五日目――木曜日(3)
「…………で? 傷付けたお姉ちゃんのほうが逃げ出してきて? 今こうして撃沈してるって、どーいうコト?」
しかもここあたしの部屋。明日テストなんだけど。一応これでも勉強してんだけど――――とパジャマ姿で机に向かっていた妹が、ベッド上に居座る花織に困ったような呆れたような目を向けてきた。
時刻はもうすぐ24時を指そうとしている。
「ごめん……。でも、どうしたらいいのか……」
「もう……」
泣き腫らした顔で、珍しく沈みきって声まで弱々しくなっている姉に、ため息をつきながらもぐるりと椅子を回して向き直ってくれた。
「夜の待ち合わせの時はどうだったの?」
「わかんない……」
「え? 行かなかったの?」
「あんなこと言っちゃったし……。どうせ待ってないと思って……」
「待ってたらどうすんのよー? ってさすがにこの時間までは居ないか」
「……黙って待たされてるヤツじゃないし。たぶん」
それほど待ち合わせを重ねたわけではないが、そんな感じはする。
ベッドに置かれていたサイコロ型のクッションを拾い上げ、口元を隠すように膝ごと抱え込んだ。
「まぁ、そういうイメージだけどね。『花織ーまだぁー?』って5分おきにメールしてそう」
だがそれも、もし待っていたら――の話だ。
おそらく春馬も待ち合わせの場所には向かわず、当然会社の前にも現れなかった――はず。
「はず」というのは、定時を迎えるなり普段は使わない裏口から逃げるように出て来てしまって、結局彼がそこに居たかどうかの確認ができていないから、に他ならないのだが。
だが十中八九そうだろう、と思う。どちらの場所でも自分を待ってくれているわけがない。
ずっと鳴らないままの携帯が、自然にそれを物語っているように思えた。
当然だ。あそこまで傷付けてしまったのだ。
さすがにもう――会いたいとも思われていないだろう。
「お姉ちゃんから連絡は?」
「…………してない」
「なんで? ならメールだけでも」
「拒否られてたら……って思うと、怖い……」
クッションに顔を埋めますます小さくなって膝を抱え込む花織に視線を向けたまま、妹がさらに長いため息をついた。
「なるほど。っていうか、そういう系の相談には最も縁遠いあたしンとこに来るくらいお姉ちゃん友達に恵まれてないのか、って話はとりあえず置いといてあげるね?」
「……助かりマス」
「じゃあ西野花織サン。あなたは今どのくらいキツいコメントを欲していますか? メガトン級? メガトン級? それともメガトン級?」
人でなしをやらかしてしまったせいか、試験勉強の邪魔をしてしまっているせいか、自分はどうも選択肢も与えてもらえないらしい。
「め、メガトン級で……」
「どんだけ馬鹿なの、お姉ちゃん。ひっどいね」
選ぶなり(選べてないが)身も蓋もないコメントに押し潰された。
あれ、姉はこっちだよな……と沈みゆく心の片隅で思わず確認してしまったが、正しい評価だ。
それくらい酷いことを、自分はしてしまったのだから。
「そのバカ男子学生たちは知り合い?」
「いえ、まったく……」
「じゃあなんでちゃんと有沢さんの言うこと聞かずに、そっちの変な軍団の話を信じるの?」
そうか。すごく今さらだが、そういうことに……なるのか。
ますますもって人でなしだな自分……と、うつむきに拍車がかかる。
「あのひと、どう見たってお姉ちゃんしか見てないでしょ」
「……で、でも高校生の彼女、って」
「『元』でしょ。有沢さん、何か言ってなかった?」
「言おうとは……してた」
「ほらあ! それまともに聞いてもあげないで何キレて逃げて来てんの!?」
次第にイライラが募ってきたようで、隣に乱暴に腰を下ろした妹がそのままビシっとシャーペンを鼻先に突きつけてきた。
「でも、話聞いてて一つわかったことがある。昨日有沢さんが家に来た時ね、冗談っぽくだけど『追われてるんです。匿ってください!』って言ってたの」
「え……」
話が飛んだ。
が、妹が恐ろしく真剣な表情をしている為、口を挟まないで聞くことにする。
「お姉ちゃんのカレシにしてはヘンなこと言う面白い人だなーと思ってたけど。大方その『元カノ』がしつこくて、あのままお姉ちゃんとの待ち合わせに向かったらマズイ、って考えたんじゃないかな? でもやっぱりお姉ちゃんには会いたくて。ってことで昨日は頑張ってソイツ撒いて来たのかも」
どお? ちょっとだけサスペンスチックに想像盛り込んじゃったけど大体そんな感じだと思うっスよ、と満足気に付け加えていた。
そして、しょうがないなあ……とばかりにさらにため息をひとつ。
「有沢さん、ちゃんとお姉ちゃんのこと好きだよ。すごく大事に想ってる」
「――」
「数学やってる時だってね、ちょいちょいお姉ちゃんの話したり聞きたがったり……。ってそーだよ明日の数学! ヤバいんだって! 追試になったら二人のせいだからね? 責任とってよ!? また連れて来てよ? 家庭教師!」
「……無理して洸陵になんて入るからでしょ」
青くなって急に慌て出す妹の様子に、昨日はそんなに捗ってなかったのか……と思わず笑ってしまった。
ひとしきり頭を抱えて唸って気が済んだのか、今度はちょこんとカーペットに座って妹がじっと見上げてきた。
「で、お姉ちゃんは?」
「え」
「いい加減認めなよ。お姉ちゃんだって、ちゃんとものすごく有沢さんが好きだったんでしょ? だからそこまでショック受けて、怖がってんでしょ?」
「い、いや……だってまだ5日も経ってない、のにそんなワケ――」
「それさ」
一瞬口をつぐみ、宙を睨むようにしてうーんと唸った妹が、不服そうにクイと片眉を上げた。
「
「――」
「だって……現にそんな泣き腫らしちゃうほど、もう好きなんでしょ?」
好き――?
自分が春馬を……?
「だとしたら、もう『どうしたら』も何もない! ちゃんと謝ってソレ言っちゃうしかないっしょ!」
「……」
っていうか、いきなりヘンな言い掛かりつけられてサヨナラ的なこと言われて、有沢さんの方が絶対何倍も何十倍もショック大きかったからね? 泣きたいの有沢さんだからね? ――ってちょっと聞いてる? お姉ちゃん?
妹の雄叫びをどこか遠くで聞いているような感覚のまま、昼間の春馬を思い返す。
『それは……。でも俺――』
そうだ……。何を言おうとしていたのだろう?
真剣な眼差し。捕まえる手もいつになく強くて――。
ダメダメで弱い自分はあの時、また失うんだという恐怖から逃れることしか考えていなかった。
どうせ自分なんかとあきらめているつもりで、いざ春馬に背中を向けられてしまうと思ったら……怖くてたまらなかった――?
「……いいのかな? 彩香……」
「ん?」
胸の奥に、愕然と見開かれた濃茶の目が焼き付いている。
傷ついた顔で……それでも無理に作り笑いをしようとしたあの最後の一瞬を直視できなくて、逃げ出してきてしまった。
そんな自分が果たして……謝ったところで許してもらえるのだろうか。
「間に……合う、のかな?」
クッションに這わせた指に、知らず力がこもる。
もう出切ったと思っていた涙がまた簡単に込み上げてくる。
「好きって、言っていいのかな? そんなこと言う権利ももうないんじゃ……ないかな」
「権利……って、法的に何も問題ないっ! っていうか言え。言うんだ! こんなお姉ちゃん初めてだもん。あの人逃したら絶対一生後悔する。断言する!」
――後悔する。
確かに。このままなら間違いなくそうなる。
どうせ後悔するのなら…………ちゃんと会って、謝って――。
もし、彼の気持ちがもう離れてしまっていたとしても――――告げてもいいだろうか。
「頑張ってよ、お姉ちゃん。あたし有沢さん以外のひとを『お義兄さん』って呼びたくないしさ」
涙ながらの静かな決意を見て取ったのか、妹がホッとしたように表情を緩めた。
「……なんで
「だって優しいじゃん。お姉ちゃんのこと、顔だけじゃなくちゃんと見てくれてるし。……って、お姉ちゃんの歴代彼氏が酷すぎたってのもあるかもだけど……。なかなかいい青年だ、彼なら息子になっても――ってお父さんも言ってたよ?」
「え……っ?」
いつの間にそういう話をしているのだ、ウチの家族は。
「で、でも同居だけは反対するからねっ?! ここはあたしンだから! 最後の砦なんだから! 負けねーぜっ」
例によって「どうせ結婚なんてできない」発言をしながら全身で謎の構えを取る妹に(本人は大真面目なのだろうが)、思わず泣き笑い状態になってしまった。
「とにかく明日――ってもう今日じゃん! ちゃんと会って、変な言いがかりつけたことは謝んないと。いい? わかった?」
「うん……」
「ちゃんと好きって言うんだよ?」
真剣な顔で言い聞かせるように妹が肩を組んでくる。
本当に、どちらが姉だかわからない。
差し出されたティッシュを受け取りながら、心の底から感謝した。
「……ありがと。今度あんたの恋愛相談も乗るね」
「ノーセンキュー。そんな未来は絶っっっ対に来ない!」
しかし。
そんな決意も虚しく――
春馬とまったく連絡が取れないまま、お試し六日目の金曜日――最終日の前日――は無情にも過ぎていってしまったのである――――。
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