会えなかった六日目~ラスト土曜日(1)
夕闇が深まり、頭上高くに飾られた提灯の灯りがいっそう鮮やかに輝きを放つようになった。
祭りを楽しむ人たちの笑い声、遠い雑踏のさらに向こうから、風に乗って賑やかなお囃子の音が聞こえてくる。
この長い石段を上って参道を抜けた先――境内に面した小広場で、おそらく近所の幼稚園児や小学生、その保護者たちによる恒例の盆踊りが始まったのだろう。
(――どうしよう。怖い……)
石段のたもと。
祭提灯の灯に照らされて佇む浴衣姿の花織が、背後の遥か上方から正面に視線を戻してうつむいた。
不安の色を隠せないまま人待ちをする自身のすぐ目の前を、楽しそうにはしゃぐ家族連れと、さらにカップルが一組通りすぎて神社への石段をのぼって行く。
あんな風に並んでここを上っていくはずだったのか……と思うと、胸が傷んであっという間に目頭が熱くなる。
二、三度軽く瞬きして涙を散らし、あきらめと微かな期待が混在した視線をあらためてぐるりと周囲に巡らせた。
(……絶対来ないって……)
ため息のひとつも絞り出せないほどの緊張が身を縛る。
先ほどから余裕なく忙しなく三方向に伸びる道の先に目線を向けてはいるのだが、求めるシルエットは未だどこにも見出せない。
『明日ちゃんと会って謝って好きだと言え』と高1の妹に背中を押されたのは木曜夜。
まったくと言っていいほど集中できていなかった就業時間をのらりくらりとやり過ごした金曜は、結局着信拒否の事実が判明する恐怖にどうしても克てず、通話ボタンも送信ボタンも押すことができなかった。(いや、正確に言うと。一度だけ業を煮やした妹に「ていやっ」とタップされそうになったが、悲鳴と共に奪い返して何とか死守した。)
そしてもちろん向こうからの連絡も何もないままで……。
そんなこんなで、大げさではなくこれまでの人生で一番長く感じた金曜日は明けてしまった。
もう駄目だやっぱり完全に嫌われたんだ……とすっかり終了気分で泥のように沈んでいたさらに翌日――が本日土曜日。「行こうか」と言ってくれていた祭当日である。
でもちゃんと約束したわけじゃないしそう言ってくれてたの水曜日だし……とうだうだグズグズと半べそかいて包まっていた布団を、夕暮れ時になって突然母に引き剥がされた。
かと思うと有無を言わせず超高速で浴衣に着せ替えられて軽くメイクを施され、
「うっとおしいからとっとと行ってこい。ちゃんと話して仲直りするまでおめーのメシだけ作らねーからな」
という内容に極薄オブラートを被せただけの激励(脅し)を妹に吐かれて蹴り出され、
父親にプリ◯スという名の空間に拉致監禁されて連行され――――気付いたら、こうして祭会場である神社前に降り立っていたのである。
家族全員に力いっぱい激励され応援されていることはわかったが、よくよく考えてみると……というか考えれば考える程、うじうじくよくよと見るに耐えない姿を晒していた自分を要は体よく追い払いたかっただけ、のような気がしなくもない。
そうだ……オブラート越しの「うっとおしい」というセリフ、確かに拾ってたわこの耳……と、思わず乾いた笑いが込み上げる。
さすがに笑うしかないこの状況をどうしろというのだ。
いつもの待ち合わせ時間に、祭り会場である神社入口でとりあえず待っとけば? と軽く妹には言われたが。
(だって……結局何も話せてないのに……?)
来るわけがない、と思うのは当然ではないだろうか。
ちゃんとした約束さえしていないのに。メールも電話も無いのに。
だったら勇気を出してぽちっと押しなよ!と自身を叱咤してもみるのだが、ビビりすぎて焦りすぎて指に震えがきてしまい――――本当にヤバい。
(もう無理もう無理、絶対ダメだって。……いや、無理でもやっぱり謝んなきゃ。でも……でも会うのが怖い……。一体どんな顔して会えば――? あんなこと言って傷つけといて、合わせる顔なんてあるわけ…………。いや、それ以前に普通に考えてやっぱり来るわけないって……)
連絡が取れない――という現状がもうすべてを物語っている気がする……。
ダメになるのなんて、あっという間に去られるなんて、慣れてたはずなのに。
なんだこれ、本気でどうしたあたし? 落ち着けー落ち着けー……と胸に手を当てて深呼吸を試みる。
こんな、メソメソ鬱々と弱い女じゃなかったはずなのに。
いつでも誰が離れて行っても、とりあえず平気なフリだけはできたはずなのに……。取っ替え引っ替えすごい、と他人に言わしめるほどには。
不安で怖くて心臓が押し潰されそうなこの状況は……何だろう。
(でも……)
にも関わらず、高鳴る鼓動と全身の震えは明らかに別な想いもはらんでいて……。
会いたい。顔が見たい。
心の奥底ではこんなにも願ってしまっている自分に気付く。
あの人好きのする笑顔にもう一度会えたなら――
今度こそ素直になろう。
罵られても蔑まれても、この気持ちを伝えたい。
胸いっぱいに広がる想いをどうにもできず、両手で思わず顔を覆った瞬間――。
「花織」
声とともに、後ろからポンと肩を叩かれた。
「春……!」
嬉しさのあまり勢い良く振り返ってしまい、後悔する。
「よ。久しぶり。っつっても一週間か」
「――」
そこに――愕然と目を見開いた先にいたのは、別れた元カレ――
とたんに、あんなにあふれそうだった熱い気持ちが驚くほど急速に冷えていくのを自覚する。
曲がりなりにもついこの間まで付き合っていた相手にこの冷め様は……凄いな、と少なからず驚いた。
自分の心はもう、そこまで春馬を想ってしまっていたということか。
無言で視線を前に戻すと、「ちょ……無視すんなよ」と鷺沼が正面に回り込んで来た。
そっちこそ話しかけないでよ、とすかさず内なる声が上がるが、こんな相手のためにわざわざ口を開いて声を出すのも面倒だ。
空気を読んで立ち去ってくれるようにとわかりやすくひと睨みしてやるも、何が楽しいのかへらへらと薄ら笑いを浮かべたまま鷺沼は気付かない。
それどころか避けようと逸らす顔面の向きに合わせて、自身の顔をこれでもかと言うほど近づけてくる。
お前はホストか!とツッコみたくなるほどチャラそうなスーツや派手な髪型、装飾品で全身固めていながらも、だが一人でこんな所にいる……ということは――。
(フラレたか? まあどうでもいいけど)
「なんか……ちょっと見ない間に感じ変わったな。ひょっとして、もう男デキた?」
「……」
完全無視を決め込んでさらに視線を逸らしてやると、ぐるりと全身を眺め回されたあげく、鼻で笑われた。
「――やっぱりな」
(……は? 『やっぱりな』? 俺と別れたら絶対一生ひとりだぞ、ホントにいいのか?――なんて脅しまがいの台詞吐いて居酒屋で喚いてた
俺以上におまえのことをわかってやれる奴なんていねーぞ、なんて寒気がしそうなセリフも聞こえてたなそう言えば。
誰も居なくなってもあんただけはご免だ、を冷ややかに体現した呆れ眼と薄いため息を「見よ!」とばかりに向けてやる。
……が、もちろんこのクズ男には通じないらしい。
「あっさり切り替えて次々他のヤツと付き合えるような女だもんなー」
次どころか平気で同時進行してたアンタに言われたくないわよ、というツッコミも勿論口になんて出さない。省エネ優先。言ったところでどうにもならないし。
何にしても本当にもう関わりたくない。
とっとと消えてくれないだろうか、と心の底から願う。
そうでなければ、しつこいナンパに遭って困ってる女性がいる、と誰か助けに入ってくれるか通報でもしてくれないだろうか。
通りすがりの人たちの目に揉めてるカップルや顔見知りとして映り込むのさえ、もはや嫌で嫌でたまらないくらいなのに……。
さり気なく辺りにSOSの視線を巡らせながら、石段の反対側に避難しかけ――
右肩が掴まれた。
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