ダウンも、ありかな……?(1)




 考えてみればイヤな感じがしたのだ。

 何かの拍子に、ぞわりと。

 あれは一昨日の夜だっただろうか……。


 湯冷めしちゃったかなー?などと軽く考えて、結構な薄着のままニヨニヨと「お家で作れるクリスマスオードブル♪」など検索していた己の浅はかさが、今は心の底から恨めしいと思う。

 昨夜から今朝にかけてぐんぐん上がる熱に恐れおののき体温計とにらめっこし、「あれれ? 風邪なんて久し振りだなぁ」なんて思いながらもマスクと手袋で重装備して春馬みーをそれぞれ仕事と幼稚園に送り出し、フラフラで受診した医療機関で――

 人生初のインフルエンザに罹っていることを告げられた。


 隣接する調剤薬局の会計窓口で手厚い指導を受けながら抗インフルエンザ薬を吸入し、せめて水分補給だけはと途中でポカリ一本を購入して(二本は無理だ、今は重くて死ねる……)酔っ払い然としたヘロヘロな足取りで帰途につく。


 愛娘のお迎えをばぁばに頼んで園にその旨を伝え、春馬にも状況伝達のメールを一本入れたところで、ようやく力尽きてベッドへ倒れ込むことができた。


 時計の針は軽く十三時をまわっていた。




(……どっから来た? どのタイミングで伝染うつったんだコレ? スーパーか? 園のお迎えの時か?) 


 しまった思いっきり出遅れた、早いとこ予防接種受けないとなーなどと思っていた矢先のことだったため、なおさらやらかしてしまった感が込み上げる。


 しかも、なんだこの尋常ではない激しさの頭痛は。

 思いきり眉をしかめて、つい天井を睨む。 

 人によって症状も感じ方も異なるとは聞くが、正直なところこれほど激しい痛みに苛まれるとは思っていなかった。

 ちょっと風邪のスペシャルバージョンでしょ?――などと高を括っていた自分が悪かったよ許しておくれよ、お願いだから早く治して?……と、すでにどこの誰に向けたのかわからない謝罪まで脳内を駆け巡る始末である。


(今朝のあの重装備だけで大丈夫だったかな? 二人に伝染うつしてしまってなければいいけど……)


 今さらながら心配になってきた。

 大丈夫ならみーはそのまましばらく実家で預かってもらうのが正解だろう。クリスマスは……残念ながらお流れだな。

 旦那ハルは……どうしよう?

 この際二人で実家に避難してもらおうか……などとぼんやりした頭で一応考えてみる。 


(十中八九、大きい子供も小さい子供も揃って『いやだあああ』とごねまくるだろうけど……)


 想像すると可笑しくて、でも易々と思い浮かべることができて――。

 朦朧としながらもクスクスと笑いが込み上げてくる。

 やはりこのインフルくんは自分一人の内だけで撲滅しないと。


(さっさと回復して一日も早く家族三人の健康生活に戻るためにも、やっぱり二人とも実家避難させるのが無難かな……)


 結論付けたところで一応の安心感も湧いたのか、緩やかに迫り来る睡魔にとうとう負けてしまっていた。







 物音で目を覚ますと、クローゼットや娘のベッドまわりを物色する泥棒――もとい、母親がいた。

 いざという時使ってねと渡してあった合鍵を使って、入ってきていたらしい。


「ああ起きた? 大丈夫? どんな具合?」


「だるい……体痛い……頭痛がハンパない……」


 あらためて頼むまでもなく健康体を実家避難させてくれるつもりだったらしい母親は、部屋中を駆けまわって娘の着替えやらお気に入りのぬいぐるみやらをかき集めている。

 孫と居られる時間が増えて嬉しいのはわかるが、喜々として諸々をボストンバッグに詰め込む様が何だか本当に泥棒さんのように見えた。

 はっ――――いや、すみません母上様。これから愛娘がお世話になるのに。 


「まあとにかく熱が下がるまでが辛いからねえ。薬は出たんでしょ?」

「うん……」


 しっかりマスク装着しながらもかなりの距離をとって話す母の声はくぐもっていて、なかなかに聞き取りづらかった。

 娘のことを頼む手前、伝染らないようにと用心してくれているのはありがたい限りだが。


「……お母さんは罹ったことあるんだっけ?」

「うちはアンタ以外みんなやってるわよ」

「そうだっけ……」


 朦朧としているせいか、いまいち記憶がはっきりしない。


「アンタも災難ねえ、クリスマス直前にインフルエンザなんて。ま、この際春馬くんにうーんと甘えなさい。みーちゃんはしっかり見てあげるから」

「え……大きいほうは預かってくれないの?」


「うちは構わないけど。間違いなく『イヤ』って言うでしょうよ、本人が」

「……だよね」


 でーすーよーねーと思わず歌いたくなってしまう。

 やはりそう思いますよね母上様も。

 けどあんた大人なんだから「イヤ」とか我が儘ぶっこいてる場合じゃないだろ、と一応本人にも言ってはみます。

 みます、けど……ご想像どおり無理でしょうね、はい。


「あ、そうそう。何か頼むときはちょっと言い過ぎかな?ってくらいはっきり言いつけなさいね? 男のひとって思ってる以上に気が利かないわよー?」


「……お父さんがそうだった……?」


「もー最初はヒドイのなんのって! 気にかけてはくれてるのよ? 心配してくれてるのもわかるんだけど……でも、思いっきりズレてんのよね」

「い……いったい何が……」


「『大丈夫!? ゆっくり寝てて! 僕のご飯はいらないからね』って」


 なるほど……。

 自分のことは自分でなんとかするよ、と気を利かせてくれているつもりでいて、ふせってる奥方の飲食までは気が回っていないと。

 わりとメジャーな「旦那あるある」かもしれないな、と冷静に思ってしまった。

 悪い人間ではないが気が利かなかったのだな父よ……。


「……でも、今は違うんでしょ……?」

「そりゃあバッチリ仕込んだわよ! 後々自分が楽できるように」


 さすがは母上。参考にさせてもらいます。


「さっ、じゃもう行くわね。みーちゃんはお迎え二時半でいいのよね?」

「そう……。ごめんね。よろしく」


「なんのなんの。実家が近いってこういうときいいでしょー。ほっほっほー。あ、ちょこっとおかず冷蔵庫に入れといたから。なるべく頑張って食べるのよ? あとポカリは? 買ってある?」


「一本……」

「足りないわね。春馬くんに帰り買ってきてもらいなさい。頼んどこうか?」

「いや、いい……。自分で言う……」


 あらやだラブラブーなどと意味のわからない含み笑いをしながら、軽やかな足取りで母は去っていった。


 妹も家を出て父と二人だけになって気落ちしてるかと思いきや、むしろ若返って元気になってはいないか?

 夫婦とはそういうものなのだろうか。

 何十年か後には自分たちもそういう風になるのかなあ……などと、遥か先の未来を想像するとほんの少し物悲しい気分になってしまった。バカみたい、と笑われるだろうか?

 いや、それ以前に――

 そもそもあの春馬が溺愛している娘を手放せるのか、が問題な気もするが……。 


 まあ、そんな数十年先の心配よりまず今だ。

 とにかくこのダルさと頭痛がどうにか少しでも収まってくれないことには、何も喉を通りそうにない。


(熱……熱を下げねば……。っていうか、ず、頭痛が……)


 節々の痛みと頭痛をおして、枕元のミニボトルに手を伸ばす。

 瀕死の役を演じる俳優さながら息も絶え絶えにポカリを一口含んで飲み下した時には、現実にかなりの疲労感に襲われていた。

 このままアンタ死ぬよと言われたら、今なら普通に信じてしまいそうである。


(……死ぬ時にはやっぱりハルの顔を見ながら、がいいなあ……)


 つい息を引き取る場面まで想定してしまい、なんてしょーもないことを……と笑いをこぼす。

 いつの間にかまた、深い深い眠りへといざなわれていた。 





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