四日目――水曜日(1)




 ――別に、ひどく怒っているわけじゃない。


 担当の営業マンにモタモタされて予定より会社を出るのが遅くなったことに、少しイラついてしまっただけで。  

 そのうえそんな最中に『ゴメンちょっとヒラメいちゅったから待ち合わせナシで!危ないからまっすぐ帰るんだよ?』(※原文まま)――なんてフザケたメールで猫っ毛のアイツにドタキャンされて、ちょっとムッとしてしまっただけで。

 ってことは何だよおい、並んでもたいして違和感ないようにせっかくいろいろ考えてチョイスした「本日のややカジュファッション」がすべて無駄になったってことかよ?――的な事実に気が付いて、そこはかとなくモヤっときてしまっただけだ。


 それだけだ。怒ってなどいない。

 そうだとも。こんな小さなあれこれで怒っていてどうする? 実際、そんなに目くじらを立てるほどのことではないし。

 なのに――――

 おかしい。そういえば道行く人々が結構な割合でそそくさと目を逸らしていた。肩でも触れようものなら殺されるんじゃ……?と言わんばかりの、やけに大げさな避けられ方をしていた気もするし……。


(だって……おかしいじゃん。仮にこれが腹を立てている状態なんだとしたら――)


 程よく混雑した電車の揺れに身を任せて小首をも傾げながら、一応考えてみる。


(それって裏を返すと、まるであたしが春馬くんに会うのをすごく楽しみにしていた、みたいな――) 


 がたたんっとひときわ大きく揺れた拍子に、ハッと我に返る。

 

(いや……っ、いやいやまさか! そんなわけない。まだたった三回四回会っただけの相手にそこまで……!) 


 それにしても――アイツめ……と、目の前に座って携帯を弄っている若者をついつい睨んでしまう。 

 やれ一週間じゃ短いだ貴重な時間だのと言っておきながら、あっさりとドタキャンするとは何ごとだ。  

 ――閃いたって……試験対策で何か思い付いたとか? 

 それならそうと言ってくれたら……。一旦中断して、終わってからまたお試し再開することだって――――って。

 快く延長なんか許したらまるでこっちが……その、付き合う気満々……みたいに思われそうで何か嫌だ。


(いや、ナイナイナイナイ……。ナイってば!)

 

 むしろ幻滅してとっとと去られることを望んでるような自分が、こんなあれこれ考えて気にしてること自体がそもそも……。


(だ、だだだから別に気にしてないしーーーい!?)







 …………なんて、一人ツッコミの嵐に翻弄されて全否定に精神力の全てを注いでしまっていた為か、間抜けにも一駅乗り過ごしてしまった。

 何をやっているのだろう、自分は。


「た……ただいま……」


 疲労困憊で帰り着いた自宅マンションのドアを開けると、見慣れないスニーカーが視界に飛び込んできた。明らかに父親のものではない男物の――


「ああ、おかえり」  


 珍しいな……妹に異性の客か?などと思いながら脱いだヒールを軽く拭いていると、台所からひょっこり母親が顔を出した。  


花織あんたにお客さんよ」

「え?」

「彩香の部屋にいるから」

「は!?」


 どういうことだ、それは。

 アポなしの客? が、自分の帰宅前にすでに来ていて? しかも妹の部屋にだと?

 自分に会いに来るような人間なんて―――― 


(ま、まさか……閃いた何かって、これ? つか、おいっ! 女子高生の部屋で何をしてるって?!)   


「あ。おかえり、お姉ちゃん」


 心配するまでもなく大きく開け放たれていた扉。

 机に向かって座っていた妹が普通に振り返った。

 そして、すぐ横に立って手元を覗き込むようにしていた濃茶猫っ毛の男がふわりとやわらかい笑みを浮かべる。


「おかえり。花織」

「た……ただいま……?」


 おかしなシチュエーションとは思うものの、またしても応えてしまった。


(イカン……。あの笑顔はどうもイカン……)


 ふと気付くと、妹の眉間にタダ事でないシワが寄っている。

 どうやら数学を教えてもらっているらしい。

 そういえば今まさにテスト前の時期で、数学がかなりヤバいと聞いている。今年に入ってから珍しく母親が台所にいる理由も暗に納得した。  


「で、どう? 彩香ちゃん。さっきの説明わかった?」

「いえ、さっぱり。すいませんが呪いにしか聞こえません」

「うーんそうか。じゃあ今度は違う角度から呪文を試してみよう」

「お手数おかけします」


 トンチンカンながらも噛み合っている会話を遮るのはどうも忍びないが、ここはあえて邪魔させてもらう。

 最大の疑問が収まりそうにないのだ。


「っていうか……ちょっとアンタ! なんでいきなり家っ!?」

「だって、あんまり会社の前で待ち続けると花織が困るかな? って」


 ……なぜ初回でそこに気付かない? っていうか、だから待ち合わせの意味は!?

 どうしよう……話のわからない宇宙人とこのまま交信を続けていいものだろうか。

  

「それにほら、一週間しかないんだから俺も色々アピール方を考えたってワケ」


(なんだその「褒めろ」と言わんばかりのドヤ顔はっ。んなことしてる間に教採勉強しろーーーー!)


「そ……っ、そもそもアンタなんで家を知ってんのっ!?」

「やだなあ、ホントにそれも憶えてないんだ? 最初の日に、花織自分で言ったんだよ。ベッドの上――」

「こらーーーーーーーーーー!!」


 妹の前でなんてことをっ! とあわてすぎて目眩を起こしそうになる花織に、


「大丈夫。の世界にまったく興味ないんで」


 おかまいなく、と顔も上げず声音も変えることなく、妹はひらひらと手のひらをはためかせていた。







(変だ……。何だこの空気? どうしてこうなった?)


 一見すると何の変哲もない、普通に夕食を囲むごく一般的な家族に見えるだろう。

 ――が。

 あれから間もなく父親が帰宅し、一日家庭教師のお礼も兼ねて是非一緒にと春馬を夕食に誘った――までは良かったのだが。


 何か感じているのか父親はぎこちない微笑を浮かべながらもいつにも増して口数が少なく。

 久しぶりに料理したことでテンションがおかしくなっているのか息子ができたようで嬉しいのか「あれも食べてこれも食べて」と母親がしきりに春馬に世話を焼こうとしている。

 妹に至っては、うーんやっぱり母には叶わん、精進せねば……などとブツブツ言いながら呪い(数学)で疲れきったせいかほぼ無表情で箸を動かしている。

 そして、そんな家族の団欒(……っていうのかコレ?)をニコニコしながら見つめる、本来ならば必死こいて勉強に明け暮れていなければならないはずの男。


(いいのか、ホントに? 試験来週でしょ?)


 っていうかホントに今日は何しに来た……?と隣に細心の注意を払いつつ、げんなりしながら花織はもそもそと味噌汁に口をつける。


「有沢さん」


 何の前触れもなく、向かい側から妹が呼びかけた。 


「はい?」

「見たところ、有沢さんは我が姉にご興味がおありのようですが」

「うん。目下アタック中です」


 思わずぶっと吹き出してしまったこちらには頓着せず、隣の春馬はにこやかに答える。


「ほう……」

「『ほう』って彩香アンタ……な、何をいきなり――」


「では、お義兄さんと呼ばせてください」


 今度は父親が喉に何かを詰まらせてしまったようだ。ぐ……っとくぐもった変な声が聞こえていた。 


「喜んで」

「よ、喜んでんじゃないわよアンタ……っ」


「そうと決まればこれ食べた後で連絡先教えてください、お義兄さん。後々ショックを受けないように姉の数々の失態を横流ししといて差し上げます」

「はぁ!? ちょっと彩香アンタ……」

「ガラケーなんだけど構わない?」


「問題ありません。応援と協力は惜しみませんので、是非頑張って姉をモノにしてください」

「ありがとう。彩香ちゃん可愛いねー」

「ありがとうございます。本来ならぶん殴りたくなる悪ゼリフですが、未来の義妹として社交辞令ありがたく頂戴いたします」


 なんだこれは。

 理解に苦しむ会話のキャッチボールが普通に横行している。うちはごく一般的な普通の家庭のはずなのに。  

 って、ここで「春馬くん、おかわりは?」とか普通に訊いてしまえている母よ、貴女もそっち側の人でしたか。

 この家でマトモな感覚を持っているのは自分と父親だけに違いない。

 きっとそうだ、と宇宙人どもとの交信をあきらめて食べることに専念しようとした矢先。


「そうそう、今週の土曜に近くの神社でお祭りがあるそうですよ」


 宇宙人の片割れ(ちっこい方)が、また不穏で余計な爆弾を投下してくれた。


「結構盛大で、近隣の若いカップルたちも大挙して押し寄せてくるらしいです。お二人も是非、着飾って行かれてみては?」


 土曜――――期限の日だ。


「へえ。お祭りだって。行こうか花織」

「えー……暑いメンドイ虫に喰われるヤダー」


「彩香ちゃんも一緒に。三人でデートしようか」


 聞けよ宇宙人その二。なんで行く気になってんだ。


「いや、あたしはパスで。どうぞ、お二人で。なんならその日は帰って来なくてもいいっすよ」

「彩香。……あんまりお父さんをいじめないで?」


 父親の顔が異様に白くなっているのに気付いた母が、ようやくやんわりと娘に釘を刺した。


「ちょっとくらい耐性つけてもらわないと。お姉ちゃんはいつかは嫁ぐんです」


 まるで自分はどこへも行かないと言わんばかりの物言いは、我が家にとってはいつもどおりの流れだが。


   

「いや……。花織は出なくても大丈夫だよ」


 穏やかな春馬の声が、その流れをにわかに断ち切った。  


「俺、ここにだったら婿入りしても」

「!?」


 静かだがやたらデカい衝撃が、我が家にもたらされた瞬間だった。



 ――肉団子にかぶりつこうと口を開けたままのこのポーズをどうしてくれる? 





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