会えなかった六日目~ラスト土曜日(3)




 きつく彼の頭部を抱き寄せ、猫っ毛の髪に頬を埋めた瞬間。



「あいつ行った?」



 胸の前でぱっちり目を開け、春馬がむくりと頭を上げた。


「――」


「あっ! そ、そこのお父さん、救急車は要りませんので! すいませんすいません、皆様。ご親切にどうもありがとうございます! 通報とか救急車とかは結構です。大丈夫ですんで。ナンパ野郎の悪人が去ってくれたならそれで万々歳なんで。いや本当に、ご心配おかけしましたーーー!」


 固まる花織を置き去りに、ガバリと立ち上がった春馬がいつかファミレスで見せたように周囲にぺこぺこと頭を下げている。

 憎めない例の笑顔で。


 あーびっくりした、よかったね彼女無事で、あんまり無茶するんじゃないよ、などと笑って去ってくれる人たちだらけなのはたまたまだぞ、こら。わかってんのか?


 ――というお小言が頭をもたげる。


 もう少しでとんでもない騒ぎになってたんだぞ、どう責任とるつもりだったんだおまえ……っていうか、いつ来た?いつからいた?なんで連絡ひとつなく……ってこれは自分もだから言えないけどさ。


 ――という反省も自身の内では渦巻いていて。


 何より思いきり心臓に穴を開けてくれたこの相手に、「冗談じゃない」ととにかく叫び散らしたい思いでいっぱいで、唇を噛み締め震える手のひらを強く握り込んだ。


(でも……)



 様々な葛藤が渦巻いたまま呆然と路上に座り込む花織にやわらかい笑みを向け、ようやく春馬が目の前にしゃがみ込む。


「ちっさい男って聞いてたから、死んだフリでもしたらビビって逃げてくかな、って思って。こんな上手くいくとは思ってなかったけど――」


 言い終わる前にべしっと頭部をはたいてやると。

 いてっと小さく声を上げたきり、春馬が目を見開いて固まった。

 その冷静そうな表情が許せなくて、ムカムカがどうにも収まらなくて、二発三発とさらに場所を変えてお見舞いしてやる。


「い……っ、いてっ。花織……ご、ごめん」

「何言ってんのっ!? すごく心配したんだから!」


 やはり、そうなのだ。自分だけがいつも焦って冷静でいられなくなって……。

 春馬の前だととたんにこんなにも脆くなる。本当にズルい。なのに……。  


「ごめん……花織」

「死んじゃったかと思っ――……!」


「ホントにごめん。……ごめん。だから泣かないで」


 それほど大柄なわけでも逞しいわけでもないのに、抱きしめる腕がやけに力強く感じられた。


(でも……会えた……)


 どんなに痛々しく無様に思われようが――  

 どんなにみっともなくても、情けなくても……  

 やっぱり、こんなにも春馬が好きなんだと思い知る。


 こんなにも会いたかったのだと。



「あたしが、ごめん……」



 そっと抱き返して、ずっと言いたかった「ごめんね」を告げると。

 さらに力強く抱きしめられた――ような気がした。


 「会いたかった」と小さく耳元で囁かれて。







 ◇ ◇ ◇



        




 死んだフリは大げさだったが、庇った拍子にまともに拳を受けて痛い思いをしたのは事実だったらしく。

 とりあえず、のつもりで帰り途中で簡易救急セットなどを買い求め、一週間ぶりに春馬の部屋に踏み入るなり――――花織の怒りスイッチが入った。

 

 「でも、あんなのが花織に当たらなくてホント良かったぁー」などと緊張感のないセリフを吐いてにへらと笑う春馬の顔が、わりとすごいことになっていたのである。


 唇の端は切れて変色し、左頬から顎にかけてのラインにはわずかだが腫れが見られる。

 しかもこういった腫れや痣の類は時間の経過とともにさらに酷くなるのではなかったか?

 思い違いであってほしいが。


 明るい蛍光灯の下で見るそんな痛々しい顔と呑気な言い様に、あっという間に怒りが振り切れる。


「良くはないでしょっ! そこ座れっっ! そう言って自分が怪我してりゃ世話ないわよっ!」  


 道理で明るいドラッグストア内では何やらやけに不自然に顔を逸らされ、視線を合わせてくれなかったわけだ。

 まともにケガを見られたくなくて要はコソコソ逃げ回っていたということらしい。 


 叱りつけながら、じゃばじゃばとぶっかけそうな勢いで消毒液を染み込ませたガーゼをびたんっと押し当ててやる。 

 いでっいででで花織もうちょっと優しくー……と情けない可愛い声を出されたからといって、怒りに任せたこの荒々しい治療の手を緩めてなどやるものか。


 しかもこんな最中でも笑ってるし。

 なんだ変態か。そっちの嗜好があったのか。

 ……という冗談はさておいて。

 こちらの心配を何だと思っているのだ!


「助けてくれたのはありがとうだけど、何も自分の顔で受けなくたっていいじゃないっ!」


「えーだってあんな振り上げた拳、止められないよ。……いでっ。鷺沼先輩ガタイいいし。俺非力だし。ケンカなんてしたことないからまともに取っ組み合いしたら負けるね、間違いなく」 

「……威張らないでよ。なんでそんな満足そうに――」


「満足だよ。花織を守れたんだから」 

「――」


 微笑みかける濃茶の優しい瞳。

 仕上げに絆創膏を貼って処置を終えた右手が、そっと握られた。 


「――――その顔で言われてもサマにならないわね」

「あ、やっぱし」


 がっくり大げさに項垂れる春馬を見て、それでも自然に口元が綻ぶのを感じた。


「でも、ありがとう。ごめんね、代わりにケガさせちゃって」


「花織……」

「ちょっと待った。ストップ」

 

 抱き寄せようと伸びてきた腕を、両手のひらと顰め面でもって押しとどめる。


「それにしてもいつから――っていうか、なんであそこに来れたの? ちゃんとした約束もしてなかったよね?」


「ああ、長野から戻ってすぐに……っていうか電車の中で、彩香ちゃんにメールもらった」 

「え……あ」


 そういえば……と、連絡先を交換していた宇宙人たちの姿が思い出された。 

 それであそこに、あんなタイミングでたどり着いてくれたのか。やっぱり妹には頭が上がりそうにない。


 というか――。


「長野に――行ってたの?」

「そ。木曜の夕方に叔父さんが倒れたって連絡がきて」

「えっ!?」

「ああ、いや……大丈夫だったんだけどね、結局。命に関わる病気とかそういうんじゃなくて」

「そう……なんだ」


 ホッとして息をつく花織からわずかに目線を下げ、春馬は笑う。

 少しだけ寂しげに。  


「貴重な試用期間中だったけど……やっぱり放っておけなくて。親代わりだったヒトだからさ。何もできないけど、叔母さんや子どもたちを安心させるくらいは、って――」

「当たり前でしょ! 行ってなかったら怒ってたわよ!」

「えー言ってるそばから怒ってるしー」

「そ、それは……だって連絡くらいっ」


 責めるように言ってしまってからハッとした。

 連絡を取ろうとしなかったのはこちらも同じなのに。


「……ごめん。やっぱり俺、怖くなってきてさ……。できなかった。このまま期限がきてもやっぱり見向きもされないのかな、って。現に行って帰ってくるまでの間も花織から何も連絡無かったし……正直ヘコんでた」

「ご、ごめん……それは、あたしホントに……ごめん」

「いいよ。全部彩香ちゃんから聞いたから」

「え」


「すごく怖がってるだけだから、って。怖いけど、でも俺のこと神社前で待ってるって。早く行ってあげないと絶対誰かに持って帰られるけど、ホントにいいの?って」


 鬱陶しい、と追い出すだけでは飽き足らず何て粋なことをしてくれたのだ、あの可愛い妹は。

 最初からそのつもりで家族と仕組んででもいたのだろうか。さすがに鷺沼が現れると踏んではいなかったのだろうが。





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