすぎてのぼせてしまったか。


 ――――と。


 キッチンから見渡せるリビングで、春馬がスマホを手に座っていた。

 ということは思いのほか早くみーを寝かしつけられたのだな、と安堵する。

 彼の絵本の読み聞かせも上達してきたのだろう。


「何か調べもの?」


 風呂上がりの妻にも冷蔵庫の開閉音にも反応せず食い入るようにスマホ画面を見ている春馬に、思わず声をかける。


「え、わっ! びっくりした。花織いつの間に……」


 心底驚いたという体で胸を押さえ、もう片方の手はあわててスマホケースを閉じていた。


「?」


 音にも気配にも気付かないほど何に熱中していたのだろう。

 


(っていうか、今……隠した?)



「あ、まだドライヤーしてないじゃん。風邪ひくよ?」


 いつもどおり優しげに微笑みかけてはくれるが――。


 あからさまに携帯を隠すという初めての挙動に、微かに胸がざわつき始める。


「ん、どうした?」


 グラスを持ったまま固まっていると、春馬が冷蔵庫前まで心配そうに歩み寄ってきた。


 ああほらまだこんなに濡れてるじゃん、と代わりにわしゃわしゃ拭き始めてくれても、こちらの意識はテーブルに置き去りにされた携帯へと向いたままだ。


(何してたの? 調べもの? ……誰かと、やりとり?)


 普通に訊けばいいのに、なぜか――訊けない。


「花織? どうした? 具合悪い?」


 様子が変だと思われたのか、タオルドライの手を止めた春馬に顔を覗き込まれた。


「え、あ……えっと……。ううん。け、今朝の話なんだけど」


 つい目をそらして別な話題をふってしまっていた。

 これも確かに訊きたいことではあったのだが。


「今朝? うん?」


「運動とかダイエットとか駄目って、なんでかな? ……って」

「必要ないでしょ」


 事も無げに春馬は笑う。


「不自然に体に負担かけることは絶対よくない。花織はそのままで綺麗」

「……そんなことないよ、服だってヤバいし……歳だし……。奥さんに綺麗でいてほしいって思わないの?」


 口をとがらせ精一杯「不服」を体現してみるも、


「ほら、そういう顔も可愛い。大丈夫、綺麗なままだよ」


 濃茶の瞳を嬉しそうに細め、コツンと額をくっつけてくる。


「……ホントに?」

「ホントに」


 こうしていると、普通にいつも通りのハルだ。


 じゃあさっきのは一体……。

 見間違い? 気のせい、とかだろうか?


(……うん、そうだ。きっと気のせい)


 優しく抱きよせられ、そう思う気持ちにますます拍車がかかる。

 数分前のざわつきが嘘のように薄れていき、じわじわと心の底からあたたかいものがこみ上げてくる。

 愛しさと安心感に素直に身を委ねられた。


 体を離した後、一瞬見つめ合ってから傾けられた顔がゆっくり近付いてくるのもいつも通りで――……



(――え)



 予想とは違い、優しいキスが落とされる。


「ほら、早く乾かして寝よう。ホントに風邪ひくよ?」


「――」


 いつもどおりではなかった流れにすっかり目を見開いていた花織には気付いた風もなく、春馬はすでに方向転換している。

 テーブルに向かっていた歩みを止めずに、「あ、そうそう」と首だけねじ向けてきた。


「何か用事でお義母さんのところに行くって言ってたの、明日じゃなかったっけ?」

「え……あ、うん、そう。呼ばれてて」


「明日は早帰りだからさ、みーのお迎え俺が行くよ。花織はゆっくりしておいで?」


「あ……うん、ありがと」


 携帯を拾い上げて一足先に寝室へと向かう春馬。

 笑顔と気遣いだけはいつもと何ら変わらない彼を、何とも言い様のない思いで見送った。







 ◇ ◇ ◇ 







(まったくもう……)


 寝不足からくるわずかな疲れに加え、すっかりふて腐れた表情で実家の玄関ドアをバタンと閉ざす。


 頼まれた母親の用事を早々に済ませ、久しぶりにくつろがせてもらおうとリビングにどっかり居座りかけたところ、「待った!」がかかったのである。


(呼びつけておいて友達がくるからさっさと帰れとはどういうことだ、あの親どもめ。自由すぎるだろっ!)


 そういえば、到着するなり「えー、みーちゃん連れて来なかったのー?」と大音量で責められたのだった。

 ってことは何ですか? 孫の顔見たさにわざわざ用事を作って呼びつけたんですか? とすら思えてくる。


 憮然としたまま大きな大きなため息をついていた。

 まあ、「とにかく孫は異様に可愛いもの」らしいし、二人して元気でやっててくれるならよしとするか。


 予想外に早く解放され(追い出され)、どうしたもんかな……と思案して腕時計を確認する。


(どうしよう? お迎え、あたしも行っちゃおうかな?)


 ゆっくりしてくればいい、と気遣ってくれた春馬には悪いが、こちらは為す術なく追い出された身。

 一人である程度時間をつぶせる趣味もなければ、今は特に行きたい場所もない。


(久しぶりに三人で、楽しく仲良く帰るのもアリじゃない?)


 ここのところのモヤモヤ、ざわつきを払拭したい! というのもある。

 公園に寄って遊んでいくとか、ファミレスでおやつにするとか……。そういえば、どこかでみーの好きなイチゴフェスが開催されていた気がする。


 決心するや否や、幾分軽くなった気分と足取りで幼稚園へと向かった。







 園の正門からポツリポツリと手を繋いだ親子連れが出てくる。

 彼らに軽く会釈しながら、見知った顔とは手を振り合いながら、自らも足早に歩を進めた。


(もう帰っちゃってなければいいけど……)


 まあ、もし出た後だとしても走ったら追い付けるしね、と前向きな気持ちで愛娘と夫の姿を探しながら。


(あ)


 そう待たずして、二人が楽しそうに手を繋いで門から出てくるのが見えた。

 嬉しさと、すぐさま駆けつけたい衝動がわきおこる。

 まだ距離はあるため、こちらには気付いていないようだ。


 足早に近寄りながら名を呼ぼうとした瞬間――

 すぐ後ろから続くように出てきた親子連れに目を瞠る。


(……あれは、レナちゃん?)


 確かみーと同じ星組の可愛らしい女の子だ。

 そしてその子としっかり手を繋いでにこやかに出てきたのは、園内一の魔女……もとい、美人ママと評判のレナちゃんママ。

 今日も高級ブランドスーツに身を包んでメイクまでバッチリ、なようである。


「――」


 正門横でぴたりと立ち止まり、そんな羨ましく妬ましいほどのスレンダー美人と話し始めた春馬我が夫

 その親しげな様子に、振りかけた手も開こうとした口もピタリと止まってしまった。


 双方おもむろに携帯を取り出し、何か見せ合っているようにも見える。

 それから少しだけ身を寄せてひっそりと何かを話したらしい春馬に、レナちゃんママがクスクスと上品に笑いだし……。

 ハッとしたように、真っ赤になってさらに照れ隠しのジェスチャーを最大限に駆使して何事かを語りまくっているらしい春馬。




(こ……こ、ここここの状況は、何――?)




 中途半端に踏み出した手足も半開きの口も、そして思考さえピキリと固まってしまった。






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