一日目――日曜日(1)




「あらためまして。有沢ありさわ春馬はるまです」


 人好きのする笑みをたたえ、1日ぶりに会った猫っ毛男子はそう宣った。


「あ、ど……どうもありがとう」


 どうぞと差し出されたスマホをなぜか背筋を伸ばして受け取り、ようやく花織はホッと一息つく。


 日曜日の昼下がり。大学近くのファーストフード店を待ち合わせ場所として選んだ。

 彼――春馬――は「もっと花織さんの家の近くでいいよ」と言ってくれたのだが、そこまで甘えるわけにはいかない。

 彼のアパートの近くだし、中途半端な繁華街を選ぶよりは……と勝手知ったるかつての母校近辺で会うことにしたのだ。


「でも花織さん、すごいね。肝が座ってるというか」


 え? と注文したアイスティーに手を伸ばす花織に、やわらかく微笑んで春馬。


「フツー携帯手元に無いと、もっとあわてるもんじゃないの? 『今日はもう死ぬから一晩預かって』とか、なかなか言えないと思う」


「……グロッキーすぎて、家から出る気しなかったのよ」


 言葉どおり、あの後一日死んだようにマンションの自室に籠っていた。午後になって部活から帰ってきた妹に用意してもらわなければ、何も口にできず薬も飲めないほど。

 ――いかん。当分妹に頭が上がらない。


「だから家まで届けようか?って言ったのに」


 会ったばかりの男に自宅なんて教えられるか!


「ま、まあ……落としたんじゃないってことはわかったし、とりあえずは翌日でいっかな、って。ははは」


 警戒をなるべく心の底に押し込め、乾いた笑いを浮かべてごまかす。

 カラカラ氷をかき混ぜていた春馬が、ふっと笑ってテーブルに両肘をついた。


「嬉しいな。それって結構俺のこと信用してくれてたってこと?」

「す……少しね、少し」


 無害そうだったし、頭痛を本気で心配してくれるほど良い人そうだったし。

 負けじとアイスティーをかき混ぜながら、ふと思い出してしまった事実。


(……って。起きたらその良い人そうな男と二人して裸だったんだ……)


 アレはなにー? アレはなにー? 何があったの、教えて神様ー。いや、やっぱりいいー。やぶ蛇になりそうで口には出したくなーーい。


 疑心と反省と自己嫌悪の脳内大合唱にげんなりと頭を抱えていると、すぐ隣のテーブルから明るい笑い声が聞こえてきた。

 流行りのファッションに身を包んだ大学生と思しき女の子たちが四人、各々テーブルにタブレットやらテキストを広げてめちゃめちゃ語り合っている。

 お茶しながら勉強中といったところか。(すっかりそっちのけといった感じだが……)自分もよくやったな、と思わず目を細めて眺めていると。


「懐かしい? って言ってもそんな何年も経ってないか、卒業してから」


 同様に視線を向けていた春馬が、向かいでやわらかく微笑んだ。


「――なんで知ってるの?」

「花織さんの二年後輩デスから」


 後輩? 二年ということは、今大学四年か?

 見たことがあると思ったのは…………それで?

 でもあんな広大なキャンパスで、学生数だってかなりのものなのに――。

 花織の驚きに察しがついたのか、春馬がさらに笑みを深いものにする。


「目立ってたからね、花織さんたちのグループ」

「え」

「すごいきらびやかな人達といつも一緒だったでしょ。男も女も。彼氏の……鷺沼さぎぬま先輩もその中にいて。でも――なんかいつも花織さんだけつまらなそうに見えて、気になってた」

「……」


 それは……自分自身、つまらない女だから。

 可愛げがなくて融通がきかなくて、友人たちに言わせると「お堅い」のだそうだ。ただ考えを曲げたり偽ってまで周りに合わせたくないだけなのだが……。 

 だから、すぐにダメになる。友達も、彼氏も。まあ一昨日別れたアイツ――鷺沼――は大学時代からのだから、期間だけは結構保ったほうだが。

 社会に出て二年目、よく会う気を許せるような大学からの友人はいない。表面だけの近況報告。それだけ。

 だからと言って寂しいと思うわけでもない。

 自分はどこかおかしいのだろうか? 例えばヒトを想う気持ちに欠陥……とか?


(……一生まともに恋愛できないのかもしれない。妹のこと言えないな)


 修羅場バトったばかりだし、当分はそういうのいらないけどね……と苦笑混じりのため息がでてしまった。 


「花織さん?」

「……え」

「大丈夫? 気に障ったなら……ゴメン」


 しょぼくれた顔で様子を窺うように春馬。もし耳でもついていたら、間違いなくへにゃんと垂れていそうな……。

 妙な想像に思わず噴き出しそうになってしまった。 


「あーううん、違う違う。ちょっと若かりし頃を思い出して浸ってただけ」

「若かりし、って」


 そんな経ってないじゃん、と少しだけホッとしたように春馬も笑う。

 コロコロと表情を変えてちょっと可愛いかも……などと迂闊にも思ってしまった。


(い……イカン。こう見えてもこやつとは裸で一晩――うわあああ考えるな考えるな消えろ回想!)


「じ、じゃああたし、そろそろ……。ホントにありがとね、いろいろ。ごっごめんね、せっかくのお休みのところ」


 一晩厄介になったことに対する礼も全て含めて「いろいろ」で纏めた。

 あえて、意図して、のことである。

 やぶ蛇だけは避けねばならない。


 ――が。


「え? まさかこれでサヨナラじゃないよね?」


 立ち上がってそそくさとその場を去ろうとする手を、後ろからしっかり掴まれていた。


「え……と」


「責任とってほしいんだけど。こないだの夜の」


(き、きた……!?)


 壊れたロボットのようにぎこちなく振り返ると、満面の笑みが見上げてきていた。


「花織さん座って?」

 

 な、なんだその笑顔は……。


「せ、責任って……」


 きょ……凶器だ。この笑顔。どす黒い何かが見えて、とかではないが。

 眩しすぎて純粋そうでなんか逆に恐い。

 どんな爆弾発言が飛んでくるのかと思うと、迂闊に背中を向けてはいけない気がした。

 まずは刺激しないようにそっと席に戻る。


 …………って。オイこら、手を離せ。


「俺と付き合って?」

「えっ!?」


 思わず上げた大声が、店内の注目を集めてしまった。

 イカンイカンと身を縮こまらせる花織に、悪びれることなく春馬が身を乗り出してくる。


「だって花織さん、一昨日言ってくれたじゃん」

「な、何を?」

「あ、そっか。おぼえてないんだっけ? 本当に? あの晩のこと何も?」


(何を言ったの? 何したの? っていうかこれは想像できなくもないけど、でも間違いであってほしい……)


 内心冷や汗だらだらの花織に、春馬の表情が次第に翳りを帯びたものになってくる。

 そして悲しそうにひとつため息をついたかと思うと……辛そうに眉を寄せた。


(え)


「花織さん、嫌がる俺を無理やり――」

「う、嘘っっ!?」

「ホント。憐れかな、の『初めて』は酔って我を忘れた花織さんに……うぅ……」

「やめてやめてやめて! こんなとこで……! わかった、わかったから!」


「じゃ付き合ってくれる?」


 つーか、何だソレ!? いつの時代のどこの箱入り娘――息子だアンタは!?





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