無自覚、アリかも?(2)




 程よく効かせたガーリックとチキンの焼ける香ばしい匂いが立ち込める中。

 シャワーの水音と楽しそうにはしゃぐ娘の声がこちらまで漏れ聞こえてくる。

 数分前のやり取りを思い返して、花織はそっと笑いをこらえた。


 「おふろ、あーちゃんとぼーきゅんと入るー」と満面の笑みで軽く爆弾を落とされた時にはどうなることかと思った(どうと言うこともない。一瞬で青ざめた春馬が有無を言わさず抱き上げて浴室に直行していた……)が、何だかんだで久しぶりの「パパとのお風呂」はそうとう嬉しいのだろう。 



「ねぇ」


 最後の仕上げと盛り付けを妹にお願いし、テーブルのセッティングをしがてら一人になった彼氏くんをこっそり捕まえて訊いてみる。


「もしかして不安になったりとか……何か疑っちゃってたり、する? キミに対する彩香あの子の気持ち」

「や、それは無いです」


 すかさず返ってきた言葉に少なからず目を見開いた。

 そういう自信はあるのか、相変わらず。

 変に誤解されていたら少しでも代弁――というか解説でもしてやった方がいいのでは? と気を揉んでしまったのだが、まるで必要なかったらしい。

 まあ、長い付き合いの二人だし今さらか……。


「ただ、早く自分だけのものにしたくて焦ってるだけで」

「お、おおぅ……」


 独占欲はもう隠すつもりもないらしい。


「でもそんな焦ってるようにも見えないけど?(ただ不憫なだけで……)」

「いやー必死っスよ。ぶっちゃけなりふり構ってられっか、って感じっス」


 彩香あの子も何だかんだ言って愛されてるなぁ……と何だか嬉しいようなむず痒いような、妙な気持ちが込み上げる。


「そういう点では全然――なんスけど……。何っつーか、あいつの爆弾並みの不安すっかり拭い去ってやれないほど俺ってまだ影響力ねーのか……ってやっぱちょいヘコみますね。人間的にまだまだなんだな、って」


 身が引き締まる思いとか言うんっスかね、と苦笑いしながら肩を竦める彼は、やはり大した人物だと思う。 

 自信家かと思いきや、そういう殊勝さも確かに備わっていて……。

 普段どういうやり取りをしているのか細部まではわからないが、どんなに躱されてもごまかされても根底にある強い想いはまるで動じないのだろう。

 自分に自信が持てないあの子の相手として、好ましいことこの上ない。   


「まあ、だからってあきらめるようなキミじゃないとは思うけど……大丈夫? かなり頑固よ、あの子。待てる?」


「もちろん。ぜってー離しません」


 お見事。


 としか言いようが無い。わかってはいたが。

 あの子の相手がこの人物で良かった、と心底思った。

 ここまではっきりきっぱり言い切ってくれるような彼氏くんとだからこそ、多少危なっかしくてもあの無自覚さでも大丈夫なのだな……と暗に納得もする。


 そうなると、やはり彼氏こちらにはほとんど問題はないということだ。

 本当にもうあとひと押しではないか。

 心の問題なだけに(妹にとっては外見問題だろうが)、そう簡単にいかないことも理解しているのだが……。



「花織ー。出るよー?」


 すっかり眉をしかめて唸ってしまったところに、浴室から春馬の明るい声が響いた。


「あ、はーい! ――じゃ、彼氏くん。引き続き頑張りたまえよ。任したぜっ」

「うっす。任されました」

 

 不敵な笑みと頼もしい返しに、思わず普通に笑ってしまった。


 さてと。

 上気した愛くるしい顔とほっこほこの体で先に出てくる娘を、タオル広げてお迎えせねば――。

 浴室へと急ぎながらじわりとあたたかな気分を実感する一方で、キッチンの妹にふっと思いを馳せる。 


(こんな幸せをあんただって味わっていいんだよ、彩香……)



 





 ふたりの帰り際。

 玄関先の彼氏くんは春馬と娘に任せて、「ちょっとちょっと……」と今度は妹の方をこっそり捕まえてリビングまで引き戻す。 

 任せたとは言ったものの、やはり可愛い妹のことだ。実の姉である自分もちゃんと応援してやりたい。


「あのさぁ……彩香あんたはあんたなりに彼の人生大事にしてやりたいとか間違ってほしくないとか思ってるみたいだけど。ぶっちゃけ今の――その状態の方が彼にとっては良くないよ。わかってる?」


「――え……?」


「……って、あああそういう不安そうな顔しないー! そういう意味じゃなくて!」 


 やっぱりつり合ってないんだ……とかあたしのせいで……とか卑屈街道まっしぐらな勘違いをして、わざわざ自分から打ちのめされてるのが手に取るようにわかる。

 を常に大らかに包み込んで愛情たっぷりで見守ってるなんて、彼氏くんはそうとうな手練れだなっ! と感動すらしてしまった。


「あんたをフラフラさせといてる状態が内心気になってしょうがないんだと思うよ、彼。勉強にも集中できてないんじゃないかって心配にならないの?」


 まあ、できてるだろうが。彼なら。

 が、あえて大げさに、これでもかというほどわざとらしく顔をしかめてみせる。 


「べ……別にフラフラなんて」


 そう、ぼそりと反論する妹の気持ちもわかる。

 自信のあるなしは置いといて、彼しか見てないのも重々承知だ。

 それでも――  


「可哀想に。あれじゃ受かる試験も受からないんじゃないの? 受かったとしても最低あと二年は大変なんでしょ? ヘタしたらそれ以上って聞いたよ? あんたたちの場合、潔くくっついちゃってすぐ側で応援してあげてたほうが絶対いいって。彼氏くんだって俄然やる気出してどんな壁でも平気で突破しちゃうと思うけど?」


 試しに結婚してみたら? と言ったのも、あながちただの冗談ではなかったりする。


「で……でも、ホントにあたしなんかには勿体ないヒトで……。もし、この先ちゃんと綺麗で相応しいひとが現れ――」

「ばかっ!」


 戸惑いながらも頑張って絞り出している声をあえて遮り、思いきり首を横に振ってやる。


「そう思ってんのはアンタだけよ?」

「――」

 

 涙を浮かべて言葉を詰まらせる妹の弱々しさに、一瞬こちらまで泣きそうになってしまった。

 どうしてこの子がこんな思いをしなければならない――? 


 昔から元気だけが取り柄だと思っていた妹が、殊、外見とあの彼氏のこととなるととたんに脆くなる。

 そんな心配など本当に必要ないくらい愛されているというのに。

 やはり長い期間で積もり積もった不安や恐れといったものは簡単には消え去ってくれないのだろう。  

 そんな暗い部分に長年気付いてやれずにいた身内としては、なかなかに辛く情けないものがある。


 だが彼女の幸せ――ひいては二人の幸せのために、今日こそは言わねばと固く心に決めていた。


「ろくに返事もしないでのらりくらり躱してる今の方が、絶っ対彼の足引っ張ってるよ。間違いなく」


 実際はここまでせずともあの優秀な彼氏くんなら大丈夫だろう、とは思っていたりもするのだが。まあ、微々たる脚色だ。許せ。

 多少誇張して言っとかないとこの頑固さは揺るがないかもしれないし。



「あんたのこと、本当に大事に想ってくれてるのよ?」


「――」


 それもわかっていないわけではないだろうし、お互い様だろうが。


 怖がって踏み出せないでいる背中を押してやるのは、今度は自分の役目だ。 

 七年前に受け取ったエールを、今ようやく返せる。


「大丈夫だから。自分の気持ちにしっかり向き合って、ちゃんと答え出してあげな」


「……うん」








 翌朝早くに枕元で震えた携帯を、微睡んだまままさぐってどうにか布団の中に引きずり込む。

 画面を見ると、まだ六時を少し過ぎたあたりだった。

 欠伸一つしながら、届いたメッセージを確認し――


 思ったよりだいぶ早かったな……とつい顔が綻んでしまった。


「んー? 誰……?」


 愛らしい顔ですやすや眠る愛娘を間に挟んで、隣に眠る春馬が薄っすらと目を開けた。


「彩香。決めたって」


 とうとうオーケーしたのか、はたまた逆プロポーズでもしたのか。

 あの頑固で怖がりの妹もついに決心したらしい。


 細かい部分は次回突付いて聞き出してやるとして――

 やっと落ちたか……。

 そう思うと単純に嬉しさが込み上げた。


「可愛い妹、とうとう取られちゃいますねえ、おにいさん?」

「うー……。彩ちゃんの幸せのためなら仕方ない」


 口調はふてくされているものの、春馬の表情は果てしなく穏やかで優しかった。

 やはりちゃんと最初から認めていたのだ。あの相手を。


 心の底から愛しさが込み上げて、自分の方からそっとキスをする。

 と同時になぜか妙に甘えたい衝動に駆られてしまい、そのまま春馬の肩口にコロンと頭を乗せた。潰してしまわないようにと二人で大事に娘を抱え込みながら。


「もうみーの前で『ドロボーくん』『野獣くん』なんてうっかり呼んじゃ駄目よ? ホントに大人げないっていうか、義兄バカっていうか……」

「ハイ……。でもあんなにハッキリ覚えられちゃうとは思わなかった……」


「ハルに似て賢いのよ、きっと」

「恐るべし三歳児……」


 反省してます、と苦笑いしながら春馬が小さなおでこにキスをする。


「でも、彩ちゃんもいよいよか……。幸せになってほしいねー」

「なるわよ」


 あのちょっと生意気だがよくできたもさぞ喜んだだろう、と思うとつい顔がにやけてしまった。



 再度震えた携帯に目をやると、新たなメッセージ。

 かれこれ八時間ほど全く離してもらえないという旨の一文を目にしたとたん、妹への同情が禁じ得ないものになる。   

 続けて表示されたSOS的なスタンプ――ポップだが悲哀あふれるイラスト表示――に、ついつい乾いた笑いがもれてしまうのだった……。






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