一日目――日曜日(2)
「そ……それは! ごめん。そっちの言い分ばかり信じろっていわれても、はっきり言って無理! いくら何でも自分がそんなことするとは――」
あり得ない。そんな願ってもいないことをするわけがない。
シラフのときは――だが……。
「…………花織さん、今までに記憶を失くすほど酔ったことは?」
「な、何度か」
「友達とか同僚に『あんたこんなことやらかしてたわよ』的なことを聞かされて血の気がひいた、なんてことは?」
「………………」
無害そうな笑顔の下に、「ホレみたことか」と言わんばかりのドヤ顔が透けて見える。気のせいか? 誰か気のせいだと言って!
……駄目か。
ということは、自分は本当にこの大学生に襲いかかってしまったと……?
妙な震えと目眩とともに、静かに『覚悟』という名の決意が忍び寄ってきた。
「……じ、じゃあ、とりあえず一週間だけ……」
「え?」
付き合えだ責任だなどと言っておきながら、春馬がキョトンと訊き返してくる。
「酔ってさっぱり記憶がないあたしにそもそも非がある。認める。そんな状態でホントに君に――有沢、くんに……えーとその……ヒドイことしたんなら、きっちり責任とる」
「……」
「で、でもっ全面的に認めたワケでは……。というか認めたくないと……いうか。だ、だからとりあえず一週間! お試しで一週間っていうのはどう? 試用期間!」
懺悔をぽかんとして聞いていた春馬が、ぽかんとしたまま口を開く。
「――――短い。バイトの試用期間とかもっと……」
「あたし、忙しいの! 学生さんとは違うの。それに――」
一週間待たなくても、きっとわかる。
つまんない女って気付いて、どうせすぐに他に行きたくなる。
今までのヒトと同じように彼だって。
「『それに』?」
「あ……ううん、いい。とにかく一週間よ。短いと思うなら、その間にあたしを惚れさせなさい」
――――と、いくら学生相手だからってちょっと偉そうにしすぎたかな……。
とたんに気恥ずかしくなって、おたおたとアイスティーを啜ってごまかしていると。
向かいでふっと笑う気配がした。
「花織さんって、やっぱり面白いね」
「お、おもっ!?」
(面白いってなんだ、こいつめ。こちとら「つまらん」というレッテルを貼られまくってきた女だぞ? 学生の分際でおねーさんをからかいおって!)
「いいよ。じゃあ、とりあえず明日から一週間『お試し期間』ってことで。これからヨロシクね。花織。あ。俺のことも名前で呼んでね」
(いきなり呼び捨て?! な、生意気なっ!)
「な……何言ってんのよ。今日からよ」
動揺を悟られないよう、あえて呆れたように腕を組み、冷静な女の演出を試みる。(もう遅いだろうが……)
「えー? それずるくない? 俺かなり不利なんだけど?」
「いやならナシで。こんなつまんないBBAに責任とらせてるより、アンタに見合った若い可愛い女の子探した方がよっぽど有意義だと思うけど? 時間の使い方として」
彼のためでもある。意地でも何でもなく本心だ。
こんな自他ともに認めるつまらない女、一日も早く見切りをつけたほうがいいに決まっている。
「いろいろ異論はあるけど……わかった。じゃあ花織、今日は夜までずっと一緒に居てね? 時間ないんだから。デートってことで」
「デっ?!」
「なに? なんか予定あった? 無いよね。一昨日彼氏と別れたばかりだから」
(なんで知ってる!? なんだこいつは! ただの後輩じゃないのか!)
まともに目を見開いて口をパクパクさせていると、呆れたように春馬が肩をすくめた。
「ホントに憶えてないんだなあ。俺、あの居酒屋でバイトしてんの。っていうか見覚えあるでしょ? 常連さん? そんなに酔ってないときもあったんだから」
そう言われてみれば見覚えあるような無いような……。(やっぱわからん)
というか――そうか、一昨日は行きつけの店でかなり恥ずかしい、他人にとっては迷惑でしかない修羅場を繰り広げてしまったのだった。
「も、もうあの店行けない……」
「大丈夫だよ。みんな花織の味方だから。っていうか、来てよ」
今日もバイトだからさ、とくすくす笑って春馬。
「いやすごかった。逆ギレして怒鳴り始める彼氏もすごかったけど、花織の冷静なこと。危なくなったら助けに入ろう、ってみんなして話してたけど、終始落ち着いてたもんね」
「手をあげる度胸はないのよ、小さい男だから。殴られたとしても、あたしに落ち度はないから構わないしね。むしろ出るとこ出てやるわ」
「かっこいいー」
だから――可愛げがない。わかっている。
可愛くて素直でおとなしく男に守られてるような、そんな女が世間一般では求められているんだろう。どちらかというと。
元カレだけではなく他のひとも。みんな。目の前で「かっこいいー」なんて目を丸くしてるこの男だって。
「――――で、そこからなんで……有沢、くんの家に?」
「あ、聞く? 嵐のように彼氏が去ってった後、花織急にピッチが上がり始めてさ。そろそろやめといたほうが、って代表で俺言いに行ったら――」
「……たら?」
「いきなり胸ぐら掴まれて隣に座らせられて、八つ当たりされつつ『飲め飲め』と……。送っていこうとしたら花織、『嫌だ帰りたくない、家飲みさせろ』って俺の部屋に……」
血の気が引くってまさにこんな状態なのだな、とあらためて怖くなった。
「……………………ご、ごめん」
恐ろしいことに、まっっったく記憶にない。これでは……貴女に襲われましたという話も信じないわけにはいかなそうだ。
(も、もう酒は飲まん……。ちょ……ちょっとだけしか)
「でも、俺は嬉しかったんだよ?」
「……襲われたのに?」
「あ……いやまあ、それはともかく……。おかげでこうして花織が俺のこと知ってくれたから」
「え」
「ずっと憧れの先輩だったからね」
「――」
眩しいくらいの満面の笑みに、感情の水面が少しも波立たないわけではない。
けれど――どうせ離れていくのなら……と、どこか冷めた気持ちも手放せないでいる。
どうせダメになるんだから、最初から放っておいてほしい。
「……変わってるわね、君。本当はあたしなんかにかかずらってる時間さえ勿体ないんだよ? 一週間だって長いくらい」
「なんでそんな風に思うのかわかんないけど――俺にとってはすごい貴重な、奇跡みたいな時間だよ」
ため息とともに吐き出した本音を事も無げに打ち消して笑い、目の前の奇特な男は掴んでいた(まだ掴まれていた!)手をさらに自身へと引き寄せる。
「その間に花織に本気で好きになってもらえるように、頑張るよ」
手首を軽く返されたかと思うと――指にちゅっと柔らかい感触。
「んが……っ!?」(つくづく色気のない声だ……)
(いっ、今時こんなことするヤツがいるのかっ! セリフもちょっと寒いし、おまえは外人かっっ)
「何を今さら……。裸で触れ合った仲――」
「だ、だからやめなさいってこんなとこでーーー!!」
むしろ自分の大声で衆目を集めているという事実に、この時はとうてい気付けるはずもなかった。
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