とんで三日目――火曜日(1)




「あっ。花織! お疲れさま」


 夕闇の中。

 忠犬ハチ公よろしく会社前で待機していたTシャツ・ジーンズ姿の大学生に、何よりもまずため息が出てしまった。


「……なんで居るの?」


 ちなみにここまで昨日――月曜――とまったく同じくだりである。

 ちゃんと待ち合わせに向かうつもりだった、この期に及んで逃げたりしないってば、とあと何回言えばわかってくれるのだろう。

 げんなり気味のこちらの様子など微塵も気にかけずに、やはり人好きのするやわらかい笑みを浮かべて春馬は言う。


「だって、一週間しかないんだよ? 平日はこうやって夜しか会えないしさ」


 そうだ昨日もソレ言ってたな。


 じゃあ待ち合わせの時間と場所(当然会社の前こんなトコではない)を決める意味は? という問いかけは見事にスルーされた昨日。

 会ってすぐに『ゴメン! 実は今日急にバイト入っちゃってさ! 病欠のヤツの代わり。もう行かないと! また連絡するね。またねっ』と元気に走り去る後ろ姿に、『じゃあメール連絡でいいだろ。何しに来た……?』とうっかり呟いたら、超特急で駆け戻ってきた彼にほっぺチューされた。 

 『顔見るだけでいいやと思ったけど。ついでに』

 などと言い残してまたもや嵐のように走り去って行ったコイツはやはり外人気質らしい。

 何も勤め先の真ん前で、こんなそれなりに人通りのある状況で、「ついで」程度の気分を満足させるためだけに、5人中4人が振り返りそうなことをすることないだろ……。

 不意を突かれたショックで一気に疲れが増したのは……言うまでもない。



「だからって、有沢くんだって――」

「『春馬』」

「春馬、くんだって忙しいのに……」


 少しの空き時間でも、課題なり友人との付き合いなりにまわせばいいのに。夜はどうせ居酒屋バイトなのだろうし。

 もちろん大学の講義優先だが、それ以外の空いている時間帯は極力シフトを入れてもらっているのだという。なんと去年までは、それに加えてガソリンスタンドでも働いていたらしい。

 タフだなあ男の子だなあ……と一瞬感心したが、そんなに金銭的にキツイのだろうか?  

 そういえば部屋もかなり質素で物も少なかったような気がする。ざっと眺めただけだったが。

 実家からの仕送りが足りないとか、あまり期待できない状況だとか……?

 自宅通いで特に長期のバイトもしていなかった自分と比べると偉いなぁとは思うが、アルバイトや遊びに熱中しすぎて学業が疎かになる学生が少なからずいるのも事実だ。

 自分が口を出せることではないが、何となく春馬にはそうなってほしくなかった。  


「このあとまたバイトなんじゃないの?」

「今日は休み。っていうか昨日からホントは十日間休み貰ってた。来週教員採用試験だし」


「えっ!?」


 やけに軽く発せられた爆弾発言に、思わず立ち止まって朗らかな横顔を凝視してしまう。


「花織、何食べたい?」

「……何食べたい? じゃないでしょアンタ……」


 こ、コイツは阿呆の部類に入るヤツだったのか?

 そんな重大な試験を前に何をやってるんだ……。

 

「さ、ごはんごはーん」


 呆れて固まっているのをいいことにちゃっかり恋人繋ぎなんぞされた手を引かれて、花織はようやくのろのろと夜の街を歩き出した。 







「教採って何受けるの? 中学校? 小学校?」


 最初に目についたファミレスに入り、オーダーを済ませるなり切り出してみる。 

 平日夜とはいえ、店はそれなりに盛況しているようだ。


「そそ。小学校。子ども好きなんだ俺」


 そう言いながら春馬の目が遠く離れた窓際の席へと向けられた。

 視線をたどると、パパ、ママと5、6歳くらいの男の子の姿。

 食べたいけど喋りたくてしょうがないといった体の男の子を、軽く窘めながらも口の周りを拭いてあげる母親と、そんな二人を向かい側から優しく見守る父親。

 幸せそうな家族連れに向けられた、慈しむような柔らかい春馬の微笑みに、不覚にも引き込まれそうになってしまった。

 なぜだろう。目を瞠るほどのイケメンというわけではないのに、目を逸らせない……。


「花織によく似た子ども、いっぱい欲しいな」


 ぽつりとつぶやかれた声に、一気に現実に引き戻される。


「な……っ、何を」

「パパウザいーって怒られるくらい構い倒して遊んであげたい。あ、もちろん花織おくさんが一番ね」


 コイツはまったく……。

 どうしてそういうことを恥ずかしげもなく言えるのだろう。

 反論する気も萎え、ほんの少しだけ動揺してしまった表情を気取られてなるものかとお冷を一口含んだ瞬間。


 ――ねーお似合いじゃない? あそこのカップル。

 

 斜め後ろ辺りの席からそんな会話が耳に届いた。

 近くに男女二人の客が居ないことから、明らかに自分たちのことを指しているのだろうが……。に、似合うのか? 


 ――えー? カップルじゃなく姉弟じゃないの? 

 ――いやいや服装的にヒモとかさ……。

 ――どっちにしても女の人の方が歳上だよねー。


(ど……どうせ昔から老け顔って言われてたわよっっ)


 わかっていてもあらためて第三者から言われると堪える。

 沈みかけた思考を無理に断ち切り、少し考えて、思い切ってサマージャケットを脱いでみた。   

 割と濃い目のピンクだしフレンチ・スリーブだからそれほど見苦しくはないだろう。ああ二択で迷ったインナー、キャミソールにしなくて良かった。

 少しでも釣り合いがとれるように、最初から脱いでおくべきだった。無駄に落ち込まずに済んだだろうし……。

 そこまで考えてはたと目を瞠る。


(釣り合って見られたいのか、あたし? そ、そそそんなバカな、そうじゃなくてただ、コイツもスーツ女と食事なんて気が張るだろうな……なんて思ったからであって――っていうか何動揺しちゃってんのあたし、おかしいって!)   


 あたふたの延長で、頬杖ついてこちらを眺めていた春馬と目が合った。


「な……何?」


 肩までのゆるふわパーマをひと揺れさせたきり、ぴきんと固まってしまう。

 いつから見られていたのだろう。

 ギクリと固まる様を面白がってでもいるのだろうか。すぐに人懐こいやわらかい笑みが宿る。


「いや。嬉しいなって思って」

 

(こ、コイツやっぱりコワイ……。何が嬉しいんだ? どこまで心の中を読まれてるんだ? それとも一切関係なくて自分の思考のみで生きてるのか!?)


「と……っ、とにかく食べたらさっさと帰るわよっ。帰って勉強!」


 夢や想いは可愛いし偉いとは思うが、やってることは到底褒められたもんじゃない。

 アンタこんなことしてる場合じゃないだろ、こんな妙な試用期間とか付き合えとか言ってる間に勉強しなよ、というのだ。


「大丈夫だよ。今までちゃんと努力してきたし」


 お、意外に頑張ってたのか。

 ホッとして肩の力を抜きかけたのも束の間。


「もし駄目でもまた来年あるし。受かるまで何年でも挑戦するし」

「……」

「どうにかなるかな、って」


 真面目なんだかテキトーなんだかわからない……。

 いずれにせよ、こんなヘンなお試し期間なんぞに付きあわせてる場合ではない。

 一人の青年の未来がかかっているのだ。


「っていうか最初から言いなさいよ、そういうこと。だったら、ちゃんと試験全部終わってからでも――」


「嫌だ。そんなに待ってたら、花織に別な男が言い寄ってくる」

「え?」

「よしっ、別れた。チャンス! と思っても気付いたら別な男が隣にいるし」


 ……妹同様、ちょっと嫌な響きだな。

 要は取っ替え引っ替えしてると言いたいのだろうが。

 まあ……そう思われてもしょうがないが……。


「花織綺麗だから、すぐ言い寄られちゃう」

「だ、だからってねぇ……あたしだって誰でもってワケじゃ――」

「んでもって強く突き放せないから、押し切られてあきらめて付き合っちゃう。でしょ? 優しいんだよ花織」


 お見通し、とばかりに春馬がニンマリ顔を近付けてきた。

 優しい――のとは少し違う気がする。断れば断ったで「お高くとまっている」だなんだと陰で言われて面倒くさい思いをするのだ。

 自分を曲げたくない等と言いつつ、結局はヘンなところで心が強くないからなのだろう……と思う。


「……でも可愛げがなくてつまんないらしいよ? 最初の勢いが凄いわりにすぐ他所に行かれちゃう。だからきっと春馬くんだってすぐに気付――」

「他の奴はそう思ってればいい」


 真っ直ぐな瞳に、視線を絡めとられる。   


「――」

「やっと廻ってきたチャンスだから。棒に振りたくない」


 濃茶の瞳の中に、強い意志とともに懇願するような色が浮かんでいた。






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