ダウンも、ありかな……?(2)
次に目覚めた時にはとっぷりと日が暮れていた。
フットランプだけが灯された薄暗さに、一瞬の混乱が生じる。
時間感覚を調整し状況を把握するのにわずかに時間を要した。
思いのほかまともに眠ってしまっていたらしい。だが、おかげで頭痛は幾分和らいでいた。
ゆっくりと身動きして額を押さえつつ、そういえば……と思う。
目が覚める前、名前を呼ばれたような気がするが――。
(夢……?)
声の主を探そうと目線を巡らせかけ、すぐに優しげに細められた濃茶の瞳(色なんて今はわからないが)とぶつかる。
「花織? 大丈夫?」
ベッド脇に膝をつき、顔を覗きこむように身を屈めた春馬がいた。
「……おかえり」
「いいよ、寝てな」
起き上がろうとしたところを制されて、素直に枕に戻ることにする。
何だろう、この安心感は。
ガンガンでぞわぞわでミシミシで死ぬほどしんどい(高熱によりボキャブラリー低下中)のに、春馬の微笑みを見ただけで幸せを感じてしまうなんて、自分はよほど弱っているのに違いない。
「今……何時?」
「まだ九時前。向こうに寄って、みーの様子みてきたよ」
頭を撫でてくれながら、思い出したように春馬が口を開いた。
「大丈夫だった……?」
「『パパ、ばいばーい』って天使な笑顔で言われた」
傷付いた顔で胸を押さえる春馬に少しだけ噴き出してしまった。
とは言っても軽く空気がもれるだけの笑いとなってしまったが。
この様子じゃ、愛娘がどこぞに嫁ぐ日がきても意外に大丈夫かもしれないな……などと妙に安心してしまった。
「今日は寝る前じぃじに絵本読んでもらうんだって」
「ハルも向こうに泊まっててよかったのに……」
「やだよ」
予想どおりの即答。
もはや驚きもしないが……。
「やだじゃなく――」
「俺は花織がいるとこに帰ってきたいの」
反論しかけたところにデコチューまで降ってきた。
「ちょ……っ、ダメだよもー……。
あっちいけとばかりに力の入らない腕で軽く胸と頬を押しやるも、柔和な笑みを浮かべたまま春馬は少しも遠ざかろうとしない。
「平気平気。何か俺、インフルに嫌われてるみたい。長野でも叔父さんたち全員かかっても俺だけ伝染んなかったし」
「だからってねえ……」
本当にたまたまだったのだろうし、今度もそうだとは言い切れない。
現にこうして自分も生まれて初めての経験をしているのだし。
何よりこんなに苦しくしんどい思いを、大切なひとに味わってほしくないというのに。
「いいの。弱ってる花織のお世話したい。いつも可愛いけど超可愛い」
「うわ……問題発言……」
くすくす笑って顔を近付けてきた馬鹿者に、今度は唇を奪われた。
軽いリップ音を立ててすぐに離れていったが。
「――お世話……? これが?」
「これも」
ダメだ……こやつは。
朗らかに爽やかに笑ってはいるが本当に本当にお馬鹿かもしれない。
「もう……知らないよ? 今のできっと……本当に絶対に伝染ったよ? どうすんのよもー……」
「もう冬休み入るし。大丈夫」
「……仕事はともかく、いつまでもみーが帰って来れないじゃない」
「あっ、そうか。でも大丈夫。絶対うつらないよ」
だからなぜ言い切れる?
どこから来るんだ、その謎の自信は?
……と反論したいのはやまやまだったが、頭も体もまだ言うことをきいてくれそうにない。
よって無駄なエネルギーは使わないことにする。
「でも、ホント……ごめんね? 明後日せっかくのクリスマスなのに……」
「なんで謝るの。花織のせいじゃないよ」
やわらかな笑みで春馬は見下ろしてくれるが。
でも、やはり悔しい。
幼稚園から帰ったら一緒にウォールステッカー貼ろうね、ツリーの飾りももう少しだけ増やそうか、と娘とも約束していたのに。
実家での様子を聞く限りそれも忘れてくれているようで、残念な思いをさせずに済んだのかな?という点に関してだけはホッとすることができている――のだが。
「大丈夫だって。来年も再来年もあるんだし」
「んー……」
とは言っても食材が……。
明日から仕込もうと買ってきておいた冷蔵庫内の食材の数々を思うと、何だか物悲しい。
「花織、食欲は? 何か食べられそう?」
「んー……欲しくはない、けど……」
食べた方がいいのだろうな、とは思う。
薬もあるし。
「おじや、あるよ。ちょっとだけ食べる?」
「……作ってくれたの?」
「花織はお粥が好きじゃないから、って彩ちゃんが教えてくれて。電話で聞きながら作ってみた。持ってくるね」
(うわーうわー……じんわりくるなあ……何この幸せ? 何この気が利きすぎる可愛い旦那?)
ちょっとよぎった「旦那あるある」、我が家にはまるで当てはまらなかったようである。
ヤバいどうしよう、明日死ぬ自分への神様のプレゼントだったりして!……と幸せをそら恐ろしくも感じてしまった。
卵と出汁のいい匂いをさせて登場したおじやは、ほわりと優しい味がした。
「美味し……。ハルすごい……」
「よかった。っていうか、先生とレシピがいいだけだけど」
それでもすごい、と唸ってしまうほど美味しい。
そしてやはり感動が半端ではなかった。
具合が悪いときほど、人への感謝というものは素直にわき上がるのかもしれない。
「ごめんね、疲れてるのに……。ありがと」
「いつも花織がしてくれてることでしょ?」
言いながら、おでこにこめかみにとキスを落としてくる。
「……なんか特別機嫌が良くない?」
「あ、ごめん。花織はしんどいのにね。でも二人っきりのクリスマス、久々だなーって思ったらつい」
少しも悪びれない様子でごめんねと謝りながら、懲りずに唇を重ねてきた。
……もういい。突っ込むまい。
後悔先に立たずで伝染ってウンウン唸って苦しめ、可愛い旦那め。
入れ替わりで寝込んだって……………………ちゃんと看病はしてやる。
それにしても、とれんげを口元に運びながら考える。
クリスマス(前だけど)に寝込むなんてツイてないと思っていたが――
何だかんだ、いつも以上にほっこりした気分を味わえている自分は、実はそうとう恵まれているのではないだろうか。
ケーキやオードブルはパーになったけど……。
「そういえば、ハルは何食べたの? これから?」
「――」
何気なく発した問いに、なぜか奇妙な沈黙が返ってきた。
春馬の表情も心なしか唖然として見える。
何だろう、この間は?
「……忘れてた」
「えっ」
……気が利かないどころか、予想の遥か上をぶっ飛んで至れり尽せりしてくれていると思ったら。
妻の、ではなく自分の方の飲食にはまったく気が回っていなかったらしい……。
ひとしきり驚いた後じわじわと嬉しさと可笑しさが込み上げてきて、つい笑ってしまっていた。
「うう……コンビニで何か買ってくる。ついでに何か欲しいものある?」
よよと泣き真似をしながら、春馬もあきらめたように笑って立ち上がる。
「ポカリと……プリン」
「わかった。それゆっくり食べて待ってて?」
「あ……ハル」
歩き出したところに手を伸ばすと、穏やかな笑みをのせたまま振り返って歩を戻してくれた。
「ん?」
「気をつけて……。早く帰って来てね?」
腕を引き寄せてほんの少し背伸びをして、
自分の方からキスをする。
バカはどっちだあぁぁ!と軽い目眩と自分自身への罵声がよぎったが、あえて目を逸らした。
どうしても今、したかったのだ。たまならく愛しさが込み上げてきて。
この想いを伝えたくて。
「……うん。花織も温かくしてるんだよ?」
コツンと額を寄せて、春馬。
間近で揺れる猫っ毛の髪と優しく細められる瞳に、出逢ったころのようにときめいてしまった。
月並みだけど、このひとと結婚して良かったなあ……と心底思った。
温かな湯気と気分に包まれながら、背中を見送る。
治ったら、やっぱり少しだけ遅いクリスマスを三人で迎えよう。
うんとうんと甘やかしてやろう。帰ってきた小さな可愛い娘を。
大事にしていこう。この愛しいひとを――。
絶対伝染らないと宣言していたとおり、その後もピンピンしていた春馬は――
年が明け数ヵ月が経ち、暖かな風に吹かれるようになった春先、普通の(?)風邪にやられていた。
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