会えなかった六日目~ラスト土曜日(4)




「前から……入学したてのころから憧れてたけど、思ってたよりもっと……どんどん花織のことが好きになってって――俺ヤバかった。これでやっぱり選んでもらえなかったら、って思ったら……なんか連絡も――。って……ホントに情けないな俺、ごめん」

 

 あわてて謝ったかと思うとへにゃんと眉を下げ、うつむきがちに春馬は視線を彷徨わせた。


「――――今までは平気だったんだ。ひとりなのは……慣れてたから」


 ほんの少し口角は上がっているものの、笑顔とは程遠い寂しげな表情。  

 平気と言いながら竦めた肩が、今にも震えだしそうに見えるのはなぜだろう。 


「でもいいや、って。ひとりでも……生きてるだけでなんとかなる、って。いつも言い聞かせて……」

「……」


「でも花織といるようになってからは、想像してた以上に心地よくて……花織の周りもすごく温かくて、ひとりの時間に戻るのが急に怖くなった。花織が目の前からいなくなったら俺、どうなるんだろう……って。

だからあの時、マンションの前で――『もし最終日になっても花織に振り向いてもらえなかったら、つきまとったりしないでちゃんとあきらめる』って言わなきゃいけないのに言えなくて――……って、え……えっ!?」  


 浴衣の膝にこぼれる涙に気付いて、春馬があわわわと慌てだした。


「ご、ごめん、花織?」

「……何で今言うのよ」


 いつもいつも遅いのだ。

 この相手は大事なことを言うのが遅すぎる。

 あの時そこまで言ってくれてたら、余計な勘ぐりをしたり怖がって逆に傷付けるような発言をしたりしなくて済んだかもしれないのに……。

 いや―――― 


「ご、ごめん。これ言ったらフェアじゃないかな、って。同情誘うみたいで……そんなんでOKされたくなかった、っていうか――」


 いや、違う。

 結局自分も春馬のことは言えない―― 


 涙を拭って立膝になり、不思議そうに見上げてくる春馬の頭部をそっと抱きしめた。

  

「花――」


 変に怖がって、大事な言葉を先延ばしにして……無駄に傷つけてしまった。 

 だけど、これからは……  


「あたしが一緒にいる。幸せにしてあげる。もう一人じゃないから――だから大丈夫」


 もう間違えない。

 そばにいよう。自分だけは。この大切なヒトのそばに。


「…………花織、酔っ払ってないよね?」

「は……? こんなときに何――」


 何言ってんのよ、と離れようとした体がいっそう強く引き寄せられた。


「すごい。ちょー嬉しい……俺どうしよう……!」 

「え? ち、ちょっと、苦し」

「すごい! 酔っててもシラフでも花織、一緒だ。変わらない!」 


 大喜びの上なにやら興奮状態らしいが、息も絶え絶えな腕の中の住人がギブギブと背中を叩く合図にも気付かないのは如何なものか。

 

「花織。あの夜、今とおんなじこと言ってくれたんだよ」

「え……」


(じゃ、思い出してほしかったことって……これ? まったく記憶にないけど、酔ってた自分もこれを……言ってた?)  


「憧れの花織先輩が俺の部屋に居るってシチュエーションだけでとんでもなく舞い上がってたのに、子どものころからの話聞いてくれて、さらにさっきの――泣けるくらい嬉しいこと言ってくれて」


 ようやく力を緩めて、あらためて春馬がまっすぐに見つめてきた。


「俺すげぇ嬉しくて、半分泣きそうになって感動してたら――」

「してたら――?」


「酔った花織に押し倒された」

「えっ!?」


(そ、そこは本当だったのかー!?)


「俺の服全部脱がせて自分もすっぽんぽんになったと思ったら、いきなり爆睡。しかも頭痛いってウンウン唸りながら」


(ひーーーーーーっ!!)


 だから半分はホント、なんて言ってたのか……と思い返しながら目眩が止まらなかった。 

 な、何というはしたない真似をしてしまったのだろう。   


「いやー花織サン。あの生殺しはナイわー」

「ご、ごごごめん、マジでごめん……」


 ち、痴女か……あたしは本当に痴女だったのか……と青ざめてブツブツ言う様子に笑みをこぼしながら、春馬が両肩から頬へと手のひらを移す。 


「あの夜は同情で言ってくれたんだろうけど、今は違うよね?」


 優しく細められる濃茶の瞳に、胸が高鳴った。


「い……言わなきゃわかんない?」

「鷺沼先輩に啖呵切ってたの見てたからわかるけど――。でも言って?」

「う……」


(み……見て聞いてたんならいいじゃん!)


「あれ? 言わないの? ま、いっか」


 どっちでも良いとばかりに近付けてきた顔を、再び手のひらで押しとどめていた。 


「と、というか! あの話は? 高校生の彼女って――」


「ああ……。ちょっとだけ付き合ったのはホント」

「ヨリ戻すかもって……話、聞いたん……だけど?」 

 

「……泣かれたけど」


 ため息混じりに春馬が首を横に振る。


「いい加減花織のこと忘れなきゃ、ふっきらなきゃって思って初めはOKしたけど……やっぱり、ね。彼女には悪いことしたな」

「て……手、だしちゃっ……た、の?」


「――気になる? 妬いてくれた?」

「ば……っ!」


 珍しくニヤリと笑んで近付けられる顔に、首から上の血液が一気に沸騰した。


(な、な、何だその勝ち誇ったような顔はー!?)


「ま、まさかそんなワケ……! だ……大体あんた、生意気なのよっ! 年下のくせに!」

「え?」


「え、って……年下でしょ?」


 キョトンと見開かれる目に、少々嫌な予感が走った。


「花織、大学までずっとストレート?」

「そう、だけど」

「じゃあ俺のが上だよ。3、4年バイトして学費稼いでから大学入ったから」


「!?」


 もの凄い衝撃に、思考が完全停止してしまった。

 ……なんだろう、このただならぬショックは。この――文句のつけようのない生き様は。  


(ダメだ……。何かいろいろ勝てないような気がしてきた……。何の勝負?と問われてもわからないが) 


「だから時々変なこと言ってたのかー。……ってあれ? 嫌だった? まさかの年下好み?」

「そ、そういうわけじゃないけど。だって、最初は『さん』付けで普通に――」

「だって、憧れの先輩なのに変わりはないし?」


「で、でも……あの学生たちも、あたしのこと春馬くんより年上って」

「誰のことだか知らないけど……。『ほんとは年食ってまーす』とか声高に言ってないだけ。学校の連中、そんな親しくもないし」


「ど、どう見てもアンタの方が若く見られるじゃん! そこは……っど、どうなのよっっ」

「どう、って……それは俺に言われても……。むしろ童顔、コンプレックスなんだけど? っていうか、そんなの別にどうでもよくない?」

「よくないっ」

「とにかく憧れの花織とこうして居られるだけで……俺、もう死んでもいいくらいなのにさ」

 

 べしっ。


「『死ぬ』とか金輪際そういう冗談はナシっ!」


 伸びてきた手を払いのけ、聞けやあ!という意味も込めて、軽々しく物騒なことを口にした罰(頭はたき)を下してやる。

 さっきの死んだフリ(?)だって、本当にびっくりして心臓が痛いくらいだったのだ。

 簡単に許してなんぞやるものか。……と睨んではみるものの。


「ごめん、って」


 制裁が軽すぎたのか、やはりこれっぽっちもめげずクスクスと春馬は笑う。 


「で? そこまで怒ってくれる理由は? やっぱり言ってくれないの?」 

「うるさいっ」

「言わなきゃこのままあの夜の続きするよ?」

「!?」


 ホントにムカつく。

 そうやってちょっとした脅しと妙な選択肢を出せば、簡単に折れると思われているのがまず許せない。(これまで実際折れてきてしまったが……)   

 いつもいつもその手で簡単に勝てると思ったら大間違いだからなっ?! と思うあまり―― 


「だ、だったら――――言わないわよっ」


 これならどうだ、とドヤ顔し……かけて――。     

 なぜか妙なスイッチを入れてしまったような己の選択に一抹の不安を覚える。


(あれ? ちょっと待って……。これって結局自分は勝ったことになるのか? 何か変じゃない……?) 


 ふと眉根を寄せた時には、すでに春馬の表情には極上で極甘の微笑みが宿っていた。


 「花織までクスリ臭くなっちゃうね」なんて囁かれながらあっという間にベッドに運ばれて横たえられる。


「え……っ、あ、あのっ……ちょ、ちょちょちょ! 今のナシっ」

「ブー。もうダメー。っていうか一週間我慢したんだからあきらめて?」

「だ、だってアンタ怪我……」

「ヘーキヘーキ」


 言うが早いか、顔中の至る所に甘いキスを落としながら帯に手が掛けられる。


「平気じゃないでしょ……腫れが酷くなったりとかしたら、ホラ……試験もあるんだから! って……こ、こらっ」

「じゃ顔使わないで頑張るから」

「!? な……っ、何言ってんのよ馬鹿ああああああああ!!」






 ダメだ、どうあってもこの相手には一生勝てないらしい……と気付いたのは、結局意識も何もかもすっかり溶かされ、一週間と一日前と同じ状況で朝を迎えた後だった。


    





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