EX.2 交流会(2)

 英子に連れられて到着したのは、少し古めのカラオケボックスだった。

「霧香と長い話をする時は、大体ここになるんだよね」

 英子がそう言うと、

「不本意ながらね。もうちょっとセンスのある場所でも良いとは思うのだけど」

 少し不満げに霧香が答えた。

「ここ、って、うちの学校の近くで二人ともよく会っていたってことですか?」

 聞き逃せなくて、つい奏がそう問いかける。

「そうそう。だから偶然じゃん、って最初に言ったんだよ」

 英子はそう言って笑いながらエントランスの扉を開く。

「私の学校もここから近くてね。このカラオケボックスにも昔から良く通ってた」

「私はこういう所初めてだったから、最初はだいぶ戸惑ったけれど。さすがにもう慣れたわ」

 霧香もそんな事を言いながら、英子の後に続いて建物に入り、受付に向かう。


「よぉ、英子ちゃん。今日は三人かい?」

 受付にいた初老の男性が、気安い感じでそう話しかけてきた。

「そうだよ。お客さん増やしてあげて、偉いでしょ?」

 ふふん、と小憎たらしい笑みを浮かべる英子に向かって、彼はその通りだなぁと言って豪快に笑う。

「で、今日はギターはどうする?」

「今日は話するだけだからいいよ。ありがと」

 二人のそんなやり取りを耳にして、

「ギター?」

 思わず奏が疑問の言葉を口にすると、英子はちらりと奏の方を振り返った。

「ん? ああ、私家では練習できなくてさ。スタジオ抑えてる日以外はここで練習してるから、預かってもらってんだよね」

「聞きたいです」

 キラキラと目を輝かせる奏を見て、英子は微妙な表情で口の端を歪める。

「ライブとかで聞いてんじゃん……」

 ぼそりと呟くが、

「ま、いいか。おじさん、やっぱギターちょうだい」

 苦笑しながらそう言った。

「はいよ、アコギ?エレギ?」

「両方」

「わかった。持って行ってやるから、いつもの部屋入っときな」

「了解。よろしくね」

 そう言って、英子は伝票を受け取ると、振り返って奏たちを促しながら奥の部屋に向かっていった。


 部屋に入り、ドリンクを注文した後、受付をしていた男性がギターを2本持ってきた。

「さ、どうする?」

 膝を組んで、その上にアコースティックギターをのせた英子が、じゃらん、と一度弦を弾いてそう尋ねた。

 予定通り英子の話をするのか、ギターを弾くのか。そういう質問のようだった。

「私は英子の話の方が聞きたいけど」

 ちらりと奏に視線を向けながら霧香が発言すると、奏もそれでいいと首を縦に振る。

「……わかった」

 そう言いながらも、英子はビン、ビン、ビン、と一本ずつ弦を鳴らしながら黙り込んでしまう。

 奏も霧香も、その沈黙を気にする素振りを見せないことをどう思ったのか、英子は淡く微笑むと、

「私の家は、さ」

 そう話を始めた。

「言っちゃえば、お堅い家庭だった。自分たちの『正しさ』がはっきりとあって、明確なルールがあった。一日のスケジュールを決めて、その通りに勉強して、習い事をして、食事をして、寝て、起きる。やってはいけないことのリストがあって、学校帰りの寄り道や買い食いもダメ、テレビ番組やネット動画を見るのも制限があったり許可が必要だったりした。真面目に、品行方正に。それが正しいことで、私もそれを当たり前のことだと思っていた」

奏からするとかなり意外な過去を、英子は淡々とした表情のままで語る。

「だから私は自分と同じルールを守らない人がいることに最初は驚いたし、守るように教えてあげなきゃ、なんてことさえ考えてた。だからこそ、今思えば本当に無神経なこともできたんだ」

「無神経なこと?」

 吐き捨てるような英子の言い方が気になって、思わず奏はそう口にしてしまう。

「大小色んなことがあったけどね。一番大きかったのは中学三年の時かな。クラスに不登校の生徒がいたんだ。さっき霧香が言ったように、私は中学時代に学級委員長をすることが多くて、その時もそうだった。だから、おせっかいにもその子の家に訪ねにいった。誰にも求められていなかったのに。何度も何度も」

 確かにそれはやりすぎなのかもしれない。けれど、それは未だに英子の顔を苦渋で歪めさせるほどのことだったのだろうか。

「あんまりしつこいから、ついにその子キレちゃって。彼女の家、二階建てだったんだけど、二階の彼女の部屋から、窓をぶちやぶって、こう、椅子が落ちてきてさ」

 さすがに肝が冷えた、と英子は苦笑いを浮かべる。

「それまでは彼女の母親はどっちかと言えば、放っておいてあげて欲しい、ってスタンスだったんだけど、これにはさすがに激怒して、その子を部屋から引きずり出して、説教ついでに私と話をさせてくれた」

 予想外に激しい展開に、奏も乾いた笑いを浮かべるしかない・

「でもそれでようやく本音が聞けた。泣きながら言われちゃったよ。『あんたみたいに当たり前の事が当たり前にできる人には絶対に分からない。私だって「普通」にしたい。したいけど、どうしてもそれができない。どうしてか、なんて私の方が教えてほしいのに』ってさ」

「それは、そうなるでしょうね。そういうのって結局は自分でどうにかするしかないんだから。まぁ、私にはその子の悩みそのものは全然理解できないけど」

 霧香らしい意見に頷きながらも、奏は胸が締め付けられて顔を伏せる。

「でも、私は――私は分かるな。しなきゃいけないことは分かるのに、どうしてもそれができない気持ち。焦りやもどかしさ、自責、自分自身への失望。連鎖して、周って、同じところに帰ってくる。どうしようもなくて、途方に暮れて、力が入らない、あの感じ」

 少し前の自分の状況を思い出しながら、奏はつぶやくように言う。

 そして、切り替えるように顔を上げると、

「でも、それがどうして英子さんがサンドリヨンを結成することにつながるんですか?」

 そう尋ねた。

「その日、彼女の家を訪ねた時、実は美奈―—ビーナも一緒だったんだ。その当時は知り合いというわけでもなかったんだけど、私が何度もその子の家に行っているのを聞きつけて、一緒に行きたいって言ってついてきた」

「美奈さんは、その人と知り合いだったんですか?」

 奏の疑問に、英子はうなずいて答える。

「その前の年、中学二年の時のクラスメイトだったみたい。でも特別親しかったわけではなくて、一度だけ、たまたま彼女が一人で音楽を聴いていた時に居合わせたことがある、って言ってた。その時イヤホンから音漏れしていた曲が、美奈の好きだったロックバンドの曲だったんだって」

「それだけの理由で?」

 霧香が眉をひそめる。

「美奈ってさ、一見、不愛想で無表情に見えるけど、すごい面倒見が良くて、優しい。だから、彼女のこともちょっと責任を感じてたみたい。もしあの時、自分が声をかけて友人になれていたら、不登校になんてならなかったのかも、って」

「あら、傲慢ね」

 しれっとそう言ってのける霧香に、英子は微苦笑を浮かべる。

 自分の影響力を過大にとらえすぎて必要のない責任まで背負おうとしている、と言いたいのだろうが、それにしても霧香がそれを言うか、という思いにはなる。

「ま、そういう背景もあってさ。あの時、あんたには分からないって言われてショックを受けている私の横で、美奈は彼女に『ロック、好きなの?』って話しかけてた。……私はそのころは全然音楽に詳しくなかったから、どういう話をしていたのかさっぱり分からなかったけど、それでも二人の会話が弾んで場が和んだのは分かった。私は、美奈に助けられたんだ」

 英子は、ふっと息をつくと、目を閉じて顔を俯かせた。

「私は何もできないまま、その日は帰ることになった。家を出てから、今日来てくれて助かった、ありがとう、って美奈に伝えたら、彼女は少し考えるような表情を浮かべた後、時間があるなら、少しつきあってくれないか、って言ってきた」

 そして、懐かしそうな表情を浮かべて微笑む。

「それから美奈は私を自宅に連れて行ってくれた。彼女の部屋に向かうのかと思ったら、地下にあるずいぶん立派な防音室に連れていかれたんだ」

 英子はおかしそうに含み笑いをする。

「『うちの親、どっちも楽器をやっててさ』なんて言いながら、美奈もギターを持ってきた。『あの子の父親がロック好きで、その影響を受けて彼女自身もかなり幅広く聞いてたみたい。あの子が好きだって言った曲も、邦ロックからゴリゴリのハードロック、R&B、そして20年代のブルース。曲調もシャウトが激しいものから、切なげに歌い上げるものまで。ジャンルを問わないように見えるけど、共通点がないかと言うとそうでもない』」

 その時の会話を反芻しながら、英子は自らが抱えたギターの弦を一度はじいた。

「どういう意味なのか分からずに戸惑っている私に、美奈は『私ね、あなたのこと嫌いだった』って突然言ってきた。ちょっと笑いながら、ストレートに。『勝手に「こうであるべき」という枠を作って、それに他人を押し込めようとする、そんな大人と一緒だと思ったから』」

 ほぼ初対面の日に、そんなこと言うかね。英子はそう言って笑う。

「さすがに私も面食らっていたら、『でも、そうじゃないんだね』って美奈は言った。そして、『あの子に会った時、きっとあなたは自分の正しさを押し付けようとするだけだと思っていた。それを止めようと思って一緒に行ったけど、あなたはそれが彼女にとっての正しさではないのだと気づいた。そして彼女をどう救えばいいのか真剣に悩んでいた』。そう、言ってくれた」

 でも、違うんだ。英子は口元を歪めて眉根を寄せる。

「もし美奈と一緒に行っていなかったら、私は美奈が心配した通りのことをしたと思う。美奈がいたからこそ、私は自分が間違っていることに気付けた。でも、彼女は『決めつけていて、ごめんなさい。お詫びというわけじゃないけど、彼女が好きだと言ったモノ――彼女が求めていたモノを、聞かせてあげる』。そう言って、ギターを弾きながら一曲歌ってくれた」

 そのときの状況をなぞるかのように、英子もまたギターを鳴らし始める。それは奏でも知っている、世界的なロックスターの名曲。切なげに、そして確かな熱がこもった声で、エーコが歌い上げる。目の前で演奏されるその迫力に、奏は鳥肌が立つのをおさえられなかった。

「これが、私の原点。初めてまともに目の当たりにした、ロックミュージック。街やテレビで何の気なしに流行歌を耳にするくらいでしか、音楽に触れる機会のなかった私ではそれまで気づけなかったんだ。音楽に、これほどまでに強く情念や渇望が織り込まれていることに」

 弾き終わった後に英子が発したその言葉から、奏は彼女が受けた衝動の片鱗を感じ取った。

「私はその日、『普通に生きること』がうまくできずに苦しむ人がいること、そしてその鬱積した気持ちを音楽でわずかにでも晴らすことができるということを知った。でもね、」

 英子は傍らに置いた大きめのバッグに手を入れて何かを探る。

「私が『久能英子』である限り、本当の意味で彼女たちのことを理解してあげることはできないと思った。今までの私の経験、価値観、周囲の人間との関係性。私が私である限り、それを否定することはできない。そしてそれをベースにする限り、彼女たちのやりきれない思いについては、知ったかぶりにしかならない。だから、私には必要だったんだ。すべてをリセットするためのスイッチが」

 そして彼女はバッグから取り出した赤と銀のウィッグを頭に被せる。

「そしてこれが、アタシのスイッチ。全て真っさらにして、何もかもを受け入れるための、本当の意味で他人に寄り添えるキャラクター。こうでありたいという想いからスタートし、それが芯となり、それを実現するために経験を重ねた、もう一人のアタシ」

 ギターに肩肘をついて、頬杖をつきながらニッと微笑むエーコは、先ほどまで見ていた英子の表情からは一変していた。細められた目はどこか攻撃的で、片方だけ吊り上げられた口の端からは白く鋭い歯がのぞいている。いつもとは違ってメイクもしていないのに、明らかに雰囲気は別のものになっていた。

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リトル・アルカディア さんずい @sanzui

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