とんで三日目――火曜日(2)




「アンタって、ホントに変……」


 自分の将来を決める大事な時期だというのに。

 色恋沙汰なんて二の次だろうが……という偏見にまみれた心の声とともに、ついため息を吐いていた。   


「花織もそうとう変わってると思うよ。何だかんだ言って得体の知れない俺に律儀に付き合ってくれて」

「一週間だし……」

「それでも、だよ。知らん顔して突っぱねることもできたのにさ」


「――その手があったわね」

「うわわわ、ちょ、ちょっと待って。今のナシっっ!」


 一瞬ハッとしたかと思うと、春馬が珍しくあたふたと取り乱し始めた。

 テーブルに肘をぶつけたあげくにガタンと椅子を鳴らしてしまい、周囲にぺこぺこ謝罪し始めるほどのテンパリ具合を見て…………思わず笑ってしまった。



「――やっぱり花織可愛い。綺麗。もっと笑わないと」


 ひとしきり謝罪が終わるころにはすっかり焦りが落ち着いたのだろうか。

 席に着くなり、春馬が眩しげに目を細めた。


「い……今だけよ、そう言ってんのも」

「そうだね、そのうち俺以外の前で笑うなって言い出すかも」

「そうじゃなくて……」

「あ。お酒はダメ。俺以外の前では絶対ダメ」


 無邪気な――楽しそうな笑顔を見ていると、言いたい本音も言えなくなる。  


 どうせ他に向くなら優しくしないでほしい。初めから放っておいてほしい。それが無理なら、なるべく早く気付いて……去って行って。傷になる前に。

 慣れてるから――とどんなに強がってても、別れの度に何とも思わない、何も感じない……なんてあるはずない。

 周りはそう思っていないのだろうけど。

 自分の駄目さ加減、価値の無さがどんどん際立っていく惨めさ、虚しさ。誰がわかってくれるだろう。 


 だから、しばらくは恋愛なんて本当に要らないと思ってたのに……こんなことになって……。

 どうしてくれるんだコノヤロウ……と、嬉しそうにミートソースを頬張る無邪気な男をつい恨めしげに睨んでしまう。


「ん? 何、花織? なんかついてる?」

「ついてる。口の横にソース。……違う、反対側」

「え……どこ? 花織とって? 口で」

「ば……バカっ!」


 ……まあ今回は自分がしでかしてしまったこととやらの責任をとらなければ、というのも確かにあったのだが……。







 支払いの段になって、新たな問題が勃発した。

 春馬が断固として払わせない気でいるのだ。


「あたし働いてるんだから、いいんだって」

「俺だって働いてる」

「アンタ学生でしょ……」


 無理しなくていいのに……何をそんな頑張っちゃっているのだ、この男は。

 どうでもいいから早くしろ、とレジ前に陣取っている若い女性店員が目で訴えてくる。

 後続の客は居ないが、別に見たくもない押し問答だろうしここにばかりかかずらっていられないのだろう。


「これくらいカッコつけさせてよ」

「じゃあせめて割り勘で――」

「あっ残念。もう払っちゃった」

「……」


「でもありがとう。花織の気持ちだけ貰っとく」

  

 男気はわからないでもないが――。正直キツいだろうに。

 親の影響とかだろうか? 女性には絶対払わせるな、という教えを受けて育ってきたとか? だとしたらカッコいいなぁおい。







「春馬くん、家は?」


 駅への道すがら、何気なく訊いてみる。


「え? こないだ来たアパートも忘れちゃったの?」

「そうじゃなく、実家」


「実家は――ない」


「え」

「いや、嘘。それっぽいのはあるよ。長野」


 ……

 聞いてはいけないこと、だったのだろうか。


「じゃあ、長野の方も受けるの? 採用試験」

「いや。こっちだけ」


 長野といえばさ知ってる?などとご当地グルメやらゆるキャラやらの蘊蓄が始まってしまい、なんとなく家や家族について掘り下げるタイミングを逸してしまっていた。







「じゃ、ここで。帰ったらちゃんと勉強してね?」


 明るい構内が見渡せる大きく開けた駅の入口付近で立ち止まる。

 県庁所在地にある最大の駅だけあって、この時間になってもまだまだ人通りは多く、電車の発着音や音楽も割と頻繁に漏れ聞こえてくる。


「家まで送るのに。せめて花織ん家の最寄り駅まで――」

「無駄な電車の往復してるくらいなら勉強しなさいっ。おねーさんの言うこときくっ」


 えー……とかなり不満な様子で、それでも「わかった」と春馬が頷いた。


「じゃあ、おやすみ」

「花織」


 呼ばれて右腕を引かれたと思ったら――。

 少しだけ傾けられた春馬の顔が間近に迫っていた。 


「えっ、ちょ――こ、こらっ!」


 見間違えようもないくらいクリアなキスのモーションに、あわててストップをかけてしまっていた。

 顔の下半分を手のひらで押し返される形で、不服そうに春馬が眉を寄せる。


「えー、だって……一週間しかないんだよ?」

「……」


 何か、一週間という期限をとんでもなく変に盾に使われているような気がするが、認めていいのだろうかこれは?


「花織にキスしたい」

「こ、こんなところじゃ――」


 こうしている今だって行き交う利用客にちらほらと呆れた視線を向けられて(いるような気がして)いて落ち着かないというのに。

 こいつの心臓は何でできているのだろう。 


「ダメ?」

「う……」


 しょぼくれて耳が垂れてる幻影が見える……。  


(か……っ、可愛いじゃねーかこのやろう! っていうかおかしい。とっさに判断できない。よくわからなくなってきた……)


 グラスワインなんて頼むんじゃなかったか……と反省しながら、萌えと羞恥心を天秤にかけて唸っていると。

 ――――しびれを切らしたのか、春馬が壊れた。


「キスしたいキスしたい花織にうちゅーってしたい!」

「ば……バカっ! こ、こんなところで喚くなっ! わかったから……!」

「いいの? やった!」


 まあ、いっか。キスくらい。初日にすでにあれやこれやを致してしまったらしいし……。(うっ)

 そう簡単にあきらめられる自分もとっくに壊れているのかもしれないが、だからと言って現時点ではどうすることもできない。

 せめて少しでも人目につかないところへ、と雨避けの屋根を支える大柱の陰に身を滑り込ませる。


 頬に優しく手のひらが添えられると同時に、唇が重ねられた。

 駄々を捏ねられせがまれたわりには、軽く優しいキス。触れるだけの――。 


 目を開けると、濃茶の優しい瞳が見下ろしてきていた。


「じゃあ、またね花織。おやすみ」

「う、うん……」


 少しはにかんだ人好きのする笑顔。

 唇に残る優しい余韻に、不覚にも「悪くないかも……」なんて思ってしまった。






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